はじめに
2025年8月のある日曜日、横浜シオン教会は、太平洋戦争の終結から現代までを隔てる八十年という歳月を振り返りました。牧師は一つの家族の物語からメッセージを始めます。戦時中、ニューギニアに派遣された若き将校、高村不二夫兄弟の物語です。補給が絶たれる中、彼はわずかな米を部下たちに分け与えながら、こう言っていました。「私は大丈夫だから、お前たちが食べなさい」。彼は銃弾に倒れたのではありません。飢えのために、部隊の中で最初に亡くなったのです。故郷に戻ったある兵士が、家族の前にひざまずいて、こう語りました。「あなたの兄が、私の命を救ってくれたのです」。
この物語は、今日、信者であるとはどういうことかについての黙想の扉を開きます。戦争や時間、試練が過ぎ去った後に何が残るのか、という問いです。今日の本文はテサロニケ人への手紙第一1:6-7です。パウロはテサロニケの信者たちに、彼らがすべての信者にとっての模範となったと語ります。4節から10節に、三つの特徴が浮かび上がります。福音によって変えられた心の三つの特徴。それは、あなた自身の人生の中にも見出すことができるものです。
メッセージの構成
- あなたは神に愛され、選ぶ前からすでに選ばれている
- 聖霊はみことばを通してあなたの内に働く
- 救いの経験は、最後まで鮮やかであり続ける
1. あなたは神に愛され、選ぶ前からすでに選ばれている
パウロはこう書いています。「神に愛されている兄弟たちよ、私たちは、あなたがたが選ばれた者であることを知っています」(テサロニケ人への手紙第一1:4)。牧師はしばしばヨハネの福音書15:16のこの箇所に立ち返ります。「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです」。
これは逆転です。あなたは自分自身を高めたのではありません。あなたは自分の力で信仰を勝ち取ったのではありません。クリスチャンが人口の一パーセントにも満たないこの国で、イエスの招きを聞いたということ自体が、すでにあなたが神によって選び分けられたしるしなのです。それは、あなたが何かを生み出すからでも、何かの役に立つからでもなく、あなたの存在そのものが神にとって必要だからです。神はあなたを選び、いつまでも残る実を結ばせようとしておられます。ヨハネの福音書15:16の続きはこう語ります。「それは、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです」。
ですから、聖書を開くとき、それを解読すべきマニュアルとして読まないでください。あなたを愛する父から届いた、多くを語りたいと願う手紙として読んでください。この書物がこれほど分厚いのはそのためです。神はあなたに分かち合いたいことに事欠かないのです。子どものように、それを受け取ってください。
2. 聖霊はみことばを通してあなたの内に働く
信者の第二の特徴、6節にあります。「あなたがたは多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちと主とに倣う者となりました」(テサロニケ人への手紙第一1:6)。
喜び、祈り、感謝。パウロは5章でこのことに再び立ち返ります。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。御霊を消してはなりません」(テサロニケ人への手紙第一5:16-19)。これらのものは、あなたの意志だけで勝ち取れるものではありません。それらは、あなたが十字架に心を開くとき、あなたの内なる聖霊から湧き出てくるものです。
信仰とは、奪い取るものではありません。信仰とは、受け取るものです。あなたが口を大きく開き、神がそれを満たしてくださるのです。人間の世界では、何もせずに手を差し出すことは怠惰と呼ばれます。しかし神の御国では、それは知恵です。「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見出します。門をたたきなさい。そうすれば開かれます」(マタイの福音書7:7)。
そして、人生があなたをひざまずかせるようなとき、どうすればよいでしょうか。パウロがローマ人への手紙8:31-39で書いていることを思い出してください。「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょうか……死もいのちも……ほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」。これを書いたパウロは、ステパノの殉教に立ち会い、兄弟たちを牢に入れ、教会を迫害していた人物です。イエスがダマスコへの途上で彼を止められるまでは。彼は「自分は資格がない」とは言いません。彼はこう宣言します。「私たちは、私たちを愛してくださった方によって、圧倒的な勝利者です」。それこそが信者です。過去は十字架で決着がつき、今日の人生は神の愛によって支えられているのです。
同じ教会のもう一つの物語がこれを物語ります。戦争から戻った若戸金平兄弟は、岸田愛治牧師の礼拝に戻ってきます。戦前、この牧師は神の聖さを刃のように語っていました。戦後、彼はただ神の愛だけを語るようになりました。若戸ははじめ、「牧師は堕落してしまったのだ」と思いました。しかし、家に帰ってヨハネの福音書を再び開いたとき、彼は理解したのです。神は確かに聖い方であり、汚れなく、少しの染みもない方です。しかし、その聖さは愛として現れるのです。そしてその証拠が十字架です。そのとき彼の目が開かれ、自分が戦争を生き延び、故郷に帰れたこと、そのすべてが恵みであったことを理解したのです。
3. 救いの経験は、最後まで鮮やかであり続ける
第三の特徴、9節から10節です。「彼らが語っているのは……あなたがたが、偶像を捨てて神に立ち返り、生けるまことの神に仕えるようになったこと、そして御子が天から来られるのを待ち望むようになったこと。神が死者の中からよみがえらせた御子イエスは、来たるべき御怒りから私たちを救い出してくださる方です」(テサロニケ人への手紙第一1:9-10)。
牧師の個人的な思い出です。今から約四十年前、若い学生だった彼は、あるリトリートで食卓を共にしていました。彼の隣には、すでにかなり高齢だった若戸兄弟がいました。彼はごくシンプルな質問を投げかけました。「これほど多くの奇跡を経験されてきたあなたにとって、救いにまつわる一番の喜びの思い出は何ですか」。老人はためらうことなく、一瞬考える間もなく答えました。「それは、二十歳のとき、イエスを自分の救い主として信じ、バプテスマを受けたあの日です」。
戦争のこと、ニューギニアでの奇跡的な生還のこと、教会の再建のこと、信じられないような数々の証し。しかし、彼にとってそれよりも重いものは何もありませんでした。バプテスマを受けたあの日にまさるものは、何もなかったのです。そのことばを口にしたとき、彼の顔は子どものような喜びで輝きました。「天使のような笑顔だった」と牧師は語ります。これこそが、最後まで歩み続ける信者の姿です。イエスへの最初の「はい」の喜びが、決して色あせることのなかった人なのです。
覚えておきたいポイント
- あなたが神を選んだのではありません。神があなたを選ばれたのです。あなたが礼拝に集うこと、みことばを読むこと、それ自体がすでに、あなたが愛されている証拠です。
- 信仰は勝ち取るものではなく、受け取るものです。口を大きく開いてください。神が満たしてくださいます。
- 試練は弱い信仰のしるしではありません。それはむしろ、敵があなたの光を見て、それを消そうとしているしるしかもしれません。
- 神の聖さは押しつぶすものではなく、愛として現れます。その証拠が十字架です。
- 信者が長く歩み続けられるのは、救いの喜びが人生の終わりまで生き続けているときです。
あなた自身への適用
- 今週、聖書を開くとき、それを解読すべき書物としてではなく、あなたに多くを語りたい父からの手紙として読むことができるでしょうか。
- あなたの人生の中に、自分の失敗の証拠として受け止めている試練はないでしょうか。それを、神があなたにご自分の力を経験させようとしておられる場として読み直すことができるでしょうか。
- あなたはまだ、自分の力で信仰を勝ち取ろうとしていませんか。それとも、両手を開いて、それを受け取ることを学んでいますか。
- もし今日尋ねられたら、あなたにとって救いにまつわる一番の喜びの思い出は何でしょうか。それは今も生きているでしょうか、それとも呼び覚ます必要があるでしょうか。
- あなたの周りに、神が自分を選ぶ前から、自分自身が神を選んだと思っている人はいませんか。誰にそのことを伝える必要があるでしょうか。
引用された聖句
- テサロニケ人への手紙第一1:4-10 - 本文
- テサロニケ人への手紙第一5:16-19 - 喜び、祈り、感謝
- ヨハネの福音書15:16 - 「あなたがたがわたしを選んだのではありません」
- ヨハネの福音書3:16 - 世に対する神の愛
- マタイの福音書7:7 - 「求めなさい、そうすれば与えられます」
- ローマ人への手紙8:26-39 - 何も神の愛から引き離すことはできない
- 使徒の働き17:1-9 - テサロニケの教会の設立
よくある質問
信者にとって「模範である」とはどういう意味ですか。
それは、道徳的に完璧な手本になるということではありません。自分が神に愛されていること、聖霊が働いておられること、そして救いの喜びが本物であることを、自分の人生の中で具体的に見えるようにすることです。テサロニケの信者たちはこの三つの特徴を身につけており、パウロはそれがあらゆる所で知れ渡ったと語っています。
試練に直面しているなら、私の信仰は弱いということですか。
いいえ。牧師のメッセージが思い起こさせるように、あなたの人生が神に向かっているまさにそのときに、敵はあなたをつまずかせようとしてくることがよくあります。試練はあなたに対する裁きではありません。それを、神にご自分の愛と力を経験させてくださいと願うための招きとして受け止めてください。
何年たっても、救いの喜びをどうすれば生き生きと保てますか。
最初の「はい」に、定期的に立ち返ることによってです。若戸兄弟が、八十歳を過ぎてもなお、迷うことなく、自分の一番の喜びはバプテスマを受けた日だと答えたように。自分の物語を語ってください。それを書き留めてください。それを分かち合ってください。語られたものは、よみがえるのです。
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