はじめに
与えることは、まず予算の問題ではなく心の問題です。すべてが神から来ていることを認め、神を映し出す生き方を選ぶことなのです。口語訳で引用したこの20の聖句は、寛大さの5つの側面をたどります。あらゆる贈り物の源であり模範である神、喜びをもって計算せずに与えること、乏しい人との分かち合い、教会を生かす寛大さ、そして与える者に伴う祝福です。ゆっくりと読み、そのひとつがあなたの分かち合い方を変えることを許してください。
神、贈り物の源であり模範
1. ヤコブの手紙1章17節
「あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。父には、変化とか回転の影とかいうものはない。」
ヤコブは、試練の中にある離散した信者たちに書き送っています。「あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物」は、回り道も計算もなく光の父から下って来ると語りかけます。与えることを考える前に、あなたはすでにすべてを神から受け取っていることを思い出してください。 ヤコブの手紙1章を全文で読む。
2. 歴代志上29章14節
「しかしわれわれがこのように喜んでささげることができても、わたしは何者でしょう。わたしの民は何でしょう。すべての物はあなたから出ます。われわれはあなたから受けて、あなたにささげたのです。」
ダビデは神殿を建てるため、民から莫大な献げ物を集めたばかりで、その手柄を自分のものにすることを拒みます。「われわれはあなたから受けて、あなたにささげたのです」と言い、これほどのものを献げられる「わたしは何者でしょう」と問いかけます。あなたの持ち物の源が神であると認めることは、それを分かち合う仕方を変えます。 歴代志上29章を全文で読む。
3. コリント人への第二の手紙8章9節
「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っている。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである。」
パウロは、貧しく苦しむエルサレム教会を支えるようコリントの信者たちを励まし、キリストを模範とします。富んでおられた方が「あなたがたのために貧しくなられた」のは、他の人々がその貧しさによって富む者となるためです。あらゆるクリスチャンの寛大さは、神の御子のこの放棄から始まります。 コリント人への第二の手紙8章を全文で読む。
4. 詩篇145篇15-16節
「よろずのものの目はあなたを待ち望んでいます。あなたは時にしたがって彼らに食物を与えられます。 あなたはみ手を開いて、すべての生けるものの願いを飽かせられます。」
この賛美の詩篇は、すべての生き物に対する神の絶え間ない配慮を描いています。神は「み手を開いて」、それぞれの必要に応じて満ち足らせ、与えることに決して疲れません。神に倣うとは、自分の持ち物の上に手を閉ざすのではなく、手を開くことです。 詩篇145篇を全文で読む。
喜びをもって、強いられずに与える
5. コリント人への第二の手紙9章6-8節
「わたしの考えはこうである。少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる。 各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。 神はあなたがたにあらゆる恵みを豊かに与え、あなたがたを常にすべてのことに満ち足らせ、すべての良いわざに富ませる力のあるかたなのである。」
パウロはエルサレムの貧しい信者たちのために献金を集めながら、それを支える心構えを語ります。だれもが「自ら心で決めたとおりに」、惜しむ心からでも強いられてでもなく与えるべきです。神は「喜んで施す人を愛して」くださるからです。寛大さは金額と同じくらい、その姿勢によって測られます。 コリント人への第二の手紙9章を全文で読む。
6. 申命記15章10節
「あなたは心から彼に与えなければならない。彼に与える時は惜しんではならない。あなたの神、主はこの事のために、あなたをすべての事業と、手のすべての働きにおいて祝福されるからである。」
モーセはカナン入りを前に、貧しい人々に対する民の務めを思い起こさせます。「あなたは心から彼に与えなければならない。彼に与える時は惜しんではならない」と強く語ります。この寛大さは、あなたのすべての働きに主の祝福を招くからです。誠実な献げ物は祝福への道を開きます。 申命記15章を全文で読む。
7. ローマ人への手紙12章8節
「勧めをする者であれば勧め、寄附する者は惜しみなく寄附し、指導する者は熱心に指導し、慈善をする者は快く慈善をすべきである。」
パウロは、神が教会に分け与えられる賜物の一覧を示し、それぞれに固有の仕える仕方があると教えます。「寄附する者は惜しみなく寄附し」なさいと、数えたり渋ったりせずに行うよう求めます。寛大さは、教えの賜物と同じように、霊的な賜物のひとつなのです。 ローマ人への手紙12章を全文で読む。
8. マタイによる福音書6章3-4節
「あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。 それは、あなたのする施しが隠れているためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。」
イエスは、見られ称賛されるために行う施しを戒めます。「右の手のしていることを左の手に知らせるな」と、徹底した隠密さを求めます。隠れた事を見ておられる父だけが本当に大切な観客であり、報いてくださるのもその方だけです。 マタイによる福音書6章を全文で読む。
乏しい人と分かち合う
9. 箴言19章17節
「貧しい者をあわれむ者は主に貸すのだ、その施しは主が償われる。」
この箴言は、貧しい人への施しについての通常の考え方を逆転させます。貧しい者をあわれむ者は「主に貸す」のであり、主ご自身がその返済を引き受けてくださいます。困っている人に与えることは、神ご自身が個人的に責任を負ってくださる貸し付けをすることなのです。 箴言19章を全文で読む。
10. ヨハネの第一の手紙3章17-18節
「世の富を持っていながら、兄弟が困っているのを見て、あわれみの心を閉じる者には、どうして神の愛が、彼のうちにあろうか。 子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか。」
ヨハネは、ひとつの具体的な場面を通してクリスチャンの愛の誠実さを問いかけます。もし兄弟が困っているのを見ながら「あわれみの心を閉じる」なら、神の愛が本当にわたしたちのうちにあるとは言えません。彼は「行いと真実とをもって」愛し合うよう、言葉だけでなく実践を求めます。 ヨハネの第一の手紙3章を全文で読む。
11. ヘブル人への手紙13章16節
「そして、善を行うことと施しをすることとを、忘れてはいけない。神は、このようないけにえを喜ばれる。」
著者は手紙の結びで、日々の生活のための実践的な勧めを語ります。「善を行うことと施しをすることとを、忘れてはいけない」、これらは神が喜ばれるいけにえだからです。持っているものを分かち合うことは、まことの霊的な献げ物なのです。 ヘブル人への手紙13章を全文で読む。
12. ルカによる福音書3章11節
「彼は答えて言った、「下着を二枚もっている者は、持たない者に分けてやりなさい。食物を持っている者も同様にしなさい」。」
バプテスマのヨハネは荒野で説教し、群衆は悔い改めを具体的にどう生きるべきか尋ねます。彼の答えは単純です。下着を二枚もっている者は「持たない者に分けてやりなさい」。回心の証しは、心の中だけでなく、たんすや食料棚の中に現れるのです。 ルカによる福音書3章を全文で読む。
教会を生かす寛大さ
13. 使徒行伝2章44-45節
「信者たちはみな一緒にいて、いっさいの物を共有にし、 資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた。」
ペンテコステの直後、初代の信者たちはエルサレムで徹底した連帯を生きます。彼らは「いっさいの物を共有にし」、持ち物を売っては「必要に応じて」みんなの者に分け与えました。この自然な寛大さは、御霊が彼らの心を変えたことを世に示すものでした。 使徒行伝2章を全文で読む。
14. 使徒行伝4章34-35節
「彼らの中に乏しい者は、ひとりもいなかった。地所や家屋を持っている人たちは、それを売り、売った物の代金をもってきて、 使徒たちの足もとに置いた。そしてそれぞれの必要に応じて、だれにでも分け与えられた。」
ルカは、この誕生したばかりの共同体の中に「乏しい者は、ひとりもいなかった」と記します。地所や家屋を持つ人々はそれを売り、代金を使徒たちのもとに持ってきて、それぞれの必要に応じて分け与えられました。共同体の寛大さは、教会の中から貧しさを取り除いたのです。 使徒行伝4章を全文で読む。
15. ピリピ人への手紙4章15-16節
「ピリピの人たちよ。あなたがたも知っているとおり、わたしが福音を宣伝し始めたころ、マケドニヤから出かけて行った時、物のやりとりをしてわたしの働きに参加した教会は、あなたがたのほかには全く無かった。 またテサロニケでも、一再ならず、物を送ってわたしの欠乏を補ってくれた。」
パウロは、宣教の働きを通して忠実に支えてくれたピリピ教会に感謝します。彼と「物のやりとり」をした教会は他になく、テサロニケでも一再ならず彼の欠乏を補ってくれました。神のしもべを長く支え続けることは、具体的な協力のかたちです。 ピリピ人への手紙4章を全文で読む。
16. ガラテヤ人への手紙6章6節
「御言を教えてもらう人は、教える人と、すべて良いものを分け合いなさい。」
パウロはクリスチャンの共同体のためのシンプルな原則を思い起こさせます。教えを受ける者は、教える者にもそれを還元すべきです。「御言を教えてもらう人は、教える人と、すべて良いものを分け合いなさい」。御言葉のために時間をささげる人々を支えることも、寛大さのひとつの形です。 ガラテヤ人への手紙6章を全文で読む。
寛大さに伴う祝福
17. ルカによる福音書6章38節
「与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから」。」
イエスは、与えることも含め、わたしたちが他者に対して用いる量りについて教えます。「与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう」、それも惜しみなく、あふれるほどの量りで。これは富を得るための魔法の公式ではなく、神が決してあなたに借りを残されないという約束です。 ルカによる福音書6章を全文で読む。
18. 箴言11章25節
「物惜しみしない者は富み、人を潤す者は自分も潤される。」
この箴言は、寛大さを、注ぐ人自身にも潤いをもたらす水やりにたとえます。「物惜しみしない者は富み」、というのも、他者に与えたものはめぐりめぐって自分に戻ってくるからです。寛大な心を持つ人は、与えることで貧しくなるのではなく、むしろ潤されるのです。 箴言11章を全文で読む。
19. 使徒行伝20章35節
「わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また『受けるよりは与える方が、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである」。」
パウロは、どの福音書にも記されていないが教会が語り継いできたイエスの言葉を引用します。「受けるよりは与える方が、さいわいである」と語り、弱い者を助けるために働くよう勧めます。この言葉は、今もわたしたちの優先順位を測るよい指針であり続けます。 使徒行伝20章を全文で読む。
20. 箴言22章9節
「人を見て恵む者はめぐまれる、自分のパンを貧しい人に与えるからである。」
この短い箴言は、好意的なまなざしを貧しい人への具体的な寛大さと結びつけます。「人を見て恵む者はめぐまれる」のは、まさに自分のパンを貧しい人と分け合うからです。祝福は、他者の必要を見つめるまなざしについてくるのです。 箴言22章を全文で読む。
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よくある質問
貧しい人への寛大さについて聖書は何と言っていますか。
聖書は、貧しい人への寛大さを、神ご自身への貸し付け(箴言19章17節)として、また神が喜ばれるいけにえ(ヘブル人への手紙13章16節)として示しています。イエスと初代教会は実際に持ち物を分かち合い、信仰が乏しい人々への具体的な行いの中で証しされることを示しました。
少ししか持っていなくても与えるべきですか。
はい。神殿のやもめやピリピ教会は、神が金額よりも心を見ておられることを示しています。コリント人への第二の手紙9章7節は、悲しみや強制からではなく、各自が決めたとおりに与えるべきだと語ります。寛大さは、豊かさを待たなくても存在し始めることができるのです。
なぜ神は喜んで与える人を愛されるのですか。
その与え方が神ご自身の御性質を映し出しているからです。神は計算せず、後悔もなく与えられます。コリント人への第二の手紙9章7節によれば、喜びに満ちた献げ物は義務からではなく自由な心から生まれます。それは、与える人が、自分の必要も神が満たしてくださると信頼していることを示しているのです。
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