聖書 — 口語訳 (1955)
マルコによる福音書 12
概要
十字架の前の最後の日々、イエスは宮で教え、陥れようとする人々に答えられます。人殺しの農夫のたとえを語り、カイザルへの税金、復活、そして最も大切な戒め、すなわち神と隣人を愛することについて答えられます。続いて律法学者たちにキリストについて問い、宗教的な偽善を戒め、貧しいやもめが持っているものをすべて献げるのを見つめて終わります。
この章の6つの区分
1そこでイエスは譬で彼らに語り出された、「ある人がぶどう園を造り、垣をめぐらし、また酒ぶねの穴を掘り、やぐらを立て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。
2季節になったので、農夫たちのところへ、ひとりの僕を送って、ぶどう園の収穫の分け前を取り立てさせようとした。
3すると、彼らはその僕をつかまえて、袋だだきにし、から手で帰らせた。
4また他の僕を送ったが、その頭をなぐって侮辱した。
5そこでまた他の者を送ったが、今度はそれを殺してしまった。そのほか、なお大ぜいの者を送ったが、彼らを打ったり、殺したりした。
6ここに、もうひとりの者がいた。それは彼の愛子であった。自分の子は敬ってくれるだろうと思って、最後に彼をつかわした。
7すると、農夫たちは『あれはあと取りだ。さあ、これを殺してしまおう。そうしたら、その財産はわれわれのものになるのだ』と話し合い、
8彼をつかまえて殺し、ぶどう園の外に投げ捨てた。
9このぶどう園の主人は、どうするだろうか。彼は出てきて、農夫たちを殺し、ぶどう園を他の人々に与えるであろう。
10あなたがたは、この聖書の句を読んだことがないのか。『家造りらの捨てた石が 隅のかしら石になった。
11これは主がなされたことで、わたしたちの目には不思議に見える』」。
12彼らはいまの譬が、自分たちに当てて語られたことを悟ったので、イエスを捕えようとしたが、群衆を恐れた。そしてイエスをそこに残して立ち去った。
13さて、人々はパリサイ人やヘロデ党の者を数人、イエスのもとにつかわして、その言葉じりを捕えようとした。
14彼らはきてイエスに言った、「先生、わたしたちはあなたが真実なかたで、だれをも、はばかられないことを知っています。あなたは人に分け隔てをなさらないで、真理に基いて神の道を教えてくださいます。ところで、カイザルに税金を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか」。
15イエスは彼らの偽善を見抜いて言われた、「なぜわたしをためそうとするのか。デナリを持ってきて見せなさい」。
16彼らはそれを持ってきた。そこでイエスは言われた、「これは、だれの肖像、だれの記号か」。彼らは「カイザルのです」と答えた。
17するとイエスは言われた、「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。彼らはイエスに驚嘆した。
18復活ということはないと主張していたサドカイ人たちが、イエスのもとにきて質問した、
19「先生、モーセは、わたしたちのためにこう書いています、『もし、ある人の兄が死んで、その残された妻に、子がない場合には、弟はこの女をめとって、兄のために子をもうけねばならない』。
20ここに、七人の兄弟がいました。長男は妻をめとりましたが、子がなくて死に、
21次男がその女をめとって、また子をもうけずに死に、三男も同様でした。
22こうして、七人ともみな子孫を残しませんでした。最後にその女も死にました。
23復活のとき、彼らが皆よみがえった場合、この女はだれの妻なのでしょうか。七人とも彼女を妻にしたのですが」。
24イエスは言われた、「あなたがたがそんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからではないか。
25彼らが死人の中からよみがえるときには、めとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。
26死人がよみがえることについては、モーセの書の柴の篇で、神がモーセに仰せられた言葉を読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。
27神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。あなたがたは非常な思い違いをしている」。
28ひとりの律法学者がきて、彼らが互に論じ合っているのを聞き、またイエスが巧みに答えられたのを認めて、イエスに質問した、「すべてのいましめの中で、どれが第一のものですか」。
29イエスは答えられた、「第一のいましめはこれである、『イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。
30心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
31第二はこれである、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない」。
32そこで、この律法学者はイエスに言った、「先生、仰せのとおりです、『神はひとりであって、そのほかに神はない』と言われたのは、ほんとうです。
33また『心をつくし、知恵をつくし、力をつくして神を愛し、また自分を愛するように隣り人を愛する』ということは、すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです」。
34イエスは、彼が適切な答をしたのを見て言われた、「あなたは神の国から遠くない」。それから後は、イエスにあえて問う者はなかった。
35イエスが宮で教えておられたとき、こう言われた、「律法学者たちは、どうしてキリストをダビデの子だと言うのか。
36ダビデ自身が聖霊に感じて言った、『主はわが主に仰せになった、あなたの敵をあなたの足もとに置くときまでは、わたしの右に座していなさい』。
37このように、ダビデ自身がキリストを主と呼んでいる。それなら、どうしてキリストはダビデの子であろうか」。大ぜいの群衆は、喜んでイエスに耳を傾けていた。
38イエスはその教の中で言われた、「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣を着て歩くことや、広場であいさつされることや、
39また会堂の上席、宴会の上座を好んでいる。
40また、やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする。彼らはもっときびしいさばきを受けるであろう」。
41イエスは、さいせん箱にむかってすわり、群衆がその箱に金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持は、たくさんの金を投げ入れていた。
42ところが、ひとりの貧しいやもめがきて、レプタ二つを入れた。それは一コドラントに当る。
43そこで、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れている人たちの中で、だれよりもたくさん入れたのだ。
44みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである」。
鍵となる聖句
あなたがたは、この聖書の句を読んだことがないのか。『家造りらの捨てた石が 隅のかしら石になった。 これは主がなされたことで、わたしたちの目には不思議に見える』」。
イエスは、家造りらの捨てた石が隅のかしら石になったという詩篇を引かれます。このたとえを自分に当てはめておられます。指導者たちに捨てられても、神が選ばれた土台はご自身です。
するとイエスは言われた、「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。彼らはイエスに驚嘆した。
税金の罠に対して、イエスはどちらの政治的立場にもつかれません。「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」と、カイザルに属するものと神に属するものを区別され、尋ねた人々は驚嘆しました。
イエスは答えられた、「第一のいましめはこれである、『イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。 心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 第二はこれである、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない」。
イエスはイスラエルのシェマを引き、全存在をもって神を愛することを語り、そこに隣人愛を加えられます。この二つの戒めは、律法が求めるすべてを要約しています。
そこで、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れている人たちの中で、だれよりもたくさん入れたのだ。 みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである」。
イエスは人々が献げるものを見つめ、あのやもめはだれよりもたくさん入れたと言われます。彼女は乏しい中から入れたからです。大切なのは金額ではなく、献げる人にとってどれだけの犠牲かということです。
この章に登場する人物
説教が語っていること
マルコによる福音書12章についてよくある質問
マルコによる福音書12章28節から31節によると、最も大切な戒めは何ですか
イエスは、心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なる神を愛することだと答えられます。第二は、自分を愛するように隣り人を愛することです。これより大事ないましめはほかにないと付け加えられます。第一の戒めは、ユダヤ人が毎日唱える祈りであるイスラエルのシェマを引いたものです。
「カイザルのものはカイザルに」とはどういう意味ですか
イエスの敵対者たちは、ローマへの税金の問題でイエスを陥れようとしました。イエスは銀貨を持ってこさせ、カイザルの肖像を示して、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさいと答えられます。クリスチャンはここに、国の権威を認めつつ、カイザルを神の座に置かないことを見ます。
マルコによる福音書12章のやもめの献金はどういう意味ですか
貧しいやもめが二つの小さな銅貨を賽銭箱に入れました。イエスは、彼女がどの金持ちよりも多く入れたと言われます。ほかの人々はありあまる中から入れ、彼女は乏しい中から入れたからです。この箇所はいくら献げるべきかを教えるのではなく、神が心と払われた犠牲を見ておられることを示します。
マルコによる福音書12章のぶどう園の農夫のたとえはどういう意味ですか
主人はぶどう園を農夫たちに任せ、僕たちを送り、さらに愛する子を送りますが、農夫たちは彼らを虐待し、殺します。イエスは預言者たちを退ける宗教指導者たちに語り、ご自身が退けられることを告げられます。指導者たちはこれが自分たちのことだと悟りました。しかし捨てられた石は、隅のかしら石となります。
マルコによる福音書 12を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。