聖書 — 口語訳 (1955)
詩篇 46
概要
詩篇46篇は、コラの子たちの歌です。神はわれらの避け所、また力であり、悩みのときに必ず助けてくださる方であるという告白で始まります。地が変わり、山々が揺らぎ、海の水が荒れ狂うという、力強いたとえが続きます。それでも、神の都を喜ばせる川があります。神がその中におられるからです。詩は次に、主がなされたことを見よと招き、戦いをやめさせられる方を示します。10節で神は言われます。やめよ、わたしこそ神であることを知れ。
表題によると、詩篇46篇はコラの子たちの歌です。コラの子たちは、神殿で歌を受け持っていたレビ人の一族です。アラモテにあわせて、という表記は音楽上の指示で、正確な意味は不明ですが、高い声を指すのかもしれません。共同体の信頼を歌った詩で、エルサレムを神の住まう都として祝うシオンの歌の一つに数えられることが多いものです。表題は状況を述べていません。ヒゼキヤ王の時代に、アッスリヤの軍勢からエルサレムが救われたことの響きを聞く人もいますが(列王紀下19章)、本文はそう語っていません。「万軍の主はわれらと共におられる」というくり返しの言葉は、二度出てきます。マルティン・ルターはこの詩に着想を得て、宗教改革の大賛美歌『神はわがやぐら』を作りました。今日も信仰者は、災害や戦争、個人的な危機の中で、すべてが崩れそうなときにこの詩を読みます。
この章の3つの区分
1神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。
2このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。
3たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、そのさわぎによって山は震え動くとも、われらは恐れない。
4一つの川がある。その流れは神の都を喜ばせ、いと高き者の聖なるすまいを喜ばせる。
5神がその中におられるので、都はゆるがない。神は朝はやく、これを助けられる。
6もろもろの民は騒ぎたち、もろもろの国は揺れ動く、神がその声を出されると地は溶ける。
7万軍の主はわれらと共におられる、ヤコブの神はわれらの避け所である。
8来て、主のみわざを見よ、主は驚くべきことを地に行われた。
9主は地のはてまでも戦いをやめさせ、弓を折り、やりを断ち、戦車を火で焼かれる。
10「静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる」。
11万軍の主はわれらと共におられる、ヤコブの神はわれらの避け所である。
詩篇46篇を節ごとに読む
1-3節地が揺れるときも、神は確かな避け所
詩は信仰の宣言で始まります。「神はわれらの避け所また力である」。避け所とは身を寄せて守られる場所、力とは立ち続けるための支えです。神はまた「悩める時のいと近き助け」で、原語の直訳は、たやすく見いだせる助けです。そこから、「われらは恐れない」という結論が生まれます。続く像は最悪の事態を描きます。地は変り、山は海の真中に移り、水は鳴りとどろきます。イスラエルの人々にとって、山は安定の、海は混沌の象徴でした。この詩は、地が決して揺れないとは約束していません。地が揺れても、動かれない神に信頼は立ち続けると語ります。原文のセラは、しばし立ち止まるよう促す言葉とされ、この真理があなたの心に届くのを待つよう招いています。
4-5節神の都の中を流れる、喜びの川
場面が急に変わります。鳴りとどろく水に対して、静かな川があり、その流れが神の都を喜ばせます。エルサレムには大きな川はなく、あるのは泉だけでした。川は、神の民を養い、潤し、喜ばせる神の臨在を表すたとえです。聖書はこの川を、エデンの園(創世記2章10節)から、神と小羊との御座から流れ出る命の水の川(ヨハネの黙示録22章1節)まで描き続けます。5節は、都が揺るがない理由を示します。「神がその中におられる」からです。同じ原語の動詞が三度出てきます。山は海に移り、国々は揺れ動くのに、神の都だけはゆるがないのです。神は朝はやく、不安の夜が終わるころに助けてくださいます。新約聖書では、この都は、御霊によって神のすまいとなるよう召された神の民となります(エペソ人への手紙2章22節)。
6-7節国々は騒いでも、万軍の主はわれらと共におられる
荒れ狂う自然のあとは、民が騒ぎます。国々が騒ぎたち、王国が揺れ動くのは、今度は政治という嵐のようです。しかし神が声を出されるだけで、地は溶けます。人を恐れさせる権力が、いちばん強いわけではありません。そこにくり返しの言葉が来ます。「万軍の主はわれらと共におられる」。万軍の主とは、天の軍勢を率い、すべての力を治める神のことです。それほど大きな方が、われらと共におられるのです。これは、福音書がイエスに与える名、インマヌエル、つまり神が私たちと共におられるという名にすでに現れています(マタイによる福音書1章23節)。神はヤコブの神でもあります。弱さの多かった人を、神は決して見放されませんでした。7節の「避け所」は、高い所にあって敵の手が届かない砦を指します。ニュースに不安になるとき、このくり返しは唱えるためにあります。
8-9節戦いをやめさせられる神を見に来なさい
詩は今度は、見るように招きます。「来て、主のみわざを見よ」。主が地に行われた驚くべきことは、偶然に降りかかる災害ではありません。主は地のはてまでも戦いをやめさせ、弓を折り、やりを断ち、戦車を火で焼かれます。壊すために壊すのではなく、人を殺すための武器を滅ぼされるのです。これは、神だけが築くことのできる平和の幻です。預言者たちも、剣が打ち直されてすきになる日を告げています(イザヤ書2章4節)。私たちはまだ、それを完全には見ていません。戦争は続き、この詩はその苦しみを否定しません。しかし、平和の君であるキリストがその支配を完成される日へと、私たちの目を向けさせます。それまでの間、この詩はあなたに、望みを持ち、平和のために祈る理由を与えます。
10-11節静まって、神が神であることを知る
10節では、神ご自身が語られます。「静まって、わたしこそ神であることを知れ」。「静まって」と訳された原語は、力を抜く、手を下ろす、やめる、という意味です。文脈では、この命令はまず戦う国々に向けられています。武器を置き、地を治めておられるのがだれかを認めなさい、ということです。慌てて取り乱しそうになる神の民にも向けられています。この節は、神の前での静けさへの招きとしてよく読まれます。それは正しい適用ですが、本来の意味を保つことが条件です。これはリラックスの技法ではなく、神が王として治めておられることを認めることです。最後にもう一度、万軍の主がわれらと共におられるというくり返しの言葉が戻り、詩を閉じます。あなたにとって静まるとは、すべてを自分で支配しようとするのをやめ、あなたの状況の中で神に神であっていただくことかもしれません。
詩篇46篇の祈り方
この詩篇を祈るとき
- 災害や地震、洪水が自分の地域や大切な人を襲ったとき。
- 戦争や危機のニュースで眠れなくなるとき。
- 別れ、解雇、つらい診断などで、自分の人生が崩れていくように感じるとき。
- あわただしさに押し流されそうで、神の前で立ち止まる必要があるとき。
- 教会が嵐の中にあり、神がその中におられることを思い起こしたいとき。
- 恐れている試練を前に、万軍の主があなたと共におられることを、もう一度確かめたいとき。
詩篇46篇に基づく祈り
主よ、あなたは私たちの避け所、また力であり、悩みのときのいと近き助けです。今日、足もとの地が動いているように感じます。私の人生の中で何が揺れているか、私を怖がらせる知らせ、私より高く見える波を、あなたはご存じです。強いふりはしたくありません。それでも私は、あなたが動かれない方であることを思い出すことを選びます。神の都を喜ばせるあなたの川、あなたの臨在を、私の中にも流してください。私の中に、私の家族の中に、あなたの教会の中にいてくださり、朝はやく私たちを助けてください。国々が騒ぐとき、あなたの声が最後の言葉であることを思い出させてください。戦いをやめさせられる方よ、争いのある所に、私の近くにも地のはてにも、平和をもたらしてください。私は慌てふためくのをやめます。担いきれないものを置き、あなたが神であることを認めます。あなたは万軍の主で、私たちと共におられます。ヤコブの神、私の避け所です。アーメン。
鍵となる聖句
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説教が語っていること
詩篇46篇についてよくある質問
詩篇46篇はどういう意味ですか
大災害のさなかにも、神は避け所であると告白する歌です。地が揺らぎ、国々がざわめいても、神はご自分の民の中におられ、支えてくださいます。万軍の主が私たちとともにおられるというくり返しの言葉は、神の臨在こそがまことの安全であることを思い出させます。
やめよ、わたしこそ神であることを知れとはどういう意味ですか
10節で神は、戦いの中にある国々と、不安にある民に語っておられます。騒ぐのをやめ、神の主権を認めるよう求めておられるのです。信じる者にとっては、困難を否定することなく、静まって神に信頼するようにという招きです。神は地と出来事を治めておられます。
詩篇46篇をどのように祈ればよいですか
1節を声に出して読み、今揺らいでいるものを神の前に挙げます。次に、7節と11節のくり返し、万軍の主は私たちとともにおられる、を信頼の言葉として祈ります。10節で、しばらく静まりましょう。何も言わずに、神が神であることを認めて終えます。
詩篇 46を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。