詩篇41篇:貧しい人を気にかける人は幸いである

読了時間 9分

はじめに

「貧しい者を顧みる人はさいわいである。」その日曜日、ストラスブールのÉglise Évangélique Méthodiste de Strasbourg(福音派メソジスト教会)の礼拝は、教会の社会的な使命を担う団体Solidarité Emmanuelのチームによって準備されました。毎週金曜日には、在留資格がなく、頼れるものもない家庭を中心に、約50世帯がここで食べ物を受け取ります。

ひとりのボランティアの証しのあと、牧師のPierre-Emmanuel Panisは、彼女が語らなかったもうひとつの側面を付け加えます。それは、毎回の配布の前に捧げられる祈りです。チーム全員がすべてを神の手にゆだね、与えられた食料に感謝し、フードバンクのため、困難の中にある家庭のために祈り、そして迎え入れる人々に対して「イエスの証人」となれるように祈ります。

そのうえで牧師は詩篇41篇を開き、素朴な問いを投げかけます。貧しい人を気にかける人は、そのために多くの心配を抱えるのに、どうして幸いでいられるのでしょうか。

メッセージの流れ

1. 聖書でいう「貧しい人」とは誰か

  • 「貧しい人」と訳されるヘブライ語は、やせ細った人を指します。飢えていて、十分に食べるものがなく、日々の糧にも事欠く人のことです。
  • 「聖書における基本的な貧しさとは、きちんと食べるだけのものを持たない人のことです。」
  • ダビデの言葉は、イエスの言葉に通じています。「宴会を催す場合には、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の悪い人、目の見えない人などを招きなさい。そうすれば、彼らはお返しができないから、あなたはさいわいになるであろう。義人たちの復活の際には、お返しを受けるであろう」(ルカによる福音書14章13-14節)。
  • それは、金持ちとラザロのたとえに出てくる貧しい人でもあります。彼は金持ちの食卓から落ちるもので腹を満たしたいと願っていました(ルカによる福音書16章19-31節)。

2. 貧しい人を気にかけると、心配が増える

  • それは簡単でも、当たり前でもありません。「少し怖くなることさえあります」。貧しさと向き合うと胸が痛むからです。誰もそのような目にあうべきではありません。
  • Solidaritéのチームは、毎週その現実を目にしています。夜になるとネズミが入りこむテントで眠る家族。ある人は眠っている間に目の下をかまれ、狂犬病の予防接種を受けなければなりませんでした。
  • ほかにも、借りたガレージで一年以上暮らしている人たちがいます。6人家族が、もうずいぶん長いあいだ、ほぼ2年間、車の中で眠っています。
  • この心配は人を悲しませ、思い悩ませ、しばしば罪悪感をもたらします。無力感や、十分にできていないという思いがつきまといます。憤りも生まれます。個人的な犠牲を求められ、周りの人にはなかなか理解されない関わりを必要とします。
  • 「貧しい人を気にかけるとは、どこへ行き着くかわからないまま、他の人の問題に自分から結びつくことを受け入れることでもあります。」

3. 神は貧しい人の右に立たれる

  • ダビデは王でした。国境の安全、近隣諸国との平和、経済、社会の秩序など、ほかにも気がかりなことがたくさんありました。「けれども、ダビデは神を愛し、神を知っていました」。神が貧しい人を愛し、その人のために責任を問われることを知っていたのです。
  • 「主は貧しい者に耳を傾け、そのとりこになった者をかろんじられないからである」(詩篇69篇33節)。さらに力強く、「主は貧しい者の右に立ち、そのいのちをさばく者から救われる」(詩篇109篇31節)とあります。王の右は栄誉の座であり、イエスは神の右に座しておられます。ここでは、神ご自身が貧しい人の右に立たれます。「神は、貧しい人を王よりも高く、ご自身よりも高く引き上げられるのです。」
  • 貧しい人を助けることは命令です。「貧しい者は国のうちに絶えることがないから、わたしはあなたに命じる。『かならず国のうちの兄弟、乏しい者、貧しい者にあなたの手を開きなさい』」(申命記15章11節)。「必ず彼に与えなければならない。また与える時には、心に惜しんではならない」(申命記15章10節)。
  • 助けないことを、神は罪とみなされます。「彼があなたについて主に訴え、あなたが罪を得ることがないようにしなさい」(申命記24章15節)。そして神は、その人があなたの兄弟であっても、あなたの国に住む寄留の他国人であっても同じであると明言されます(申命記24章14節)。
  • だからこそ牧師によれば、ダビデは4節で叫ぶのです。「主よ、わたしをあわれんでください。わたしはあなたにむかって罪を犯しましたが、わたしのいのちをいやしてください」。彼は民の中にいる貧しい人々を見て、それが隣人への愛の欠如であることを知っています。
  • ダビデは、王としての務めが、苦しむ者のために正しい裁きを行い、貧しい者の子らを救うことであると思い起こします(詩篇72篇4節)。神はすべての人にいのちと幸いを望んでおられるからです。それはアブラハムに与えられた約束、「地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」ということです(創世記12章3節)。
  • また、祭司たちが宣言しなければならなかった厳しい警告も思い起こします。「寄留の他国人、孤児、やもめの権利を曲げる者はのろわれる」。すると民はみな「アーメン」と答えました(申命記27章19節)。

4. イエスの生涯の中心にあった貧しい人への心づかい

  • 病人、目の見えない人、足の不自由な人のいやしは、いつも貧しい人のいやしでもありました。
  • 貧しい人の問題は、イエスと金持ちの青年との出会い、ザアカイとの出会い、そして神殿に二枚の小さな硬貨を献げた貧しいやもめとの出会いの中心にあります(マルコによる福音書12章41-44節)。
  • それはたとえ話にも貫かれています。金持ちとラザロ、善いサマリヤ人、御国の宴会に招かれた人々。
  • 教えにも貫かれています。「あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らされないようにしなさい」(マタイによる福音書6章3節)。「わたしが飢えていたときに食べさせ」(マタイによる福音書25章35節)。

5. 幸いである第一の理由:神に近づく

  • なぜ貧しい人を気にかけると幸いになるのでしょうか。牧師にとって、これがこの詩篇の根本的な問いです。
  • 貧しい人を気にかける人は、神に近い人です。神の恵み、あわれみ、貧しい人の右に立たれる神の愛を、より深く理解します。神との個人的な交わりに、より深く入っていきます。
  • 小さな者たちへのイエスの愛、十字架の救い、御国の意味を、よりよく理解するようになります。イエスが「私たちとともにおられる神」、私たちを救うために人となられた神であることを知るのです。
  • 神のような、あわれみの心を自分の内に築いていきます。思いやりを学び、すべての人を「社会的な地位や、いわゆる権力といった飾りを抜きにして」ありのままの価値で見られるようになります。
  • 「その人は自由になります。神の子どもたちの自由をもって自由になるのです。」イエスがそうされたように、自分自身のように、隣人を愛する自由です。

6. 第二の理由:本当の人間らしさを学ぶ

  • 貧しい人を気にかける人は、強さと弱さを相対的にとらえることを学びます。自分自身、自分の自我や個人的な利益を手放すことを学びます。
  • 人間の生き方の本質に入っていきます。それは隣人の前でへりくだることです。この謙遜が、連帯と分かち合いを可能にし、人の心に触れ、本当の友情へと開いてくれます。
  • その友情が、その人を幸せにします。人生に意味と幸せを満たすのは、友情だけだからです。
  • また、その人は平和をつくる者にもなります。「貧しさは暴力を生み、友情は平和を生むからです。」

7. 第三の理由:自分自身が恵みを受ける

  • 神の恵みと交わるとき、貧しい人を気にかける人は、その恵みに養われ、満たされます。恵みを自分自身のものとして受けるのです。
  • 神にこれほど愛されていると感じて、幸せになります。神がイエスにおいて、ご自身の存在をその人の存在と結びつけてくださったことを悟ります。「神はイエスにおいて、その人なしでは存在しないことを選ばれた」のです。これが十字架と契約の意味のすべてです。
  • 何ものも、救い主イエスにある神の愛からその人を引き離すことはできないと知って、全き信頼をもって歩んでいけます(ローマ人への手紙8章38-39節)。
  • その人は二重の意味で自由です。ひとりひとりをその人の真実のままに迎え入れる自由があり、明日を恐れなくなったという自由があります。どんなときにも「主よ、あなたが私を愛しておられることを、私は知っています」と言うことができます。

押さえておきたいポイント

  • 聖書でいう貧しい人とは、まず、きちんと食べるだけのものを持たない人のことです。
  • 貧しい人を気にかけると、心配が増えます。どこへ行き着くかわからないまま、他の人の問題に結びつくことを受け入れるということです。
  • 神は貧しい人の右に立たれます。兄弟であれ寄留の他国人であれ、貧しい人を助けることは、神にとって命令です。
  • 貧しい人への心づかいは、イエスのいやし、出会い、たとえ話、教えのすべてを貫いています。
  • 貧しい人を気にかける人は幸いです。神に近づき、謙遜と友情を学び、自分自身も恵みを受けるからです。

個人への問いかけ

  1. 今、あなたの近所、教会、町で、いちばん身近な「貧しい人」は誰ですか。
  2. 他の人の問題に自分から結びつくことをためらわせているものは何ですか。恐れ、無力感、罪悪感でしょうか。
  3. 神が貧しい人の右に立たれるという事実は、困窮の中にいる人々を見るあなたのまなざしをどう変えますか。
  4. 今週、あなたにできることは何ですか。時間、献げもの、最も貧しい人々に仕える人たちのための祈りなどです。
  5. 今日、どんなときにも「主よ、あなたが私を愛しておられることを、私は知っています」と言えますか。

引用された聖句

よくある質問

詩篇41篇が語る「貧しい人」とは誰ですか。

Pierre-Emmanuel Panisは、このヘブライ語がやせ細った人、飢えていて日々の糧にも事欠く人を指すと説明します。聖書における基本的な貧しさとは、きちんと食べるだけのものを持たないことであり、金持ちの食卓から落ちるもので腹を満たしたいと願ったラザロがその例です。

「主は貧しい人の右に立たれる」とはどういう意味ですか。

王の右に立つとは、栄誉の座を占めることです。詩篇109篇では、神ご自身が貧しい人の右に立つことを選ばれます。説教者によれば、神はこうして貧しい人を王よりも高く、ご自身よりも高く引き上げておられるのです。

なぜ貧しい人を気にかける人は幸いなのですか。

説教者は三つの理由を挙げています。神に近づいてその恵みをより深く理解すること、謙遜と友情からなる本当の人間らしさを学ぶこと、そして自分自身もその恵みを受けることです。そのとき人は、何ものも神の愛から自分を引き離すことはできないと知り、もはや明日を恐れません。

「Engagement」の説教をすべて見る

Église Évangélique Méthodiste de Strasbourgの説教を見逃さない

新しいメッセージの要約をお届けします。

メモを取ったり質問したりするにはサインインしてください。

WhatsAppチャンネルに参加

今日のブーストと新しい教えを、WhatsAppで直接受け取れます。

チャンネルに参加する

無料・登録不要。あなたの電話番号は他のメンバーには表示されません。

このテーマの関連ページ

関連記事

説教の公開元 Église Évangélique Méthodiste de Strasbourg. 説教全体を見る のチャンネルで.

← ブログに戻る

詩篇41篇:貧しい人を気にかける人は幸いである | Efficient Church