聖書 — 口語訳 (1955)

ヤコブの手紙 2

概要

ヤコブの手紙2章で、著者は教会にとって身近な二つの主題を取り上げます。まず、えこひいきについてです。金持ちを貧しい人よりも厚く扱ってはなりません。神は貧しい人を信仰に富む者として選ばれ、隣人を愛することは最高の律法だからです。次に信仰についてです。行いのない信仰は死んだものです。ヤコブは、アブラハムとラハブを、行いによって示される信仰の例として挙げます。この箇所はパウロに反するものではなく、生きた信仰の目に見えるあかしについて語っています。

この章の5つの区分

  1. 1-7節集会にえこひいきを持ち込まない
  2. 8-13節愛という最高の律法とあわれみ
  3. 14-17節行いのない信仰は死んでいる
  4. 18-20節あなたの信仰を見せなさい:悪霊どもでさえ信じている
  5. 21-26節アブラハムとラハブ:行いとなって現れる信仰

1わたしの兄弟たちよ。わたしたちの栄光の主イエス・キリストへの信仰を守るのに、分け隔てをしてはならない。

2たとえば、あなたがたの会堂に、金の指輪をはめ、りっぱな着物を着た人がはいって来ると同時に、みすぼらしい着物を着た貧しい人がはいってきたとする。

3その際、りっぱな着物を着た人に対しては、うやうやしく「どうぞ、こちらの良い席にお掛け下さい」と言い、貧しい人には、「あなたは、そこに立っていなさい。それとも、わたしの足もとにすわっているがよい」と言ったとしたら、

4あなたがたは、自分たちの間で差別立てをし、よからぬ考えで人をさばく者になったわけではないか。

5愛する兄弟たちよ。よく聞きなさい。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富ませ、神を愛する者たちに約束された御国の相続者とされたではないか。

6しかるに、あなたがたは貧しい人をはずかしめたのである。あなたがたをしいたげ、裁判所に引きずり込むのは、富んでいる者たちではないか。

7あなたがたに対して唱えられた尊い御名を汚すのは、実に彼らではないか。

8しかし、もしあなたがたが、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」という聖書の言葉に従って、このきわめて尊い律法を守るならば、それは良いことである。

9しかし、もし分け隔てをするならば、あなたがたは罪を犯すことになり、律法によって違反者として宣告される。

10なぜなら、律法をことごとく守ったとしても、その一つの点にでも落ち度があれば、全体を犯したことになるからである。

11たとえば、「姦淫するな」と言われたかたは、また「殺すな」とも仰せになった。そこで、たとい姦淫はしなくても、人殺しをすれば、律法の違反者になったことになる。

12だから、自由の律法によってさばかるべき者らしく語り、かつ行いなさい。

13あわれみを行わなかった者に対しては、仮借のないさばきが下される。あわれみは、さばきにうち勝つ。

14わたしの兄弟たちよ。ある人が自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役に立つか。その信仰は彼を救うことができるか。

15ある兄弟または姉妹が裸でいて、その日の食物にもこと欠いている場合、

16あなたがたのうち、だれかが、「安らかに行きなさい。暖まって、食べ飽きなさい」と言うだけで、そのからだに必要なものを何ひとつ与えなかったとしたら、なんの役に立つか。

17信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。

18しかし、「ある人には信仰があり、またほかの人には行いがある」と言う者があろう。それなら、行いのないあなたの信仰なるものを見せてほしい。そうしたら、わたしの行いによって信仰を見せてあげよう。

19あなたは、神はただひとりであると信じているのか。それは結構である。悪霊どもでさえ、信じておののいている。

20ああ、愚かな人よ。行いを伴わない信仰のむなしいことを知りたいのか。

21わたしたちの父祖アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげた時、行いによって義とされたのではなかったか。

22あなたが知っているとおり、彼においては、信仰が行いと共に働き、その行いによって信仰が全うされ、

23こうして、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」という聖書の言葉が成就し、そして、彼は「神の友」と唱えられたのである。

24これでわかるように、人が義とされるのは、行いによるのであって、信仰だけによるのではない。

25同じように、かの遊女ラハブでさえも、使者たちをもてなし、彼らを別な道から送り出した時、行いによって義とされたではないか。

26霊魂のないからだが死んだものであると同様に、行いのない信仰も死んだものなのである。

鍵となる聖句

1節
わたしの兄弟たちよ。わたしたちの栄光の主イエス・キリストへの信仰を守るのに、分け隔てをしてはならない。

ヤコブは原則を示します。イエス・キリストへの信仰は、人を外見や富によって差別することと両立しません。章の初めの部分は、すべてその具体的な適用を述べています。

13節
あわれみを行わなかった者に対しては、仮借のないさばきが下される。あわれみは、さばきにうち勝つ。

あわれみを行わなかった者には、あわれみのないさばきが下されますが、あわれみはさばきに打ち勝ちます。この聖句は、受けたものを生きるよう招いています。他の人へのあわれみは、恵みの実なのです。

17節
信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。

行いのない信仰は、それ自体では死んだものだと言われています。ヤコブは行いが信仰を生み出すとは言っておらず、本物の信仰は行いに現れると語っています。

19節
あなたは、神はただひとりであると信じているのか。それは結構である。悪霊どもでさえ、信じておののいている。

悪霊どもでさえ、神はただひとりであると信じて、おののいています。事実を信じるだけでは足りません。信頼も従順も伴わない知的な同意は、人の生き方を変えません。

23節
こうして、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」という聖書の言葉が成就し、そして、彼は「神の友」と唱えられたのである。

ヤコブは創世記を引用します。アブラハムは神を信じ、それによって義と認められ、「神の友」と唱えられました。彼の信仰は、神に従ったときに現れたのです。

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説教が語っていること

ヤコブの手紙2章についてよくある質問

ヤコブの手紙2章は、信仰による義認についてのパウロの教えと矛盾しますか

必ずしもそうではありません。パウロは、神の前で義と宣告される方法、つまり信仰のみによることを語っています。ヤコブは、行いによって示される信仰を語っています。どちらも、生きた信仰は生き方を変えると強調しています。この調和の説明の仕方はキリスト教の伝統によって少しずつ異なりますが、真実の信仰は実を結ぶという点では一致しています。

ヤコブの手紙2章17節の、行いのない信仰とはどういう意味ですか

ヤコブは、着る物も食べる物もない兄弟に、ただ「安らかに行きなさい」と言うだけの例を挙げます。行いの伴わない言葉は何の役にも立ちません。同じように、行動しない信仰は、ただの意見にすぎません。努力によって救いを得るという意味ではなく、信仰が本物であることを行いによって示すという意味です。

ヤコブの手紙2章は、金持ちと貧しい人について何を伝えていますか

ヤコブは、集会が金持ちに上座を与え、貧しい人を隅に追いやっていることを咎めます。神はこの世で貧しい人を、信仰に富む者として選ばれたと思い起こさせます。地位によって人を扱うことは罪です。隣人を自分のように愛するという最高の律法に反するからです。

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