聖書 — 口語訳 (1955)
詩篇 35
概要
詩篇35篇は、理由もなく迫害されたダビデの祈りです。神に弁護を求め、偽りの証人としかけられたわなを描き、やがて信頼と賛美の約束を宣言します。敵に対する神の正義を求めることから、のろいの詩篇に分類されます。この厳しい言葉は、クリスチャンにとって、個人的な復讐ではなく神にゆだねた叫びとして読まれます。不正を祈りの中で担うための手本となる詩篇です。
表題はこの詩篇をダビデの作としていますが、状況は記していません。注解者は、ダビデが理由もなくサウルに追われた時期や、身近な人々が裏切ったアブサロムの反乱を思い浮かべることが多いのですが、本文はそれを語っていません。これは個人の嘆きの詩篇です。偽りの証人に訴えられ、助けた人々に裏切られた無実の人が、神に弁護を求めています。詩篇は三つの場面で進み(1節から10節、11節から18節、19節から28節)、それぞれが賛美の約束で結ばれます。敵を厳しい言葉で打ってほしいと神に願うため、のろいの詩篇に分類されます。今日では、不当な非難、嫌がらせ、裏切りに苦しむ人が、仕返しする代わりに怒りを神の前に持っていくための助けになります。クリスチャンは、理由なく憎まれたイエスの光の中でもこの詩篇を読みます。
この章の4つの区分
1主よ、わたしと争う者とあらそい、わたしと戦う者と戦ってください。
2盾と大盾とを執って、わたしを助けるために立ちあがってください。
3やりと投げやりとを抜いて、わたしに追い迫る者に立ちむかい、「わたしはおまえの救である」と、わたしに言ってください。
4どうか、わたしの命を求める者を はずかしめ、いやしめ、わたしにむかって悪をたくらむ者を退け、あわてふためかせてください。
5彼らを風の前のもみがらのようにし、主の使に彼らを追いやらせてください。
6彼らの道を暗く、なめらかにし、主の使に彼らを追い行かせてください。
7彼らはゆえなくわたしのために網を隠し、ゆえなくわたしのために穴を掘ったからです。
8不意に滅びを彼らに臨ませ、みずから隠した網にとらえられ、彼らを滅びに陥らせてください。
9そのときわが魂は主によって喜び、その救をもって楽しむでしょう。
10わたしの骨はことごとく言うでしょう、「主よ、だれかあなたにたぐうべき者がありましょう。あなたは弱い者を強い者から助け出し、弱い者と貧しい者を、かすめ奪う者から助け出される方です」と。
11悪意のある証人が起って、わたしの知らない事をわたしに尋ねる。
12彼らは悪をもってわたしの善に報い、わが魂を寄るべなき者とした。
13しかし、わたしは彼らが病んだとき、荒布をまとい、断食してわが身を苦しめた。わたしは胸にこうべをたれて祈った、
14ちょうど、わが友、わが兄弟のために 悲しんだかのように。わたしは母をいたむ者のように 悲しみうなだれて歩きまわった。
15しかし彼らはわたしのつまずくとき、喜びつどい、ともに集まってわたしを責めた。わたしの知らない他国の者は わたしをののしってやめなかった。
16彼らはますます、けがす言葉をもってあざけり、わたしにむかって歯をかみならした。
17主よ、いつまであなたはながめておられますか、わたしを彼らの破壊から、わたしのいのちを若きししから救い出してください。
18わたしは大いなるつどいの中で、あなたに感謝し、多くの民の中で、あなたをほめたたえるでしょう。
19偽ってわたしの敵となった者どもの わたしについて喜ぶことを許さないでください。ゆえなく、わたしを憎む者どもの たがいに目くばせすることを許さないでください。
20彼らは平和を語らず、国のうちに穏やかに住む者にむかって 欺きの言葉をたくらむからです。
21彼らはわたしにむかって口をあけひろげ、「あはぁ、あはぁ、われらの目はそれを見た」と 言います。
22主よ、あなたはこれを見られました。もださないでください。主よ、わたしに遠ざからないでください。
23わが神、わが主よ、わがさばきのため、わが訴えのために奮いたち、目をさましてください。
24わが神、主よ、あなたの義にしたがってわたしをさばき、わたしの事について彼らを喜ばせないでください。
25彼らにその心のうちで、「あはぁ、われらの願ったことが達せられた」と 言わせないでください。また彼らに「われらは彼を滅ぼしつくした」と 言わせないでください。
26わたしの災を喜ぶ者どもを ともに恥じ、あわてふためかせてください。わたしにむかって誇りたかぶる者どもに 恥と、はずかしめとを着せてください。
27わたしの義を喜ぶ者をば 喜びの声をあげて喜ばせ、「そのしもべの幸福を喜ばれる主は大いなるかな」と つねに言わせてください。
28わたしの舌はひねもすあなたの義と、あなたの誉とを語るでしょう。
詩篇35篇を節ごとに読む
1-3節無実の人のために弁護し、戦ってくださる神
ダビデは二重の訴えで詩篇を始めます。「争う」と訳された動詞は法廷の言葉で、自分を訴える者たちに対して、神に自分の訴えを弁護してほしいと願っています。続いて戦場に移ります。盾と大盾、やりと投げやり。神は弁護人としても戦士としても呼ばれています。ダビデがしないことに注目してください。彼は自分では武器を取らず、それを神の手にゆだねます。軍事用語の中に、とても親密な願いが現れます。「わたしはおまえの救である」と、わたしに言ってください。救い出される前から、ダビデは神が心の奥に語りかけてくださる声を必要としていました。攻撃されているとき、あなたには防御が必要ですが、内側から安心させてくれる言葉も必要です。
4-8節わなを仕掛けた者に、そのわなが返りますように
ここにのろいの祈りが出てきます。読む人がしばしば衝撃を受ける厳しい願いです。敵が恥を受け、風の前のもみがらのように散らされ、主の使に追われ、自分の隠した網にかかるように、というのです。この言葉を和らげる必要はありませんが、理解する必要があります。ダビデは仕返しをしているのではなく、ただ一人の審判者である神にゆだねています。彼は、ゆえなく攻撃されていると繰り返します。いのちを奪うために掘られた穴の上に、網が張られているのです。彼が願うのは、悪がそれを企てた者たちに返ることで、箴言にも同じ教えがあります。穴を掘る者は自分でその中に落ちる(箴言26章27節)。神にさばきを求めることは、まさに自分で復讐する道を手放すことです。ダビデは、サウルを見逃すことでそれを示しました(サムエル記上24章)。
9-10節強い者から救い出される喜び
嵐のただ中で、調子が変わります。ダビデは救い出される喜びを先取りしています。彼の魂が喜ぶのは、敵の没落にではなく、主にあってです。その喜びは神の救いに向けられていて、他人の不幸にではありません。そして彼は、骨の髄まで全存在をかけて、賛美となる問いを発します。だれが、あなたのように、弱い者を強い者から助け出せるでしょうか。聖書の神は、弱い者、貧しい者、奪い取られる者の側に立たれます。これは、詩篇の各部分を結ぶ三つの賛美の約束の最初のものです。職場でも、家庭でも、ほかの場所でも、強い者の支配を受けているなら、この節は、神が力関係をご覧になっていて、踏みつける者の側にはおられないことを思い出させます。
11-16節祈り、断食までした相手に裏切られて
第二の部分は、この詩篇で最も深い傷、裏切りを描きます。偽りの証人たちが、身に覚えのないことでダビデを訴えます。仕組まれた裁判のようです。さらに痛いのは、訴える者たちが善に対して悪を返すことです。彼らが病んだとき、ダビデは荒布をまとい、断食し、頭を垂れて祈りました。友や兄弟、あるいは母のために悲しむかのように。ところが彼がつまずくと、彼らは喜び集まり、あざける者たちと一緒に歯をかみならして、休みなく彼を責め立てます。この場面は、偽りの証人に訴えられ、受難の間にあざけられたイエスを予告しています(マタイによる福音書26章59節から60節)。助けた人に傷つけられたなら、これらの節は、神がその特別な痛みをご存じで、それが祈りの中に居場所を持つことを語っています。
17-18節主よ、いつまで:待つことから賛美へ
17節の叫びは、聖書の中で最も人間的なものの一つです。「主よ、いつまであなたはながめておられますか」。ダビデは、神がご覧になっていることを疑っているのではありません。なぜ神がそれを許しておられるのかが分からないのです。黙示録でも、殉教者たちが、神がさばきを遅らせるのはいつまでかと、同じ問いを発しています(ヨハネの黙示録6章10節)。聖書は、信じる者がこの問いを発することを責めません。敵は若いししにたとえられます。若く、貪欲で、容赦のない獣です。それでも、嘆きは約束で終わります。大いなるつどいの中で、あなたに感謝します。これは詩篇の二つ目の賛美の結びです。ダビデは、まだ見ていない救いを、公に語ると約束します。あなたも神に焦りを打ち明けながら、同じ祈りの中で、神に信頼することを選べます。
19-21節ゆえなく憎まれる:イエスがご自身のこととされた言葉
第三の部分は、理由のない憎しみに戻ります。ゆえなくダビデを憎む者たちは、目くばせし合い、彼の不幸を喜びます。彼らは平和を語らず、国の中で穏やかに暮らす、ただ平和に生きたいだけの人々に対して、欺きの言葉を企てます。そして口を大きく開けます。「あはぁ、あはぁ、われらの目はそれを見た」。勝ったと思う者たちの笑いです。イエスは、死の前夜、理由なく憎まれたという表現をご自身について用いられました(ヨハネによる福音書15章25節)。同じ表現は詩篇69篇にも見られます。こうしてダビデの祈りは、義なる方の祈りになります。あなたにとっては慰めです。理由もなく嫌われているなら、あなたはひとりではありません。イエスがあなたより先に、その道を通られました。
22-26節目をさまして、さばいてください:義なる審判者に訴えをゆだねる
ダビデは、敵のあざける視線に、別の視線で答えます。主よ、あなたはこれをご覧になりました。そして、神が黙っておられないように、目をさまして自分のために立ち上がってくださるように、と願い、さらに意外なことを求めます。あなたの義にしたがってわたしをさばいてください。特別扱いではなく、同じ正義が自分にも当てはまることを受け入れています。この件で自分が正しいと知っているからです。のろいの祈りが再び現れます。クリスチャンの読み方は一つではありません。不正への正当な叫びとして今も神に向けてよいと見る人、敵を愛し、十字架につける者のために祈られたイエスに従って別の祈り方に招かれていると考える人(マタイによる福音書5章44節、ルカによる福音書23章34節)、終わりのさばきの告知と読む人がいます。皆が一致するのは、復讐は神だけのものだということです(ローマ人への手紙12章19節)。
27-28節神がしもべのために望まれる平安
詩篇は、敵ではなく、喜ぶ人々の群れで終わります。ダビデの義を喜ぶ者たち、つまり彼に正しい裁きが行われることを願う者たちが、神の偉大さをたえず告げるよう招かれます。その賛美はすばらしいことを語ります。「そのしもべの幸福を喜ばれる主は大いなるかな」。口語訳で幸福と訳された語は、ヘブライ語ではシャロームで、人生のすべてに及ぶ完全な平安を意味します。神は、あなたが受けていることに無関心ではなく、あなたの益を望んでおられます。最後の節が、三つ目の賛美の結びです。不正を叫んでいた舌が、これからは一日中、神の義を語ります。詩篇の道のりはここにあります。嘆きから信頼へ、信頼から賛美へ。すべてが片づく前にです。
詩篇35篇の祈り方
この詩篇を祈るとき
- 職場や家庭や教会で、身に覚えのないことで責められているとき。
- 助けたことのある人が、あなたに背を向けたとき。
- 嫌がらせやあざけり、止められないうわさに苦しんでいるとき。
- あなたを傷つけた人への怒りで、眠れないとき。
- 正しい裁きがなされるのを、長い間待ち続けているとき。
- 仕返しをしたくなったり、悪に悪で返したくなったりするとき。
詩篇35篇に基づく祈り
主よ、わが神よ、私を弁護してください。私が受けていることを、あなたはご覧になっています。偽りの言葉、身に覚えのない非難、善に対する悪の仕打ちを。怒りも痛みも隠さず、思い巡らす代わりに、あなたの前に置きます。弱い者を強い者から助け出されるあなたよ、私のために戦ってください。偽りが暴かれ、私に仕掛けられたわなが外れますように。仕返しはしません。正義はあなたのものであり、私の訴えをあなたにゆだねます。あなたの義にしたがって私をさばき、私に落ち度があれば、それも示してください。ゆえなく憎まれ、十字架につける者のために祈られた主イエスよ、私を苦しめる人たちのために祈ることを教えてください。彼らが変えられ、あなたに出会いますように。いつまで待つのか、私には分かりません。どうか、「わたしはおまえの救である」と私の魂に言ってください。苦い思いから私を守ってください。しもべの平安を望まれるあなたよ、今、あなたの平安をください。そうすれば私の舌は、一日中あなたの義を語るでしょう。アーメン。
鍵となる聖句
主よ、わたしと争う者とあらそい、わたしと戦う者と戦ってください。
ダビデは自分で復讐しません。主に自分の訴えを弁護し、自分に代わって戦ってくださるよう求めます。事を神にゆだねることが、この詩篇の中心の行いです。
彼らは悪をもってわたしの善に報い、わが魂を寄るべなき者とした。
善に対して悪を返されることが、この詩篇で最もくり返し出てくる傷です。ダビデは、いま自分を攻撃している人々のために、かつて祈り、断食していたのです。
主よ、あなたはこれを見られました。もださないでください。主よ、わたしに遠ざからないでください。
叫びは、非難から神ご自身へと向かいます。あなたはご覧になりました、黙っていないでください。この節は、神に動いていただきたいと伝えるための言葉を与えてくれます。
わたしの義を喜ぶ者をば 喜びの声をあげて喜ばせ、「そのしもべの幸福を喜ばれる主は大いなるかな」と つねに言わせてください。
詩篇は憎しみで終わらず、賛美と、神がしもべのために望まれる平安で終わります。
説教が語っていること
詩篇35篇についてよくある質問
詩篇35篇はどんな意味ですか
詩篇35篇は、無実の罪を着せられた人の祈りです。ダビデは神に弁護を求め、受けているわなや偽りの証言を描き、救い出されたときには公に神をほめたたえると約束します。苦しみを率直に神に打ち明け、さばきを神にゆだねてよいことを示しています。
のろいの詩篇とは何ですか
敵をさばいてくださいと神に求める詩篇で、4節から8節のように、時に激しい言葉を使います。復讐せよという命令ではなく、神の正義への訴えです。イエスは敵を愛するようにとも教えられました。クリスチャンはこれを、怒りを神にゆだねることを学ぶ、苦しみの叫びとして受け止めています。
詩篇35篇は誰が書いたのですか
表題はダビデの作としています。出来事は明記されていませんが、解釈者がよく挙げるのは、サウルに追われた時期や、アブサロムの反乱のときの身近な人の裏切りです。ダビデが何度も経験した状況を映した詩篇です。
詩篇35篇は今日どのように祈ればよいですか
不正を受けているなら、声に出して読み、感じていることを自分を抑えずに神に語ってください。次に、1節のように事を神の手にゆだね、恨みから守ってくださるよう求めます。最後は27節と28節の賛美で終えると、平安へと開かれていきます。
詩篇 35を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。