聖書 — 口語訳 (1955)

詩篇 70

概要

詩篇70篇は、ダビデの短く切迫した祈りで、表題には記念のためとあります。神に助けを求め、自分の破滅を願う者たちが恥を受けるよう願い、さらに神を求める者たちが喜ぶよう祈ります。結びは、神こそ自分の助け、救い主であると知っている、貧しく乏しい者の叫びです。言葉もなくなるようなとき、この詩篇は短い祈りとして役立ちます。

表題は、この詩篇をダビデの作とし、聖歌隊の指揮者、つまり礼拝の歌にゆだねています。詩篇38篇の表題にもある、記念のためにという言葉は、祈る人の苦しみを神に思い起こしていただくための祈りを指すと考えられますが、礼拝での正確な用い方は議論が分かれています。これは個人の嘆きの詩で、詩篇の中でも最も短いものの一つです。五つの節はすべて助けを求める叫びです。本文は、詩篇40篇の終わりとわずかな違いを除いてほぼ同じで、危険が迫るときに一人で唱える祈りとして切り離されたかのようです。表題は、どんな状況で作られたのかを記していません。最初の数世紀から、クリスチャンは1節を、一日のあいだ繰り返す短い祈りとして唱えてきました。今もいくつかの教会の典礼は、この言葉で祈りの時を始めます。切迫した状況で、叫ぶことしかできないとき、この詩篇を祈る人は多くいます。

この章の3つの区分

  1. 1-3節急いで私を救い出してください:助けを求める叫び
  2. 4節あなたを求める者が、あなたにあって喜びますように
  3. 5節私は貧しく乏しい者です:あなたは私の助け、遅れないでください

1神よ、みこころならばわたしをお救いください。主よ、すみやかにわたしをお助けください。

2わたしのいのちをたずね求める者どもを 恥じあわてさせてください。わたしのそこなわれることを願う者どもを うしろに退かせ、恥を負わせてください。

3「あはぁ、あはぁ」と言う者どもを 自分の恥によって恐れおののかせてください。

4すべてあなたを尋ね求める者は あなたによって喜び楽しむように。あなたの救を愛する者は つねに「神は大いなるかな」ととなえるように。

5しかし、わたしは貧しく、かつ乏しい。神よ、急いでわたしに来てください。あなたはわが助け、わが救主です。主よ、ためらわないでください。

詩篇70篇を節ごとに読む

1節まっすぐな叫び:神よ、急いで私を救い出してください

表題のあと、詩篇はすぐに本題に入ります。冒頭の賛美も説明もありません。「主よ、すみやかにわたしをお助けください。」呼びかけは「神よ」と「主よ」の二つ、願いも救い出してくださいとお助けくださいの二つで、「すみやかに」という言葉が切迫感を伝えています。ダビデは立派な言葉を用意せず、信頼している人を呼ぶように助けを呼んでいます。この節は、祈りは長くなくても真実でありうることを教えてくれます。今あなたが必要ですと神に伝えるのは、信仰が足りないからではありません。恐れではなく神に向かう、すでに信仰の一歩です。言葉がなくなったときは、この一言から始めれば十分です。

2-3節わたしの破滅を願い、あざける者たちが退きますように

ダビデはただ危険の中にいるのではありません。「わたしのいのちをたずね求める者ども」「わたしのそこなわれることを願う者ども」に囲まれています。「あはぁ、あはぁ」という声は、他人の不幸を喜んであざける者の叫びです。ダビデは、彼らが恥じてあわて、うしろに退くように、つまりその企てが失敗し、自分の過ちに気づくようにと願います。自分で仕返しをするのではなく、訴えを神にゆだねています。クリスチャンの読み方は一様ではありません。まず悪が止められるようにという祈りと受け取る人もいれば、敵を愛し、迫害する者のために祈りなさいというイエスの教えを心に置いて祈る人もいます。いずれにしても、これらの節は、復讐するのではなく、あざけりや敵意による傷を神に打ち明けてよいと教えています。

4節試練のただ中で、神を求める人々の喜び

調子が変わります。敵のあざけりの叫びに、別の叫びが答えます。「神は大いなるかな」。ダビデは祈りを「すべてあなたを尋ね求める者」にまで広げます。神を求めるとは、神に向かい、神に頼り、御臨在を慕うことです。神の救いを愛するとは、結果を見る前から、神の救い方を愛することです。ダビデは自分が危険の中にいるのに、ほかの人々の喜びを祈っています。苦しみは彼を自分の中に閉じ込めることもできましたが、それはとりなしと賛美に変わりました。「つねに」という言葉は、この賛美が状況に左右されないことを示しています。この節は今日のあなたにも扉を開きます。危機のただ中でも、他の人のために祈り、神をほめたたえることは、孤独を破り、喜びが問題の解決だけでなく神ご自身にあることを思い出させます。

5節貧しく乏しい者、しかし助けてくださる神がおられる

最後の節は一人称に戻ります。「しかし、わたしは貧しく、かつ乏しい。」詩篇で、これらの言葉はまずお金のことを指しません。支えも守りもなく、神に頼るしかない人のことです。ダビデ自身がこう言うのですから、だれでもいつか頼るものを失うことがあります。それでも、その欠乏のただ中で彼は告白します。「あなたはわが助け、わが救主です。」詩篇40篇の終わりでは、この箇所に、主が自分を心にかけてくださるという言葉がありますが、詩篇70篇ではそれが新たな叫び、急いでわたしに来てくださいに置き換えられています。詩篇は、救いの実現を語らずに終わります。すべてがすぐ解決するとは約束せず、神がどなたかを告げます。心の貧しい人は幸いだと言われたイエスにあって、神の前で自分の貧しさを認めることは失敗ではなく、信仰の出発点だと知るのです。

詩篇70篇の祈り方

この詩篇を祈るとき

  • 思いがけない緊急事態に襲われ、神を呼ぶ時間がほんの数秒しかないとき。
  • あざけりや嫌がらせ、あなたを傷つけようとする言葉を受けているとき。
  • 不安があまりに強くて、長く祈ることができないとき。
  • 待つ時間が長引いているとき。検査の結果、大切な返事、身近な人の知らせなど。
  • 貧しく無力に感じ、問題を前にして、頼るものも解決策もないとき。
  • 一日の始まりに、その日を一言の祈りで神にゆだねるとき。

詩篇70篇に基づく祈り

神よ、急いで私を救い出してください。主よ、すみやかに私を助けてください。今日は長い言葉を並べることができません。私は恐れていて、力尽きています。あなたは、私に悪を望む人々を、私を傷つけるあざけりを、私の破滅を求める言葉を見ておられます。私は自分で仕返しをしたくありません。すべてをあなたの御手にゆだねます。悪を止め、私に害を加える人々を退かせてください。今、それぞれの夜の中であなたを求めているすべての人のためにも祈ります。その人たちにあなたにある喜びを与え、今日は私も彼らとともに「神は大いなるかな」と言えるように導いてください。私は貧しく乏しい者です。あなたの前に差し出せるものは、あなたを必要とするこの思いのほかにありません。けれども、あなたは私の助け、私の救い主です。イエスによって、あなたの答えが私の期待どおりでなくても、私を見捨てておられないことを知っています。主よ、ためらわないでください。アーメン。

鍵となる聖句

1節
神よ、みこころならばわたしをお救いください。主よ、すみやかにわたしをお助けください。

詩篇は前置きなしに、叫びから始まります。助けられたいという必要だけを抱えて、短く率直に祈ってよいことを示しています。

4節
すべてあなたを尋ね求める者は あなたによって喜び楽しむように。あなたの救を愛する者は つねに「神は大いなるかな」ととなえるように。

苦しみの中で、ダビデは神を求める人々のために祈ります。自分の救いだけでなく、神を愛するすべての人の喜びが神にあるようにと願います。

5節
しかし、わたしは貧しく、かつ乏しい。神よ、急いでわたしに来てください。あなたはわが助け、わが救主です。主よ、ためらわないでください。

ダビデは自分を貧しく乏しい者、何の備えもない者だと宣言します。弱さを認めることが祈りの土台となります。神こそ自分の助け、救い主なのです。

詩篇70篇についてよくある質問

詩篇70篇はどんな意味ですか

詩篇70篇は、神に向けた緊急の叫びです。ダビデは、神がすぐに救い出してくださるよう、自分に悪を望む者たちが恥を受けるよう、神を求める者たちが喜ぶよう願います。結びは告白です。私は貧しく乏しい者ですが、あなたは私の助け、遅れないでください。

詩篇70篇は誰が書いたのですか

表題はダビデの作とし、記念のためと明記しています。これは、自分の苦難を神に思い起こしていただくための詩篇であることを示しています。本文は、詩篇40篇の14節から18節の終わりとほぼ同じで、独立した祈りとして切り出されたことを思わせます。

なぜダビデは神に急いでくださいと願うのですか

この願いは、ダビデがもう耐えきれない苦難の切迫さを表しています。神が遅れておられるという意味ではありません。聖書では、神に今あなたが必要ですと伝えてよいのです。5節で、ダビデは神が自分の助けであると認めており、それが彼の信頼を養っています。

苦しみの中で詩篇70篇をどう祈ればよいですか

この詩篇は短いので、緊急のときに暗唱して祈ることができます。1節と5節を、自分の状況を挙げながら言い直しましょう。4節で結び、あらかじめ神に感謝します。長く祈る言葉がなくなったときにふさわしい詩篇です。

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