聖書 — 口語訳 (1955)
コリント人への第二の手紙 7
概要
コリント人への第二の手紙7章で、パウロはコリントの信者たちに、自分をきよめ、自分を心の中に迎え入れるよう勧めます。続いてマケドニヤでの苦難を語り、コリントから良い知らせを携えて戻ったテトスの到着を通して、神が自分に慰めを与えてくださったことを伝えます。先の手紙は彼らを悲しませましたが、その悲しみは彼らのうちに悔い改めと熱意と熱心を生みました。こうしてこの章は、神のみこころに添った悲しみと世の悲しみを区別し、取り戻された喜びと信頼で結ばれます。
この章の4つの区分
1愛する者たちよ。わたしたちは、このような約束を与えられているのだから、肉と霊とのいっさいの汚れから自分をきよめ、神をおそれて全く清くなろうではないか。
2どうか、わたしたちに心を開いてほしい。わたしたちは、だれにも不義をしたことがなく、だれをも破滅におとしいれたことがなく、だれからもだまし取ったことがない。
3わたしは、責めるつもりでこう言うのではない。前にも言ったように、あなたがたはわたしの心のうちにいて、わたしたちと生死を共にしているのである。
4わたしはあなたがたを大いに信頼し、大いに誇っている。また、あふれるばかり慰めを受け、あらゆる患難の中にあって喜びに満ちあふれている。
5さて、マケドニヤに着いたとき、わたしたちの身に少しの休みもなく、さまざまの患難に会い、外には戦い、内には恐れがあった。
6しかるに、うちしおれている者を慰める神は、テトスの到来によって、わたしたちを慰めて下さった。
7ただ彼の到来によるばかりではなく、彼があなたがたから受けたその慰めをもって、慰めて下さった。すなわち、あなたがたがわたしを慕っていること、嘆いていること、またわたしに対して熱心であることを知らせてくれたので、わたしの喜びはいよいよ増し加わったのである。
8そこで、たとい、あの手紙であなたがたを悲しませたとしても、わたしはそれを悔いていない。あの手紙がしばらくの間ではあるが、あなたがたを悲しませたのを見て悔いたとしても、
9今は喜んでいる。それは、あなたがたが悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めるに至ったからである。あなたがたがそのように悲しんだのは、神のみこころに添うたことであって、わたしたちからはなんの損害も受けなかったのである。
10神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救を得させる悔改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる。
11見よ、神のみこころに添うたその悲しみが、どんなにか熱情をあなたがたに起させたことか。また、弁明、義憤、恐れ、愛慕、熱意、それから処罰に至らせたことか。あなたがたはあの問題については、すべての点において潔白であることを証明したのである。
12だから、わたしがあなたがたに書きおくったのは、不義をした人のためでも、不義を受けた人のためでもなく、わたしたちに対するあなたがたの熱情が、神の前にあなたがたの間で明らかになるためである。
13こういうわけで、わたしたちは慰められたのである。これらの慰めの上にテトスの喜びが加わって、わたしたちはなおいっそう喜んだ。彼があなたがた一同によって安心させられたからである。
14そして、わたしは彼に対してあなたがたのことを少しく誇ったが、それはわたしの恥にならないですんだ。あなたがたにいっさいのことを真実に語ったように、テトスに対して誇ったことも真実となってきたのである。
15また彼は、あなたがた一同が従順であって、おそれおののきつつ自分を迎えてくれたことを思い出して、ますます心をあなたがたの方に寄せている。
16わたしは、あなたがたに全く信頼することができて、喜んでいる。
鍵となる聖句
愛する者たちよ。わたしたちは、このような約束を与えられているのだから、肉と霊とのいっさいの汚れから自分をきよめ、神をおそれて全く清くなろうではないか。
パウロは、前の章で挙げた神の約束から結論を引き出します。体と霊の汚れから自分をきよめ、神を恐れる思いのうちにきよさを全うすることです。きよめは、約束を得るための条件ではなく、約束への応答です。
しかるに、うちしおれている者を慰める神は、テトスの到来によって、わたしたちを慰めて下さった。
パウロは自分の経験を要約します。神は落胆した者を慰められる、と。ここでは、その慰めはテトスという一人の人を通して、またコリントの人々の反応の知らせを通して届きました。
今は喜んでいる。それは、あなたがたが悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めるに至ったからである。あなたがたがそのように悲しんだのは、神のみこころに添うたことであって、わたしたちからはなんの損害も受けなかったのである。 神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救を得させる悔改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる。
パウロが喜んでいるのは、彼らが悲しんだことではなく、その悲しみが悔い改めに導いたことです。彼は、救いに至る神のみこころに添った悲しみと、死をもたらす世の悲しみを対比します。後悔だけでは足りません。それが何を生み出すかが大切なのです。
見よ、神のみこころに添うたその悲しみが、どんなにか熱情をあなたがたに起させたことか。また、弁明、義憤、恐れ、愛慕、熱意、それから処罰に至らせたことか。あなたがたはあの問題については、すべての点において潔白であることを証明したのである。
パウロは、この神のみこころに添った悲しみの具体的な実を描きます。熱意、弁明しようとする思い、熱心、償おうとする思いです。真の悔い改めは、目に見える変化によって知られます。
この章に登場する人物
このテーマで祈る
説教が語っていること
コリント人への第二の手紙7章についてよくある質問
コリント人への第二の手紙7章10節はどういう意味ですか
この節は二つの悲しみを対比します。神のみこころに添った悲しみは、救いに至る、悔いのない悔い改めに導きます。自分自身や結果ばかりに目を向ける世の悲しみは、変化を生まず、死に至ります。二つを分けるのは、それが何を生み出すかです。神への立ち返りか、閉じこもりかです。
コリント人への第二の手紙7章によると、悔い改めと後悔の違いは何ですか
後悔は、悪いことをしたという悲しみで、多くは結果が理由であり、まったく変化を伴わずに存在し得ます。聖書の悔い改めは、思いの変化であり、罪から離れて神のもとへ帰ることへと導きます。11節で、パウロはその実を、熱意、熱心、償おうとする思いとして描いています。
コリント人への第二の手紙7章の中心的なメッセージは何ですか
神は落胆した者を慰め、痛みを伴う言葉さえ用いて悔い改めに導かれます。この章は、自分をきよめること、謙遜に戒めを受け入れること、そして真の悔い改めは目に見える変化を生み、喜びと和解を取り戻すことを認めるよう招いています。
コリント人への第二の手紙 7を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。