聖書 — 口語訳 (1955)

ルカによる福音書 6

概要

ルカによる福音書6章は、イエスの宣教の一日を描きます。イエスは安息日についてパリサイ人に答え、夜を祈りの中で過ごして十二使徒を選び、それから平らな所に下られると、群衆が教えを聞き、いやされるために集まってきます。そこでイエスは、幸いと災いを語り、敵を愛すること、さばかないこと、惜しみなく与えることを求め、木はその実で知られると語られます。最後は二つの家の姿です。嵐に耐える家は、イエスの言葉を行う人が建てたものです。

この章の6つの区分

  1. 1-11節安息日:イエスは安息日の主
  2. 12-19節祈りの一夜、十二使徒の選び、平らな所に集まった群衆
  3. 20-26節幸いと災い:神の国の逆転
  4. 27-38節敵を愛し、さばかず、与える
  5. 39-45節盲人の手引き、ちりと梁、木とその実
  6. 46-49節二つの家:聞いて行う

1ある安息日にイエスが麦畑の中をとおって行かれたとき、弟子たちが穂をつみ、手でもみながら食べていた。

2すると、あるパリサイ人たちが言った、「あなたがたはなぜ、安息日にしてはならぬことをするのか」。

3そこでイエスが答えて言われた、「あなたがたは、ダビデとその供の者たちとが飢えていたとき、ダビデのしたことについて、読んだことがないのか。

4すなわち、神の家にはいって、祭司たちのほかだれも食べてはならぬ供えのパンを取って食べ、また供の者たちにも与えたではないか」。

5また彼らに言われた、「人の子は安息日の主である」。

6また、ほかの安息日に会堂にはいって教えておられたところ、そこに右手のなえた人がいた。

7律法学者やパリサイ人たちは、イエスを訴える口実を見付けようと思って、安息日にいやされるかどうかをうかがっていた。

8イエスは彼らの思っていることを知って、その手のなえた人に、「起きて、まん中に立ちなさい」と言われると、起き上がって立った。

9そこでイエスは彼らにむかって言われた、「あなたがたに聞くが、安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」。

10そして彼ら一同を見まわして、その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。そのとおりにすると、その手は元どおりになった。

11そこで彼らは激しく怒って、イエスをどうかしてやろうと、互に話合いをはじめた。

12このころ、イエスは祈るために山へ行き、夜を徹して神に祈られた。

13夜が明けると、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び出し、これに使徒という名をお与えになった。

14すなわち、ペテロとも呼ばれたシモンとその兄弟アンデレ、ヤコブとヨハネ、ピリポとバルトロマイ、

15マタイとトマス、アルパヨの子ヤコブと、熱心党と呼ばれたシモン、

16ヤコブの子ユダ、それからイスカリオテのユダ。このユダが裏切者となったのである。

17そして、イエスは彼らと一緒に山を下って平地に立たれたが、大ぜいの弟子たちや、ユダヤ全土、エルサレム、ツロとシドンの海岸地方などからの大群衆が、

18教を聞こうとし、また病気をなおしてもらおうとして、そこにきていた。そして汚れた霊に悩まされている者たちも、いやされた。

19また群衆はイエスにさわろうと努めた。それは力がイエスの内から出て、みんなの者を次々にいやしたからである。

20そのとき、イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた、「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである。

21あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいだ。飽き足りるようになるからである。あなたがたいま泣いている人たちは、さいわいだ。笑うようになるからである。

22人々があなたがたを憎むとき、また人の子のために あなたがたを排斥し、ののしり、汚名を着せるときは、あなたがたはさいわいだ。

23その日には喜びおどれ。見よ、天において あなたがたの受ける報いは大きいのだから。彼らの祖先も、預言者たちに対して同じことをしたのである。

24しかしあなたがた富んでいる人たちは、わざわいだ。慰めを受けてしまっているからである。

25あなたがた今満腹している人たちは、わざわいだ。飢えるようになるからである。あなたがた今笑っている人たちは、わざわいだ。悲しみ泣くようになるからである。

26人が皆あなたがたをほめるときは、あなたがたはわざわいだ。彼らの祖先も、にせ預言者たちに対して同じことをしたのである。

27しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。

28のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。

29あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。

30あなたに求める者には与えてやり、あなたの持ち物を奪う者からは取りもどそうとするな。

31人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。

32自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。

33自分によくしてくれる者によくしたとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、それくらいの事はしている。

34また返してもらうつもりで貸したとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でも、同じだけのものを返してもらおうとして、仲間に貸すのである。

35しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。

36あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。

37人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。

38与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから」。

39イエスはまた一つの譬を語られた、「盲人は盲人の手引ができようか。ふたりとも穴に落ち込まないだろうか。

40弟子はその師以上のものではないが、修業をつめば、みなその師のようになろう。

41なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。

42自分の目にある梁は見ないでいて、どうして兄弟にむかって、兄弟よ、あなたの目にあるちりを取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい、そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるちりを取りのけることができるだろう。

43悪い実のなる良い木はないし、また良い実のなる悪い木もない。

44木はそれぞれ、その実でわかる。いばらからいちじくを取ることはないし、野ばらからぶどうを摘むこともない。

45善人は良い心の倉から良い物を取り出し。悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。心からあふれ出ることを、口が語るものである。

46わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。

47わたしのもとにきて、わたしの言葉を聞いて行う者が、何に似ているか、あなたがたに教えよう。

48それは、地を深く掘り、岩の上に土台をすえて家を建てる人に似ている。洪水が出て激流がその家に押し寄せてきても、それを揺り動かすことはできない。よく建ててあるからである。

49しかし聞いても行わない人は、土台なしで、土の上に家を建てた人に似ている。激流がその家に押し寄せてきたら、たちまち倒れてしまい、その被害は大きいのである」。

鍵となる聖句

12節
このころ、イエスは祈るために山へ行き、夜を徹して神に祈られた。

十二使徒を選ぶ前に、イエスは夜を徹して祈られます。宣教の重大な決断は祈りから生まれます。それは、私たちも自分の決断について同じようにするよう招いています。

20-23節
そのとき、イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた、「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである。 あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいだ。飽き足りるようになるからである。あなたがたいま泣いている人たちは、さいわいだ。笑うようになるからである。 人々があなたがたを憎むとき、また人の子のために あなたがたを排斥し、ののしり、汚名を着せるときは、あなたがたはさいわいだ。 その日には喜びおどれ。見よ、天において あなたがたの受ける報いは大きいのだから。彼らの祖先も、預言者たちに対して同じことをしたのである。

ルカの幸いは、貧しい人、飢えている人、泣いている人、憎まれる人に向けられています。イエスは、神の国が世の価値観をひっくり返し、だれにもうらやまれない人々に喜びを与えると告げます。

27-28節
しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。 のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。

命令は徹底しています。敵を愛し、憎む者に親切にし、のろう者を祝福することです。イエスは好意を感じることではなく、害を与える人に対して善い行いを選ぶことを求めておられます。

37-38節
人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。 与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから」。

さばかず、ゆるし、与えること。イエスは、神の寛大さを映す惜しみなさへと招かれます。人に量って与えるその量りが、自分にも量り返されます。

46-49節
わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。 わたしのもとにきて、わたしの言葉を聞いて行う者が、何に似ているか、あなたがたに教えよう。 それは、地を深く掘り、岩の上に土台をすえて家を建てる人に似ている。洪水が出て激流がその家に押し寄せてきても、それを揺り動かすことはできない。よく建ててあるからである。 しかし聞いても行わない人は、土台なしで、土の上に家を建てた人に似ている。激流がその家に押し寄せてきたら、たちまち倒れてしまい、その被害は大きいのである」。

イエスは、主よ主よと呼ぶことだけでなく、言われることを行うよう求められます。賢い人は、聞いて行うことで岩の上に建てます。嵐はだれにも来ますが、しっかり建てられた家だけが耐えます。

この章に登場する人物

説教が語っていること

逆流を生きる ― イエスの山上の説教「幸いなるかな」このメッセージは、ルカ6章12節から26節を読みます。イエスは一夜祈り、十二人を選び、四つの幸いと四つの災いを語られます。世の流れと神の国の流れ、あなたはどちらに身を任せているのかを問います。要約を読む →岩の上に信仰を築いて、嵐の中でも揺るがずに立つルネ・ウアンジは、二つの家のたとえを語ります。信仰は岩の上に建てなければならず、さもなければ最初の嵐で倒れてしまいます。御言葉を行うことと、父の御旨を強調します。要約を読む →崩れない人生のための三つの土台ブレンダン・ホワイトは、マタイ7章とルカ6章のたとえから始めます。嵐はだれにも来ること、そして土台が立ち続けられるかを決めること、つまり御言葉を聞いて行うことを語ります。要約を読む →イエスに従って、彼があなたに約束してくださったものになるイヴァン・カスタヌーは、ルカ6章46節の問いに立ちます。イエスを主と呼びながら、言われることを行わないことはできません。祈りは力を与えますが、神が約束した者になるのは、従い、行うことによってだと語ります。要約を読む →ヤコブがエフライムとマナセを祝福する:創世記48章に学ぶ祝福の意味説教者は、ルカ6章27節と28節、敵を愛し、のろう者を祝福しなさいという言葉を引き、祝福がキリスト者の自然な反応になるべきだと語ります。要約を読む →

ルカによる福音書6章についてよくある質問

ルカ6章の幸いとマタイ5章の幸いにはどんな違いがありますか

マタイは山上の説教で九つの幸いを記し、霊的な面(心の貧しい人)を持っています。ルカは四つの幸いと、それに続く四つの災いを記し、貧しさ、飢え、涙について、より具体的に語ります。二つの本文は補い合っています。一方は弟子の性格を、他方は苦しむ人々に神の国がもたらす逆転を強調しています。

ルカ6章27節の「敵を愛しなさい」とはどういう意味ですか

イエスは、害を与える人に温かい感情を持つことではなく、行いを求められます。善を行い、祝福し、祈ることです。本文は、侮辱を受けても相手の益を願うことを選ぶ愛を描いています。それは、恩知らずな人にも悪い人にも善い神の模範に立ち、キリスト者が御霊の助けによって生きる、厳しい招きであり続けます。

ルカ6章46節から49節の二つの家のたとえにはどんな意味がありますか

二人の人が家を建てます。一人は深く掘り下げて岩の上に家を据え、もう一人は土台なしで建てます。洪水が来たとき、最初の家だけが立ち続けます。イエスは、その言葉を聞いて行う人が最初の人のようだと説明されます。違いは、何を知っているかではなく、聞いたことをどうするかにあります。

イエスはなぜ十二人を選ぶ前に一夜を祈りで過ごされたのですか

ルカは、イエスが弟子たちを呼んで十二人を選び、使徒と名づける前に、夜を徹して神に祈られたと記します。本文は、何を祈られたかは語りません。この選びが重要であり、イエスがそれを父に委ねられたと読むのがふつうです。重大な結果を伴う決断をするすべての人への模範です。

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