聖書 — 口語訳 (1955)

詩篇 123

概要

詩篇123篇は四節からなる都もうでの歌で、一つの姿に尽きます。目を神に向けることです。詩人は天に座しておられる方にむかって目をあげます。しもべが主人の手に目をそそぐように、です。民は侮りに満ちあふれているので、主のあわれみを待ち望みます。この詩篇は怒りや復讐で応えず、神に向けた眼差しと、われらをあわれんでくださいという祈りで応えます。

この章の3つの区分

  1. 1節天に座しておられる方にむかって目をあげる
  2. 2節主人の手に目をそそぐしもべのように
  3. 3-4節われらをあわれんでください:侮りに満ちあふれて

1天に座しておられる者よ、わたしはあなたにむかって目をあげます。

2見よ、しもべがその主人の手に目をそそぎ、はしためがその主婦の手に目をそそぐように、われらはわれらの神、主に目をそそいで、われらをあわれまれるのを待ちます。

3主よ、われらをあわれんでください。われらをあわれんでください。われらに侮りが満ちあふれています。

4思い煩いのない者のあざけりと、高ぶる者の侮りとは、われらの魂に満ちあふれています。

鍵となる聖句

1節
天に座しておられる者よ、わたしはあなたにむかって目をあげます。

詩人は状況を見るのではなく、目をあげます。神は天に座しておられます。それは、神が押しつぶすものの上におられるということです。

2節
見よ、しもべがその主人の手に目をそそぎ、はしためがその主婦の手に目をそそぐように、われらはわれらの神、主に目をそそいで、われらをあわれまれるのを待ちます。

しもべのたとえは、信頼に満ちた注意深さを表します。何をすべきか知るために主人の手を見つめ、与えられるものを待ちます。恐れではなく、頼ることを語っています。

3節
主よ、われらをあわれんでください。われらをあわれんでください。われらに侮りが満ちあふれています。

祈りは短く、飾りがありません。あわれみを求める願いが繰り返され、民の功績ではなく神の恵みに寄りかかっています。

4節
思い煩いのない者のあざけりと、高ぶる者の侮りとは、われらの魂に満ちあふれています。

高ぶる者の侮りは、たましいを疲れさせます。詩篇はその傷を小さく見せず、正直に言い表しています。

詩篇123篇についてよくある質問

詩篇123篇はどんな意味ですか

詩篇123篇は、侮られている民が神に目を向け、あわれみを求める祈りです。中心となるのは、主人の手の合図を待つしもべの姿です。人が与えてくれない助けを、信頼して神に待ち望むことを語っています。

詩篇123篇は誰が書きましたか

表題は「都もうでの歌」とあるだけで、作者の名はありません。詩篇は一人称複数(「われら」「われらをあわれんでください」)で書かれており、エルサレムへ上る巡礼者の共同体が歌ったことを思わせます。

詩篇123篇をどう祈り、黙想すればよいですか

1節を読みながら、注意を向ける仕草として実際に目や手をあげてみます。次に、受けたあざけりや侮りを、復讐せずに神の前に置きます。「われらをあわれんでください」と自分の状況に重ねてゆっくり繰り返し、主人の手を見つめるしもべのように、静かに待ちます。

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