聖書 — 口語訳 (1955)
コリント人への第二の手紙 8
概要
この章でパウロは、エルサレムの貧しい信者たちのための献金をやり遂げるよう、コリントの人々に勧めます。模範として挙げるのは、マケドニヤの諸教会です。彼らは貧しい中でも喜んで献げましたが、それはまず自分自身を主に献げたあとのことでした。パウロはすべてをキリストの恵みに基づけます。キリストは、ご自分の民を富ませるために貧しくなられました。さらに教会間の平等を語り、テトスと二人の兄弟を遣わして、神の前でも人の前でも明朗に献金を扱うと述べます。
この章の4つの区分
1兄弟たちよ。わたしたちはここで、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせよう。
2すなわち、彼らは、患難のために激しい試錬をうけたが、その満ちあふれる喜びは、極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て惜しみなく施す富となったのである。
3わたしはあかしするが、彼らは力に応じて、否、力以上に施しをした。すなわち、自ら進んで、
4聖徒たちへの奉仕に加わる恵みにあずかりたいと、わたしたちに熱心に願い出て、
5わたしたちの希望どおりにしたばかりか、自分自身をまず、神のみこころにしたがって、主にささげ、また、わたしたちにもささげたのである。
6そこで、この募金をテトスがあなたがたの所で、すでに始めた以上、またそれを完成するようにと、わたしたちは彼に勧めたのである。
7さて、あなたがたがあらゆる事がらについて富んでいるように、すなわち、信仰にも言葉にも知識にも、あらゆる熱情にも、また、あなたがたに対するわたしたちの愛にも富んでいるように、この恵みのわざにも富んでほしい。
8こう言っても、わたしは命令するのではない。ただ、他の人たちの熱情によって、あなたがたの愛の純真さをためそうとするのである。
9あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っている。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである。
10そこで、わたしは、この恵みのわざについて意見を述べよう。それがあなたがたの益になるからである。あなたがたはこの事を、昨年以来、他に先んじて実行したばかりではなく、それを願っていた。
11だから今、それをやりとげなさい。あなたがたが心から願っているように、持っているところに応じて、それをやりとげなさい。
12もし心から願ってそうするなら、持たないところによらず、持っているところによって、神に受けいれられるのである。
13それは、ほかの人々に楽をさせて、あなたがたに苦労をさせようとするのではなく、持ち物を等しくするためである。
14すなわち、今の場合は、あなたがたの余裕があの人たちの欠乏を補い、後には、彼らの余裕があなたがたの欠乏を補い、こうして等しくなるようにするのである。
15それは「多く得た者も余ることがなく、少ししか得なかった者も足りないことはなかった」と書いてあるとおりである。
16わたしがあなたがたに対して持っている同じ熱情を、テトスの心にも与えて下さった神に感謝する。
17彼はわたしの勧めを受けいれ、そして更に熱心になって、自分から進んであなたがたのところに行った。
18わたしたちはまた、テトスと一緒に、ひとりの兄弟を送る。この兄弟が福音宣伝の上で得たほまれは、すべての教会に聞えているが、
19そのうえ、彼は、主ご自身の栄光があらわれるため、また、わたしたちの好意を示すために、骨を折って贈り物を集めているわたしたちの同伴者として、諸教会から選ばれたのである。
20そうしたのは、わたしたちが集めているこの寄附金のことについて、人にかれこれ言われるのを避けるためである。
21わたしたちは、主のみまえばかりではなく、人の前でも公正であるように、気を配っているのである。
22また、もうひとりの兄弟を彼らと一緒に送る。わたしたちは、多くの事について彼が熱心であったことを、たびたび認めた。彼は今、あなたがたを非常に信頼して、ますます熱心になっている。
23テトスについて言えば、彼はわたしの仲間であり、あなたがたに対するわたしの協力者である。この兄弟たちについて言えば、彼らは諸教会の使者、キリストの栄光である。
24だから、あなたがたの愛と、また、あなたがたについてわたしたちがいだいている誇とが、真実であることを、諸教会の前で彼らにあかししていただきたい。
鍵となる聖句
すなわち、彼らは、患難のために激しい試錬をうけたが、その満ちあふれる喜びは、極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て惜しみなく施す富となったのである。
パウロはひとつの逆説を描きます。試練にあって非常に貧しい信者たちの喜びが、豊かな施しを生み出したのです。寛大さは快適さに左右されず、受けた恵みから生まれます。
わたしたちの希望どおりにしたばかりか、自分自身をまず、神のみこころにしたがって、主にささげ、また、わたしたちにもささげたのである。
マケドニヤの人々は、お金を献げる以上のことをしました。まず自分自身を主に献げたのです。献げ物は、神に委ねた生涯から出るもので、損得の計算から出るものではありません。
あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っている。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである。
この章全体の土台です。富んでおられたキリストが、ご自分の民を富ませるために貧しくなられました。パウロは物質的な富の保証を語っているのではなく、寛大さを動かし育てる恵みを語っています。
もし心から願ってそうするなら、持たないところによらず、持っているところによって、神に受けいれられるのである。
寛大さは、金額ではなく、それぞれの意志と実際の持ち物によって測られます。神は、持っていないものを求められません。
わたしたちは、主のみまえばかりではなく、人の前でも公正であるように、気を配っているのである。
パウロは、主の前だけでなく、人々の前でも正しくありたいと願います。教会でのお金の管理は、明朗で非のうちどころのないものでなければなりません。
この章に登場する人物
このテーマで祈る
説教が語っていること
コリント人への第二の手紙8章についてよくある質問
コリント人への第二の手紙8章9節はどういう意味ですか
この節は、富んでおられたイエス・キリストが、あなたがたのために貧しくなられ、その貧しさによってあなたがたが富む者となるためだったと語ります。クリスチャンはそこに、受肉と十字架を見ます。パウロはこれを、寛大さを促すために用います。キリストがすべてを与えてくださったのだから、信者も分かち合えるのです。この富がどのようなものかについては注解者の意見が分かれますが、多くは主に霊的な富と理解しています。
コリント人への第二の手紙8章のメッセージは何ですか
献げることは強制ではなく、神の恵みへの応答です。貧しく試練の中にあったマケドニヤの人々は、喜んで献げ、まず自分自身を主に献げました。パウロはコリントの人々に、始めたことを持っているものに応じてやり遂げるよう勧め、お金が完全に明朗に管理されるよう求めています。
この献金は十分の一と同じものですか
いいえ。パウロが呼びかけているのは、エルサレムの貧しい信者たちを助けるための、一度限りの献金であり、この章では十分の一には触れていません。ただし、自発的に、持っているものに応じて、喜んで献げること、そしてお金を明朗に管理することという、変わらない原則を示しています。教会はこれらの原則をさまざまな形で適用しています。
コリント人への第二の手紙 8を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。