はじめに
3月8日、Momentumで、朝から続いていた「感情」についての語り合いが続きました。今回の中心となる言葉は「怒り」です。怒りを非難するためではありません。怒りに耳を傾け、神様の前でそれを生き、抑え込んで病気になってしまう前に向き合うためです。スライドをもとに教える人の声と、カティ、サンドリーヌ、シルヴィーヌ、パトリシアが分かち合ってくれた、それぞれの内なる解放への道が交わりました。
あなたが、強い感情はすべて罪だと考える家庭や教会で育ったなら、このメッセージはあなたのためのものです。感じていることをずっとコントロールし続けて、それが病気や強迫的な行動、思いがけない爆発として表れてしまっているなら、これもあなたのためのメッセージです。あなたはひとりではありませんし、責められてもいません。ただ、主にあなたの心を癒していただくよう、招かれているだけです。
記事の構成
1. あなたの感情は罪ではありません
多くの人が、家庭や教会で、こんな暗黙の教育を受けてきました。怒りや妬み、悲しみといったネガティブな感情は汚れたものだから、コントロールし、なくし、抑え込まなければならない、というものです。やがて、パウロが言う「御霊の実」つまり喜び、平安、柔和といった「聖書的な」感情だけを保とうとするようになります。
カティは、何年もそうしてきたと話してくれました。「本当に神様に喜ばれたくて、聖書にある感情だけを持ち続けようと決めたんです」。結果は散々でした。抑え込まれた感情は、必ず別の形で表れます。強迫的な行動、確認癖といった形で。「ちゃんとドアを閉めたかな。手はちゃんと洗ったかな」。それは、あなたが出口を与えていない感情が、出口を探している姿なのです。
感情そのものは罪ではありません。それをどう扱うかが、罪になり得るのです。しかし、感情を感じ、認め、名前をつけること自体は、神様の前で一人の人間であるというだけのことです。
2. 抑え込まれた怒りは、必ずどこかで表れる
台所の蛇口をひねって、親指で水を止めようとする場面を想像してみてください。何が起こるでしょうか。水はあちこちに飛び散ります。怒りも同じです。それはひとつのエネルギーです。どこかから出さなければ、別のところから出てきます。自分自身に向かって、子どもたちに向かって、あるいは猫に向かって。
怒りが自分自身に向けられると、それは身体化します。うつ、過食、神経症、強迫症、危険な行動になります。50歳での心臓発作という形をとることさえあります。完璧主義、他人への絶え間ない批判、恨み、苦々しさ、あるいは誰にも従えなくなった反抗的な心という顔をすることもあります。これらはすべて、神様の前で正直に表現されたことのない怒りが、姿を変えて現れたものです。
3. 怒りの間違った表し方
爆発的な怒りは、周りのすべてを壊してしまいます。まるで台風、大きな災害のように働きます。それを受けた人には本当のトラウマを残し、特に子どもたちの前頭前皮質に傷を残すこともあります。決して軽いことではありません。
その一方に、受動攻撃的な怒りがあります。こちらのほうが、もしかするともっと辛いかもしれません。表面では「はい、はい、はい」と言いながら、実際は「いいえ」を貫き、すねて、不機嫌になり、何も言わずにドアを乱暴に閉める人です。復讐や、恨みを反芻すること、相手に代償を払わせたいという思いもあります。そして最後に、慢性的な怒りがあります。絶えず続くいら立ち、ちょっとしたことにも傷つきやすい過敏さ、些細なことでかっとなる状態です。
これらの表し方のどれも、いのちをもたらしません。関係も、正義も、平和も前に進めません。ただ人を閉じ込めるだけです。
4. 正しい表し方:神様の前で名前をつける
正しい方法は、まず「そうです、私は怒っています」と認めることから始まります。そして、それを相手にぶつけるのではなく、まず神様のもとに持って行くのです。神様に伝えます。叫んでもいいのです。神様はすべてを聞いてくださいます。
その後で、落ち着いて相手に言葉で伝えることができます。「あの人たちはみんなこうだ」という一般化はせず、侮辱もせず、あなたを傷つけたその事実だけを、相手を否定することなく正確に伝えるのです。健全な発散方法を見つけることもできます。クッションを叩く、歩く、走る、人のいない場所で叫ぶ。大切なのは、他人を傷つけず、自分自身も傷つけずに、外に出すことです。
最後に、建設的で正しい出口を探します。怒りは、不正に対して「もうやめよう」と言うエネルギーを与えてくれることがあります。境界線を引き、それを回復させる力になります。それが健全な怒りです。
5. 呪いの詩篇から学べること
スライドでは、詩篇37篇が読まれました。「悪を行う者のことでいら立つな。不正を行う者をねたむな。彼らは草のように、すみやかに枯れるからだ……主に信頼せよ。善を行え。そうすればあなたはその地に住み……」。ここに指針があります。事の次第を神様に委ね、心を苦くせず、正しいことを行うということです。
しかし聖書はさらに正直です。聖書には「呪いの詩篇」と呼ばれるものがあります。ダビデが、敵が倒れ、刺し貫かれ、滑り、消え去るようにと神様に求める詩篇です。読んでいて居心地が悪くなる詩篇です。それでも神様はそれをみことばの中に置かれました。なぜでしょうか。
神様は、あなたの嘘偽りのない礼儀正しさより、正直な激しさのほうを好まれるからです。内側では歯を食いしばりながら平和なクリスチャンを演じるより、自分を傷つけたその人への怒りをそのまま神様に伝えてほしいと願っておられるのです。ダビデ、思う存分言えばいい。あなたは父なる神に、何でも打ち明けることができます。怒りが祈りに変わるのは、まさに神様のもとでのことです。そして祈りは、癒しへと変わっていきます。
6. キリストにあって被害者の立場から抜け出す
悪魔は、あなたを被害者の立場にとどめておくことを何より好みます。それは居心地がいいようでいて、実は破壊的です。健全に生きられた怒りは、まさにそこから抜け出す助けになります。あなたを再び立ち上がらせます。あなたを、自分の人生の主人公にしてくれます。
そして聖書は、決定的なことをあなたに思い出させます。本当の意味でのただひとりの贖いのいけにえは、イエス様だけだということです。イエス様があなたの代わりになってくださったのは、あなたがもう傷の中に閉じ込められたままでいなくてもいいようにするためです。人を被害者に仕立てて操ろうとするこの社会の中で、このメッセージは預言的です。あなたは、受けた苦しみの下にとどまり続けるように定められてはいません。キリストがあなたの代わりになってくださいました。あなたは立ち上がることができます。
サンドリーヌも、カティも、パトリシアも、それを経験しました。何年も抑え込まれた怒りが、ある日一気にあふれ出したのです。ある人は付き添ってくれる人との祈りの時間で、ある人は武道の中で、ある人は礼拝での涙の中で。そしてどの人も、行き着く先で同じ証しをしています。「主が私を癒してくださいました。息ができます。もう囚われていません」。
覚えておきたいポイント
- 感情は、たとえ強いものであっても、それ自体が罪ではありません。それをどう扱うかが罪になり得るのです。
- 抑え込まれた怒りは決して消えません。強迫的な行動、身体化、完璧主義、反抗、爆発として表れてきます。
- 怒りの間違った表し方(爆発的、受動攻撃的、慢性的、自分自身に向けられたもの)は、あなた自身も他人も傷つけます。
- 正しい表し方は、まず神様の前で怒りに名前をつけること(呪いの詩篇のように、飾らない言葉であっても)、そして、一般化や侮辱をせずに、落ち着いて相手に伝えることです。
- キリストだけが唯一の贖いのいけにえです。キリストにあって、あなたはもう傷の下にとどまり続ける定めにはありません。
自分への適用
- 今日、「あまりクリスチャンらしくない」と自分で判断して、いつも抑え込んでいる感情はどんなものですか。それを神様の前で名前をつけることができますか。
- 抑え込んだ怒りは、あなたの中でどのように表れますか。体に、他人への批判に、完璧主義に、静かな反抗に。
- まだ解決されていない、古い怒りがありますか。それを主が、ついに神様の前に持ち出すよう招いておられることはありますか。
- 自分だけの「呪いの詩篇」を書く準備はできていますか。あなたを傷つけたその人に対して、本当に感じていることを、飾らずに神様に伝えてみませんか。
- キリストがあなたのためにしてくださったことを受け取るために、どの分野で被害者の立場から抜け出す必要がありますか。
引用聖句
- 詩篇 37篇・「悪を行う者のことでいら立つな。不正を行う者をねたむな……」
- 詩篇 35篇・ダビデによる呪いの詩篇。
- 詩篇 109篇・もうひとつの呪いの詩篇。飾らず、正直に神様の前に置かれたもの。
- ガラテヤ 5:22-23・御霊の実:愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制。
よくある質問
クリスチャンにとって、怒ることは罪ですか。
いいえ、それ自体は罪ではありません。エペソ 4:26にはこうあります。「怒っても、罪を犯してはならない」。罪になり得るのは、怒りをどう扱うかです。復讐すること、恨みを持ち続けること、人を傷つける爆発、あるいは反対に、自分を壊してしまうほどの抑え込みです。イエス様ご自身も、神殿で怒りを表されました。大切なのは、その怒りを神様の前で生き、破壊ではなく正義を生み出すものとして用いることです。
怒りが何度も繰り返しこみ上げてくるときは、どうすればいいですか。
それは日々の戦いであり、心の中に開いてしまった道を、少しずつ閉じていく作業です。怒りがこみ上げてきたら、すぐにこう言えるように練習してみてください。「主よ、これをあなたにお渡しします。あとはあなたにお任せします」。助けを求めることも大切です。信頼できる兄弟姉妹、誰かに付き添ってもらう祈りの時間などです。時には、とても古い怒りが、内なる癒しの時間によって解放される必要がある場合もあります。
怒りの表し方がうまくいっていない人を、どう助ければいいですか。
相手のペースに乗らないでください。侮辱には侮辱で返さないでください。落ち着いたままでいて、自分の限界をはっきりと示し、できるなら、対立をあおらないことで場を鎮めましょう。そして、その人のために祈ってください。爆発的な怒りの多くは、決して癒されたことのない深い傷を隠しています。主はその傷を癒すことがおできになります。
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