ノアのように、神の目に恵みを見出す

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はじめに

昨日は1月17日でした。阪神・淡路大震災が神戸を襲ってから、今や三十年以上が経ちました。多くの人が、あの朝のことをまだ覚えています。揺れ、遠くに上がる火の手、愛する街が煙に包まれていく光景、そして、すべてが崩れ落ちるときに心の中に湧き上がってくる、あの恐ろしい思い。「これは世の終わりだ。」

それ以来、中越地震、熊本地震、東日本大震災、そして最近の能登半島地震がありました。そのたびに、同じめまいが戻ってきます。もしかしたら明日は、自分の通りで、自分の家で、自分の体で起こるかもしれない。そして、聖書はこの恐れから逃げません。聖書は、私たちがいるまさにその場所で、私たちに寄り添います。この日曜日、あなたは創世記6章を開くよう招かれています。そこには、大地そのものがひっくり返ったかのように見えたとき、神が何をなさったかが記されています。神はある一人の人を見つめられ、その人は神の目に恵みを見出したのです。

説教の構成

1. 地が揺れるときも、神はその真ん中にとどまられる

詩篇46篇はこう言います。「それゆえ、私たちは恐れない。たとい地が変わり、山々が揺れて海の真中に移るとも。」この詩篇はおそらく、アモス書1章1節に記されているウジヤ王の時代、イスラエルで起きた大地震の後に歌われたものです。つまり、この詩篇の著者たちは、自分たちが何について語っているのかをよく知っていたのです。

5節はこう続きます。「神はその中におられ、都は揺るがない。神は夜明け前にこれを助けられる。」この「夜明けに」あるいは「夜明け前に」というのは、最も暗い時刻のことです。それは、あなたがもはや出口を見出せなくなる瞬間です。そして、まさにそこにこそ、神はとどまっておられます。その真ん中に。遠く離れたところではなく、すべてがうまくいくようになったときでもなく、地震のただ中にです。

2. 問題は自然にあるのではなく、人間の心にある

創世記6章1〜8節を開いてください。前の章では、族長たちが900年、912年、そしてメトシェラは969年生きています。しかし神は3節でこう言われます。「わたしの霊は、いつまでも人のうちにとどまることはない。人は肉にすぎないからだ。人の齢は百二十年にしよう。」

洪水の前には、大気圏の上に水蒸気の層があり、有害な光線を遮り、私たちがもはや知らないような長寿を可能にしていた、と考える科学者たちもいます。しかし、どの説を取るかは重要ではありません。聖書がはっきりと語っているのは、世界の混乱は、まず何よりも地球のせいでも、時の経過のせいでもないということです。それは人間の罪から来ているのです。5節にはこうあります。「主は、地上に人の悪が増大し、その心に思い図ることがみな、いつも悪いことだけであるのを見られた。」

覚えておいてください。あなたの周りに見える亀裂(自然の中の、人間関係の中の、そしてあなた自身の心の中の)は、外側の調整によっては解決しません。それらは、根本にまで届いてくださるイエスの十字架によって解決されるのです。

3. ノアは主の目に恵みを見出した

8節に、一つの転換があります。「しかし、ノアは主の目に恵みを見出した。」脚注には、より直訳的な訳としてこう記されています。「ノアは主の目の中に恵みを見出した。」目の中に、です。まるで、二つのまなざしが交わるように。

この日曜日、母親のための部屋で、まだ一歳にもならない小さな子どもが私に近づいて来ました。その子は私をまっすぐに、目をじっと見つめました。それから、おもちゃの箱を見ました。そして、私が同じ方向を見るのを待ってから、私の指をつかみ、その箱のほうへ引っ張っていきました。メッセージはこうです。「開けて。」私は従いました。

それが、このイメージです。主の目に恵みを見出すとは、偉業を成し遂げることではありません。それは、顔をそむけることなく主のまなざしを求め、自分が抱えているものを、ただそのまま語ることです。罪とは、実のところ、その逆のことです。目をそらすこと、御顔を避けることです。ノアは、目をそらしませんでした。

4. ノアは「誠実な」人だった:単純な心

創世記6章9節はこう言います。「ノアはその時代にあって正しい、誠実な人であった。ノアは神とともに歩んだ。」ヘブル語のタミムという言葉は、「誠実な」と訳されていますが、ヨブ記1章1節で、ヨブについても使われています。いくつかの翻訳は「全き」「非のうちどころのない」「純粋な」と訳し、また別の翻訳は「傷のない」と訳します。どれも、何か真実なことを言い当てていますが、あえて要約するなら、タミムとは、単純な心、遠回りのない心、信頼する心のことです。

もし誰かがあなたに「あなたは非の打ちどころがない」と言ったなら、あなたはおそらくこう答えるでしょう。「からかっているのですか。」私もそうです。私たちは、罪から赦された者であって、完成された聖人ではありません。しかし神の前で大切なのは、完璧であることではなく、そこにいることです。隠れないことです。疑い、不平を言い、泣き、叫んだ後でさえ、その御顔のまなざしに戻ってくることです。イエスの十字架のゆえに、神はあなたを、ノアを迎え入れられたように迎え入れてくださいます。

5. シャローム:あなたの人生全体を覆う平安

ピリピ4章6〜7節はあなたにこう告げます。「何も思い煩わないで、あらゆることについて、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」

この「平安」は、ヘブル語ではシャロームです。それは、単なる内面の落ち着きではありません。体の健康であり、日々の糧であり、経済的な安定であり、和解された人間関係であり、危険のただ中にある守りです。神は、御顔を求める者に応えられるとき、魂への慰めだけを与えられるのではありません。あなたの人生のすべての段階を覆ってくださいます。それこそ、ノアが洪水のただ中で経験したことです。

6. 箱舟、バプテスマ、そしてイエスに向けられたまなざし

第一ペテロ3章20〜21節はこうつなげます。「ノアが箱舟を建てていた間、その中で水を通って救われたのはわずか八人でした。この水は、今、あなたがたを救うバプテスマを象徴するものです。それは、からだの汚れを除くことではなく、イエス・キリストの復活によって、正しい良心を神に願い求めることです。」

バプテスマとは、それ自体で罪を洗い流してしまう魔法の儀式ではありません。それは、「イエスよ、私はあなたを主また救い主として受け入れます」と言った心の、公の証しです。そして神は、ノアを箱舟の中に置かれたように、あなたをキリストの内に、その死と復活の内に置いてくださいます。

要点のまとめ

  • 神は地震の瞬間に遠ざかられるのではなく、そこに身を置かれます。神は最も暗い時刻に「夜明けに」助けてくださいます。
  • 世界の本当の混乱は、まず気候的でも地質的でもありません。それは道徳的なものです。イエスの十字架は、その根に働きかけます。
  • 神の目に恵みを見出すとは、非の打ちどころのないことではありません。それは、そのまなざしを求め、率直に語ることです。
  • ノアの誠実さを表す「タミム」は、霊的な実績ではなく、信頼する単純な心を表しています。
  • 神が与えてくださるシャロームは、魂、体、家庭、財政、人間関係を覆います。

個人的な適用

  • 今日、あなたに「すべてが終わった」と言わせる「揺れ」は何ですか。子どもが欲しいものを名指すように、それを神に名指すことができますか。
  • ここ数週間、あなたはどこで神から目をそらしましたか。祈りの中で、あなたは何を避けていますか。
  • もしあなたが自分の実績を、シンプルな「主よ、私を見てください。私にはあなたが必要です」に置き換えたなら、何が起こるでしょうか。
  • あなたが神の平安から除外していた領域(健康、お金、人間関係)はありますか。それを神に委ねることができますか。
  • あなたがバプテスマを受けているなら、いつ最後にそれを思い返しましたか。まだであれば、教会の責任者に相談することを妨げているものは何ですか。

引用聖句

よくある質問

「神の目に恵みを見出す」とはどういう意味ですか。

それは、努力によって神の承認を勝ち取ることではありません。それは、神のまなざしを求め、神があなたを探しておられるときに逃げず、あなたが抱えているものを率直に語ることです。ノアは完璧ではありませんでした。彼は神に向かってまなざしを保ち続け、神はそれに応えられたのです。

創世記6章3節で、人の寿命を120年に制限されたのですか。

本文は、この制限を人間の心の増大していく腐敗と結びつけています。神はここに、単なる生物学的な制約だけでなく、私たちが被造物であることを思い起こさせるしるしを見ておられます。また、洪水が来る前の神の忍耐の猶予期間の予告と見る読者もいます。

バプテスマそれ自体が救うのですか。

いいえ。第一ペテロ3章21節は、救うのは「からだの汚れを除くこと」ではなく、イエスの復活に基づく「正しい良心を神に願い求めること」であると明確にしています。バプテスマは信仰を目に見える形にします。救いを受け取るのは、キリストに対する信仰なのです。

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