聖書 — 口語訳 (1955)
詩篇 109
概要
詩篇109篇は、いわれなく訴えられ、理由なく憎まれたダビデの祈りです。ダビデは、非難に対して愛と祈りで応えます。詩の中心では、敵に対する裁きを非常に厳しい言葉で神に求めており、のろいの詩篇の一つとされています。多くの人は、それを復讐ではなく神にゆだねられた、正直な叫びと受け取ります。新約聖書では、ペテロがこの詩をユダに当てはめています。ダビデは、神の名のゆえに行動してくださるよう願って結びます。神は貧しい者の右に立って、救ってくださるからです。
表題によると、詩篇109篇は、指揮者にゆだねられたダビデの詩です。個人の嘆きの詩で、敵に対する神のさばきを求める祈り、いわゆるのろいの詩篇の中でも、とりわけ厳しいものの一つです。表題は状況を述べていません。分かっているのは、ダビデが、愛してきた人々から中傷され、理由なく憎まれているということだけです。新約聖書は8節を、イエスを裏切ったユダについて引用しています(使徒行伝1章20節)。クリスチャンはこののろいの言葉をさまざまに読みます。神にゆだねられた痛みの叫び、裏切り者についての預言の言葉、あるいはダビデが紹介している敵の言葉、という読み方です。公の祈りではこの詩を省く典礼もあります。敵に災いが及ぶよう唱える祈りとして紹介されることもありますが、それは誤用です。この詩が教えるのは、自分の訴えを神にゆだねることであり、人をのろうことではありません。
この章の4つの区分
1わたしのほめたたえる神よ、もださないでください。
2彼らは悪しき口と欺きの口をあけて、わたしにむかい、偽りの舌をもってわたしに語り、
3恨みの言葉をもってわたしを囲み、ゆえなくわたしを攻めるのです。
4彼らはわが愛にむくいて、わたしを非難します。しかしわたしは彼らのために祈ります。
5彼らは悪をもってわが善に報い、恨みをもってわが愛に報いるのです。
6彼の上に悪しき人を立て、訴える者に彼を訴えさせてください。
7彼がさばかれるとき、彼を罪ある者とし、その祈を罪に変えてください。
8その日を少なくし、その財産をほかの人にとらせ、
9その子らをみなしごにし、その妻をやもめにしてください。
10その子らを放浪者として施しをこわせ、その荒れたすまいから追い出させてください。
11彼が持っているすべての物を債主に奪わせ、その勤労の実をほかの人にかすめさせてください。
12彼にいつくしみを施す者はひとりもなく、またそのみなしごをあわれむ者もなく、
13その子孫を絶えさせ、その名を次の代に消し去ってください。
14その父たちの不義は主のみ前に覚えられ、その母の罪を消し去らないでください。
15それらを常に主のみ前に置き、彼の記憶を地から断ってください。
16これは彼がいつくしみを施すことを思わず、かえって貧しい者、乏しい者を責め、心の痛める者を殺そうとしたからです。
17彼はのろうことを好んだ。のろいを彼に臨ませてください。彼は恵むことを喜ばなかった。恵みを彼から遠ざけてください。
18彼はのろいを衣のように着た。のろいを水のようにその身にしみこませ、油のようにその骨にしみこませてください。
19またそれを自分の着る着物のようにならせ、常に締める帯のようにならせてください。
20これがわたしを非難する者と、わたしに逆らって悪いことを言う者の 主からうける報いとしてください。
21しかし、わが主なる神よ、あなたはみ名のために、わたしを顧みてください。あなたのいつくしみの深きにより、わたしをお助けください。
22わたしは貧しく、かつ乏しいのです。わたしの心はわがうちに傷ついています。
23わたしは夕日の影のように去りゆき、いなごのように追い払われます。
24わたしのひざは断食によってよろめき、わたしの肉はやせ衰え、
25わたしは彼らにそしられる者となりました。彼らはわたしを見ると、頭を振ります。
26わが神、主よ、わたしをお助けください。あなたのいつくしみにしたがって、わたしをお救いください。
27主よ、これがあなたのみ手のわざであること、あなたがそれをなされたことを、彼らに知らせてください。
28彼らはのろうけれども、あなたは祝福されます。わたしを攻める者をはずかしめ、あなたのしもべを喜ばせてください。
29わたしを非難する者にはずかしめを着せ、おのが恥を上着のようにまとわせてください。
30わたしはわが口をもって大いに主に感謝し、多くの人のなかで主をほめたたえます。
31主は貧しい者の右に立って、死罪にさだめようとする者から 彼を救われるからです。
詩篇109篇を節ごとに読む
1-5節中傷され、理由なく憎まれても、ダビデは祈りで答える
詩は呼びかけで始まります。「わたしのほめたたえる神よ、もださないでください」。ダビデには、神以外の全員が自分に敵対して語っているように思えます。敵は悪しき欺きの口を開き、恨みの言葉で彼を囲み、ゆえなく攻めます。最もつらいのは4節です。敵は、彼が愛している人々なのです。彼らは善に悪で、愛に恨みで報います。ダビデはどうするのでしょうか。「しかしわたしは彼らのために祈ります」。原文はさらに強く、直訳すれば『わたしは、祈り』です。ダビデの全存在が祈りになります。彼は中傷に中傷で答えません。イエスも同じように理由なく憎まれ(ヨハネによる福音書15章25節)、やはり祈りで答えられました。不当に訴えられているなら、最初の一歩はこれです。だれかを悪く言う前に、神に語ることです。
6-13節今日の私たちを驚かせる、非常に厳しいのろいの言葉
ここで調子は、まれに見る激しさになります。文は複数形から単数形に変わり、特定の一人を指します。彼が罪ある者とされ、その日が少なくなり、「その財産をほかの人にとらせ」と祈りは続き、災いは妻や子どもたちにまで及びます。これらの言葉は衝撃的です。そのことは正直に認める必要があります。読者の意見は一致しません。ダビデが、敵が自分に向けて口にするのろいを引用していると考える人がいます。神の前でありのままに語られたダビデ自身の怒りと見る人もいます。ペテロは8節をユダに当てはめました(使徒行伝1章20節)。6節で「訴える者」と訳された言葉はヘブル語のサタンで、裁判での敵対者を指します。どの読み方でも、これらの節はだれかに向けて唱える文句ではありません。傷ついた人の痛みがどこまで行きうるかを示し、聖書はそれを隠していません。
14-20節のろいを好んだ者と、神にゆだねられる正義
願いは続きます。彼の父たちの不義が主の前に覚えられ、彼の記憶が地から断たれるように、という願いです。16節と17節がその理由を語ります。この人はいつくしみを施すことを思わず、貧しい者、乏しい者を責め、心の痛める者を殺そうとしました。彼はのろうことを好み、恵むことを喜びませんでした。詩は、彼がのろいを衣のように着たとおり、それが彼の着物となるよう求めます。20節は決定的な一言を加えます。この報いは主からうけるものです。さばきを神にゆだねるとは、神に罰を指図することではありません。自分で復讐するのをやめ、受けた悪について真実を語り、人の心を知り、罪ある者を悔い改めに導くこともできる正しい審判者に決めていただくことです。パウロも言います。自分で復讐せず、神の怒りにゆだねなさい(ローマ人への手紙12章19節)。
21-25節しかし、わが主よ:傷ついた心の苦しみ
21節は転換点です。「しかし、わが主なる神よ」。ダビデは敵のことを語るのをやめ、神に向かいます。自分の功績には頼らず、神のみ名のために、そしてそのいつくしみが深いゆえに働いてくださるよう願います。それから、飾らずに自分の苦しみを語ります。貧しく乏しく、心は内で傷ついています。夕日の影のように去りゆき、いなごのように追い払われる思いです。断食でひざがよろめくほど衰え、彼を見る人々は、あざけって頭を振ります。この仕草を、十字架につけられたイエスの前でも通行人たちがします(マタイによる福音書27章39節)。前の節の怒りの背後には、打ち砕かれた一人の人がいるのです。不正に傷ついているなら、神はあなたにも、怒りだけでなく、弱さも打ち明けるよう招いておられます。
26-29節人がのろうとき、神が祝福される
ダビデは叫びをくり返します。「わが神、主よ、わたしをお助けください」。敵が、自分の救いに神のみ手を認めることを願っています。28節には光に満ちた言葉があります。「彼らはのろうけれども、あなたは祝福されます」。人ののろいは全能ではなく、最後の言葉は神の祝福にあります。29節は、敵が恥をまとうことを求めます。つまり、その偽りが暴かれることです。新約聖書はさらに進み、神が祝福されるに任せるだけでなく、信じる者自身が祝福するよう招きます。イエスは敵を愛し、のろう者を祝福するよう言われ(ルカによる福音書6章27節から28節)、パウロは祝福してのろってはならないと書き(ローマ人への手紙12章14節)、互いに赦し合うよう勧めます(エペソ人への手紙4章32節)。十字架の上でイエスは、自分をはりつけにした者たちのために祈られました(ルカによる福音書23章34節)。
30-31節神は貧しい者の右に立って、守ってくださる
詩は公の賛美で結ばれます。ダビデは、試練の結末を見る前から、多くの人のなかで主をほめたたえると誓います。理由は最後の節にあります。「主は貧しい者の右に立って」。6節を思い出しましょう。原文では、悪しき者の右に訴える者が立っていました。貧しい者の右には、神ご自身が立っておられます。訴える者たちの前で彼を弁護する弁護人のように、神は彼のそばに立たれます。新約聖書もこの確信を受け継ぎます。だれが神に選ばれた者たちを訴えるのでしょうか。キリストは神の右にいて、私たちのためにとりなしておられます(ローマ人への手紙8章33節から34節)。これが不正への本当の答えです。守られるためにのろう必要はありません。あなたの右に立つ方は、あなたを訴える者より強く、あなたが赦せるよう自由にしてくださいます。
詩篇109篇の祈り方
この詩篇を祈るとき
- 中傷や偽りの訴えを受け、だれも自分を信じてくれないように思えるとき。
- 愛していた人が、善に対して悪で報いてくるとき。
- 傷つけた人への怒りに飲み込まれそうで、その怒りを神の前に置く必要があるとき。
- 仕返しをしたくなったり、傷つける言葉で言い返したくなったり、だれかの不幸を願いそうになるとき。
- 弱い立場の人が不正に押しつぶされているのを見て、その訴えを神にゆだねたいとき。
- 何もなかったふりをせずに、赦す力を求めているとき。
詩篇109篇に基づく祈り
わが賛美の神よ、黙っていないでください。私について言われていること、偽り、不当な非難、善に対する悪を、あなたはご存じです。私は痛んでいます。それを隠したくありません。私の中には怒りがあり、ときには相手も私と同じだけ苦しめばよいという思いさえあります。そのすべてをあなたの前に置きます。自分で復讐したくありませんし、だれものろいたくありません。私の訴えをあなたの手にゆだねます。あなたは正しい審判者で、人の心を、私の心さえもご存じだからです。何が起きたのかを明らかにし、私を傷つけた人を悔い改めに導いてください。主よ、あなたのみ名のゆえに、私のために働いてください。あなたのいつくしみは深いからです。私の心は傷ついています。癒してください。人が私をのろうとき、あなたが祝福してくださいます。十字架につけた人々のために祈られたイエスのように、私にも祝福することを教えてください。たとえ道のりが長くても、赦す力をお与えください。貧しい者の右に立ってくださる主に感謝します。結末を見る前から、あなたをほめたたえます。アーメン。
鍵となる聖句
これは彼がいつくしみを施すことを思わず、かえって貧しい者、乏しい者を責め、心の痛める者を殺そうとしたからです。 彼はのろうことを好んだ。のろいを彼に臨ませてください。彼は恵むことを喜ばなかった。恵みを彼から遠ざけてください。
ダビデは敵がしたことを語ります。あわれみを施さず、貧しい者を迫害し、のろいを愛したことです。裁きの願いは、その行いに向けられています。
しかし、わが主なる神よ、あなたはみ名のために、わたしを顧みてください。あなたのいつくしみの深きにより、わたしをお助けください。
ダビデは自分の功績ではなく、神のいつくしみに訴えます。復讐のためではなく、神の名のゆえに行動してくださるよう願っています。
説教が語っていること
詩篇109篇についてよくある質問
詩篇109篇はどういう意味ですか
不当に訴えられたダビデの祈りです。痛みを訴え、敵を裁いてくださるよう、非常に厳しい言葉で神に願います。結びは、貧しい者を救ってくださる神への賛美と信頼です。怒りも含めて、神にはすべてを話してよいことを示しています。
なぜ詩篇109篇にはのろいの言葉があるのですか
のろいの詩篇と呼ばれます。クリスチャンの理解はさまざまで、神にゆだねられた正義を求める叫び、ペテロがユダに当てはめた預言の言葉、あるいはダビデの感情の表れと受け取られています。イエスは敵を愛するよう教えられました。この詩は、自分で復讐するよりも、怒りを神の前に置くほうがよいことを示しています。
憎しみを持たずに詩篇109篇をどのように祈ればよいですか
まず4節を祈ります。傷に対して祈りで答えるのです。不当な扱いが自分に何をもたらしたかを、飾らずに神に話し、そして裁きを神にゆだねます。30節と31節で、苦しむ者の傍らに立ってくださる神をたたえて結びましょう。
詩篇 109を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。