要約
アラウナは、歴代誌ではオルナンと呼ばれ、ダビデ王の時代のエルサレムのエブス人です。ダビデが誇って人口調査をした後、イスラエルに疫病が下り、主の使いはアラウナの打ち場のそばで止まりました。預言者ガドの命で、ダビデはその打ち場を買って祭壇を築きます。アラウナは無償で差し出しましたが、ダビデは費用のかからないものを神にささげることを拒みました。この場所はのちにソロモンの神殿の地となります。
エブスびとアラウナという名前の意味
アラウナは歴代誌第一21章ではオルナンと記され、おそらくヘブル語ではなく、意味は不明です。外国語の「主」を意味することばとする説もあります。聖書は主に「エブス人」、ダビデ以前のエルサレムの住民として紹介します(サムエル記第二24章16節)。
エブスびとアラウナの生涯
疫病が打ち場のそばで止まる
サムエル記第二24章15-16節ダビデが高ぶって民を数えたため、イスラエルに疫病が下ります。使いがエルサレムに手を伸ばしたとき、主はわざわいを悔い、もう十分だ、手を引けと命じられました。主の使いはエブス人アラウナの打ち場のそばにいた、と本文は記します。ありふれた打ち場が、神のあわれみの場所になりました。
使いが現れたとき仕事中
歴代誌第一21章18-20節使いはガドに、ダビデがオルナンの打ち場に祭壇を築くよう命じさせます。そのころオルナンは小麦を打っていました。振り返って使いを見ると、四人の息子と共に身を隠しました。この並行記事は、イスラエルの歴史の決定的な瞬間に居合わせた、仕事中の普通の人を描いています。
謙遜で気前のよい迎え方
サムエル記第二24章20-23節アラウナは王が来るのを見て出迎え、地にひれ伏します。ダビデが疫病を止める祭壇を築くため打ち場を買いたいと言うと、アラウナは打ち場、全焼のいけにえの牛、薪のための脱穀用具のすべてを差し出しました。そして、あなたの神、主があなたを受け入れてくださるように、と言いました。
犠牲を伴うささげ物
サムエル記第二24章24-25節ダビデは贈り物を断ります。費用のかからない全焼のいけにえを、私の神、主にささげることはしない、と。彼は打ち場と牛を銀五十シェケルで買い、祭壇を築いて全焼のいけにえと交わりのいけにえをささげました。主はその地のために祈りを聞かれ、イスラエルへの疫病はやみました。
神殿の場所
歴代誌第一21章26節-22章1節、歴代誌第二3章1節歴代誌では、主は天からの火を祭壇に下してダビデにこたえ、ダビデはここに主の宮があると宣言します。のちにソロモンは、ダビデが備えたエブス人オルナンの打ち場のモリヤ山に神殿を建てました。一人のエブス人の打ち場が、イスラエルの礼拝の中心となったのです。
エブスびとアラウナから学ぶこと
- 神は打ち場のようなありふれた場所を選び、あわれみを現して、そこに礼拝を定められます。
- アラウナの気前のよさは、神と神に仕える人々への献身の見事な模範です。
- 真の礼拝には自分の献身が伴います。費用のかからないものを神にささげてはなりません。
- 神のさばきはいけにえがささげられる所で止まります。これはイエス・キリストの完全ないけにえを予告しています。
- イスラエルの外の人も神殿の歴史に関わりました。神は恵みを国境の外にも開かれます。
鍵となる聖句
主はアラウナの打ち場のそばで使いを止められました。怒りが止まった場所が礼拝の場所になり、神のあわれみがさばきに勝つことを示しています。
ダビデは、自分に費用のかからない全焼のいけにえはささげないと言いました。真の礼拝は全人格を伴い、費用のかからないもので満足しないことを教える節です。
ソロモンはモリヤ山のオルナンの打ち場に神殿を建てました。アラウナの物語は、神が民の間に住むと選ばれた場所の歴史につながっています。
よくある質問
なぜ神はアラウナの打ち場を選ばれたのですか。
主がエルサレムを打つ使いを止められたのが、この打ち場のそばでした(サムエル記第二24章16節)。神は預言者ガドを通して、そこに祭壇を築くよう命じました。聖書はこの選びを神からのものとし、その場所はソロモンの神殿の地となりました(歴代誌第二3章1節)。
なぜアラウナはオルナンとも呼ばれるのですか。
サムエル記ではアラウナ、歴代誌ではオルナンと呼ばれますが、同じ人物、同じ出来事です。おそらくヘブル語ではない名が二通りに音写されたもので、意味は不明です。外国語の「主」を意味するという説もあります。
アラウナの物語は聖書のどこにありますか。
記事はサムエル記第二24章15-25節にあり、オルナンの名で歴代誌第一21章15-30節にも記されます。神殿との関係は、歴代誌第一22章1節と、主の宮をモリヤ山に置く歴代誌第二3章1節で明らかにされます。