ヨブ記:理解できなくても信じる
ヨブは、財産も子も健康も — すべてを失った正しい人です。読者が知っていることを、彼は知りません。彼の苦しみは罰ではないのです。35章にわたり、友人たちは「苦しむのは罪を犯したからだ」という帳簿のような神学を弁護し、神は最後にそれを退けられます。
ついに神が答えられるとき、説明は与えられません。創造をめぐる圧倒的な問いの中で、神はご自身を与えられるのです。答えはなくとも臨在に満たされたヨブは告白します。「わたしはあなたの事を耳で聞いていましたが、今はわたしの目であなたを拝見いたします」(ヨブ42章5節)。「なぜ」のない苦しみのための書です。
ヨブ記に関するよくある質問
ヨブはなぜ苦しんだのですか?
読者はヨブが知らないことを見ています。信仰の無償性をめぐる、神と敵対者の間の問いです — ヨブは神ご自身のゆえに神を愛するのか、祝福のゆえか。彼の苦しみは罰でも見捨てでもありませんでした。
ヨブの友人たちは正しかったのですか?
いいえ — 神は明言されます。「あなたがたはわたしのしもべヨブのように正しい事をわたしについて述べなかった」(42章7節)。彼らの誤りは、苦しみ=罪という機械に神を押し込めたことです。
ヨブ記はどう終わりますか?
二倍の回復で — しかし何より、出会いで終わります。ヨブは「なぜ」への答えを受け取らず、神ご自身を受け取り、それで足りたのです。結末は苦しみを「清算」するのではなく、超えていきます。