聖書 — 口語訳 (1955)
ヤコブの手紙 1
概要
ヤコブは、散らされた信仰者たちに、とても具体的な指針を与えます。信仰を試す試練は、忍耐と成熟を生み出します。知恵の足りない人は、信仰をもって神に求めることができます。誘惑は神からではなく欲望から来るもので、すべての良い贈り物は光の父から来ます。この章は、みことばを聞き、ただ聞くだけでなく行い、舌を制し、あわれみと聖さからなる清い信心を生きるように呼びかけています。
この章の6つの区分
1神と主イエス・キリストとの僕ヤコブから、離散している十二部族の人々へ、あいさつをおくる。
2わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。
3あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。
4だから、なんら欠点のない、完全な、でき上がった人となるように、その忍耐力を十分に働かせるがよい。
5あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。
6ただ、疑わないで、信仰をもって願い求めなさい。疑う人は、風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている。
7そういう人は、主から何かをいただけるもののように思うべきではない。
8そんな人間は、二心の者であって、そのすべての行動に安定がない。
9低い身分の兄弟は、自分が高くされたことを喜びなさい。
10また、富んでいる者は、自分が低くされたことを喜ぶがよい。富んでいる者は、草花のように過ぎ去るからである。
11たとえば、太陽が上って熱風をおくると、草を枯らす。そしてその花は落ち、その美しい姿は消えうせてしまう。それと同じように、富んでいる者も、その一生の旅なかばで没落するであろう。
12試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。
13だれでも誘惑に会う場合、「この誘惑は、神からきたものだ」と言ってはならない。神は悪の誘惑に陥るようなかたではなく、また自ら進んで人を誘惑することもなさらない。
14人が誘惑に陥るのは、それぞれ、欲に引かれ、さそわれるからである。
15欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。
16愛する兄弟たちよ。思い違いをしてはいけない。
17あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。父には、変化とか回転の影とかいうものはない。
18父は、わたしたちを、いわば被造物の初穂とするために、真理の言葉によって御旨のままに、生み出して下さったのである。
19愛する兄弟たちよ。このことを知っておきなさい。人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。
20人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。
21だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れなさい。御言には、あなたがたのたましいを救う力がある。
22そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。
23おおよそ御言を聞くだけで行わない人は、ちょうど、自分の生れつきの顔を鏡に映して見る人のようである。
24彼は自分を映して見てそこから立ち去ると、そのとたんに、自分の姿がどんなであったかを忘れてしまう。
25これに反して、完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない人は、聞いて忘れてしまう人ではなくて、実際に行う人である。こういう人は、その行いによって祝福される。
26もし人が信心深い者だと自任しながら、舌を制することをせず、自分の心を欺いているならば、その人の信心はむなしいものである。
27父なる神のみまえに清く汚れのない信心とは、困っている孤児や、やもめを見舞い、自らは世の汚れに染まずに、身を清く保つことにほかならない。
鍵となる聖句
わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。 あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。
ヤコブは、試練を喜びと考えるよう勧めます。試練が心地よいからではなく、信仰を試し、忍耐を生み出すからです。
あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。
知恵の足りない人は、神に求めることができます。神は、とがめることなく、惜しみなくすべての人に与えてくださいます。どうすればよいかわからないことは障害ではなく、祈る機会です。
人が誘惑に陥るのは、それぞれ、欲に引かれ、さそわれるからである。 欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。
誘惑は、その人自身の欲望から生まれ、欲望が罪を生み、罪は死を生みます。神は誘惑の張本人ではありません。
そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。
みことばは聞くだけでなく、行うことが求められます。ただ聞くだけの人は、鏡を見て立ち去ると自分の顔を忘れてしまう人のように、自分を欺いています。
父なる神のみまえに清く汚れのない信心とは、困っている孤児や、やもめを見舞い、自らは世の汚れに染まずに、身を清く保つことにほかならない。
清い信心とは、みなしごや、やもめを、その悩みの中にたずね、世の汚れに染まらないよう自分を守ることです。あわれみと聖さは、ともにあります。
この章に登場する人物
このテーマで祈る
説教が語っていること
ヤコブの手紙1章についてよくある質問
なぜヤコブは、試練の中で喜ぶようにと言うのですか
ヤコブは、試練が心地よいと言っているのではありません。試練は信仰を試し、忍耐を生み出し、それが成熟へと導くと説明しています。ですから、語られる喜びは、状況ではなく、試練を通して神がなさることに根ざしています。この章はさらに、耐え忍ぶ人には、いのちの冠が約束されていると述べています。
ヤコブの手紙1章5節と6節の、疑わずに知恵を求めるとはどういうことですか
神は、とがめることなく、惜しみなく知恵を与えると約束しておられます。ヤコブが語る疑いとは、一時的な疑問ではなく、神に信頼してよいのかどうかわからず、揺れ動く、二心の状態のことです。信仰をもって求めるとは、神の善意と信頼性に頼ることです。
ヤコブの手紙1章13節によれば、神は私たちを誘惑されるのですか
いいえ。本文は、神は悪に誘われることがなく、また誰をも誘惑されないと語っています。誘惑は、人を引き寄せ、惑わす内なる欲望から来ます。この誘惑は、章の初めに語られた、信仰を成長させる試練とは区別する必要があります。
ヤコブの手紙1章27節の「清く汚れのない信心」とはどういう意味ですか
ヤコブは、具体的な信仰を定義します。最も弱い立場の人々、ここではみなしごややもめの世話をし、世の汚れから自分を守ることです。信仰と実践を対立させるのではなく、本物の信仰は、あわれみと正しい生き方に表れることを示しています。
ヤコブの手紙 1を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。