はじめに
少し立ち止まってみてください。すべてを創造された神様、王の王、諸国の運命を手の中に握っておられる方が、あなたを「友」と呼んでくださっています。これはたとえ話ではありません。単なる言葉のあやでもありません。イエス様はヨハネ 15:13-15でこう宣言しておられます。「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はほかにありません。わたしが命じることを行うなら、あなたがたはわたしの友です。わたしはもうあなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人が何をしているか知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。父から聞いたことをすべて、あなたがたに知らせたからです。」
今朝、ジャン・カルヴァン・ナナ先生は、このテーマ、すなわち神様の友情について御言葉を開いてくださいます。しかも笑顔でです。これほどの特権について語りながら、微笑まずにいられるでしょうか。あなたがこの世のあらゆる富、称号、成功を手にしていたとしても、この栄誉に勝るものはありません。神様の友と呼ばれること、それに勝るものはないのです。
これはアブラハムやモーセ、あるいは信仰の巨人たちだけのものではありません。この友情は、今日のあなたにも関わることです。主は戸口に立ち、たたいておられます。開けるかどうかは、あなた次第です。
メッセージの流れ
1. 神様の友情とは何でしょうか
辞書では、友情とは二つの存在の間にある調和のとれた関係、心からの理解、信頼の絆、互いへの思いやりを特徴とする関係と定義されています。敵意も、疑いも、裏表もない関係です。そこには信頼があり、安心があります。
これはまさに神様があなたに差し出しておられるものです。ここで大切なことがあります。それは、神様の方からあなたのところに来てくださるということです。あなたが山を登って神様のもとに行くのではありません。神様が降りて来られ、手を差し伸べ、こう言われます。「わたしはもうあなたがたをしもべとは呼びません。友と呼びます。」主導権を取られるのはいつも神様です。
私たちが受けているのは、表面的な友情ではありません。私たちが受けているのは、創造主ご自身の友情です。あなたがどんな困難な時を通っていても、あなたを支え、担ってくださる方の友情です。パウロが言うように、神様を愛する者たちのためには、すべてのことが働いて益となるのです。
2. 神様が主導される:アダムからアブラハムまで
初めから、エデンの園から、すでにこの友情の兆しが見られます。創世記 2:19-20では、神様が動物たちを形づくり、人のところに連れて来られます。「人がそれにどんな名をつけるかを見るためであった。」とあります。神様は人をご自分の御業に加わらせておられるのです。すべてをお一人で行うこともできたはずです。神様は主であり、絶対の権威をお持ちの方です。誰の助けも必要とされません。それでも神様は、世界の基が置かれたときから、人を招き入れることを望まれました。
それから、夕暮れ時に主が園にいる人のもとに来られる、あの心温まる場面があります。この愛の関係、この友情の関係は、すでに織り上げられ始めていたのです。
アブラハムの場合も、来られるのはやはり神様です。創世記 12:1-3で、主はアブラムにこう言われました。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となる。」主はこの友情を確かなものにするために来てくださるのです。主の方からアブラハムを迎えに来られます。これは一時の出会いではありません。神様は、あなたに人生全体の計画、祝福に満ちた、強く、揺るぎない関係を差し出しておられるのです。
3. 契約と啓示によって表される友情
神様の友情は、まず契約によって表されます。創世記 15:7-18で、神様はアブラハムにこう言われます。「わたしは、この地をあなたに与えて所有させるために、あなたをカルデアのウルから導き出した主である。」アブラハムは若い雌牛、雌やぎ、雄羊、山鳩、家鳩の雛を用意し、それらを裂きます。そして日が沈むと、煙る炉と燃えるたいまつが、裂かれた肉の間を通り過ぎます。神様はご自分の友と契約を結ばれるのです。この友情は表面的なものではありません。創造主ご自身によって確かにされたものです。
次に、友情は啓示によっても表されます。真の友情の特徴は、心を分かち合うことです。神様はご自分の思い、計画を分かち合いたいと願っておられます。創世記 18:17で、ソドムを滅ぼす前に、主はこう言われます。「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておいてよいだろうか。」そして主はご自分の計画を明かされます。この啓示によって、アブラハムはとりなしをすることができ、神様との実り豊かな対話に入ることができました。ついにアブラハムは、その町に十人の正しい者がいれば、町を滅ぼさないという約束を引き出します(創世記 18:32)。
これがあなたにとって何を意味するか、よく考えてみてください。神様との友情の関係にあるとき、神様はあなたに、事の成り行きを変える特権を与えてくださいます。諸国の運命をあなたの手に委ねてくださるのです。今日、あちこちで争いが起こっています。ただ一人の人が、ひざをかがめて祈るだけで、ある国の運命を変えることができます。これが、あなたが神様の友であるがゆえに持つ力なのです。
4. 神様はご自分の友情を誰に用意しておられるでしょうか
神様はすべての人を愛しておられます。だからこそ、私たちがまだ罪人であったときに、イエス様は降りて来てくださいました。しかし詩篇の記者はこう言っています。「主の親しい交わりは、主を恐れる者のためにあり、主はご自分の契約を彼らに知らせる。」(詩篇 25:14)そしてイエス様はこう言われます。「わたしが命じることを行うなら、あなたがたはわたしの友です。」(ヨハネ 15:14)
神様の友情はすでに差し出されています。あとはあなたがそこに入るだけです。あなたは主を恐れていますか。それなら、あなたは神様の友です。あなたは主が命じられることを行っていますか。それなら、あなたは神様の友です。
神様を恐れるとは、おびえることではありません。それは敬うことです。行いにおいて、言葉において、思いにおいて、態度において、選択において、決断において、神様を敬うのです。何も敬わなくなったこの世界にあって、聖なるものを大切にすることです。万軍の主は偉大で、全能で、畏れ多い方だからこそ、私たちは敬意をもって主との関係に入るのです。
神様の友情は、誠実に歩む者のためでもあります。創世記 17:1で、神様はすべてをこう要約しておられます。「わたしの前に歩み、全き者であれ。」誠実さは、親しい交わりへの扉を開きます。ヨブが誠実に歩んでいたとき、主はサタンの前で彼のことを誇ることができました。「あなたはわたしのしもべヨブに気づいたか。」裏表のある生き方、妥協、隠れた罪、わずかなもので満足してしまう生ぬるい信仰の中では、神様との友情を生きることはできません。
5. 三つの模範:モーセ、ダビデ、ダニエル
モーセは、人が友と語るように、神様と顔と顔を合わせて語り合いました(出エジプト記 33:11)。この友情は、ある出会いから始まりました。燃える柴です。神様はご自分の思い、すなわちエジプトで虐げられていた民の苦しみを彼に打ち明け(出エジプト記 3:9-10)、そして使命を託されました。モーセはその召しに応え、逃げませんでした。この友としての立場にあったからこそ、彼はとりなすことができました。ミリアムが兄弟を悪く言ったためにツァラアトに打たれたとき、モーセはとりなしをし、彼女はいやされました。ここで覚えておいてください。あなたが神様の友であるとき、あなたの祈りには力があるのです。
ダビデは神様を恐れ、主に栄光を帰していました。サウルに命を狙われ、追われながらも、彼は主に油注がれた者に手をかけることを拒みました。たとえその油注がれた者が自分の敵になっていたとしても、ダビデは主を敬うことを望んだのです。また、主のために神殿を建てたいと心から願ったのもダビデでした。神様が、それを行うのは彼ではなく息子ソロモンだと告げられたとき、ダビデはへりくだって従いました。これこそ、神様の友のしるしです。関係の中での従順です。
ダニエルは少年時代から神様と共に歩みました。この友情は、燃える炉の中でも、獅子の穴の中でも表されました。主は最も困難な状況から彼を救い出されたのです。子どもたちを教えてくださっている教会学校の先生方に感謝します。神様が人生を築き、友情の関係を結ばれるのは、しばしば幼い頃から始まるのです。
ではアブラハムはどうでしょうか。聖書ははっきりとこう記しています。「アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められ、彼は神の友と呼ばれた。」(ヤコブ 2:23)
6. 新しい契約:この友情は、今日のあなたのためのものです
新しい契約のもとで、十字架は愛の歩みであると同時に、友情の歩みでもあります。イエス様ご自身がこう言われます。人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はないと。イエス様はしもべのために命を捨てられたのではありません。友のために命を捨てられたのです。だからこそ、こう宣言なさいます。「わたしはもうあなたがたをしもべとは呼びません。あなたがたを友と呼びました。」
この友情は、神様との和解をもたらす血の契約によって確かにされます。そして聖霊を通しての啓示によって、実現していきます。イエス様はヨハネ 14:26でこう約束しておられます。「助け主、すなわち父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したことをすべて思い起こさせてくださいます。」今日、あなたは聖霊を通して神様の御心の啓示を受けているのです。
この友情は、アブラハムやモーセ、ダニエル、弟子たちだけのものではありませんでした。イエス様がこの地上におられた時代で終わったものでもありません。この友情は、神様のすべての子どものためのものです。黙示録 3:20では、主が戸口に立ち、たたいておられます。主はあなたと確かで親しい関係を結びたいと願っておられるのです。
この友情は、あなたの人生を変えていきます。恐れは消え去るでしょう。主の主であられる方が友であるなら、何を恐れることがあるでしょうか。信仰は強められていくでしょう。あなたは主と顔と顔を合わせて歩んでいるのですから。喜びは新たにされ、平安があなたの心を満たします。あなたの戦いは、主の戦いとなります。あなたはすべてを主の足もとに置き、主があなたのために戦ってくださいます。そしてあなたは、主の安息の中にとどまり続けるのです。そして何より、あなたは主の御心を行うことに大きな喜びを見いだすようになります。
神様は決してご自分の子どもたちを見捨てられません。アブラハムを守られたように、あなたを守ってくださいます。モーセに語られたように、あなたに語りかけてくださいます。ダニエルを守られたように、あなたを守ってくださいます。アブラハムに御心を明かされたように、あなたにも御心を明かしてくださいます。あなたは、ただのしもべという立場から抜け出し、差し伸べられた手をつかんで、この新しい次元、すなわち神様の友という次元に入っていきますか。
覚えておきたいポイント
- 神様はいつも主導権を取ってくださいます。主があなたのところに降りて来て、あなたを友と呼んでくださいます。あなたが山を登って行くのではなく、主があなたを迎えに来てくださるのです。
- 神様の友情は、契約と啓示によって表されます。主は御言葉を確かなものとし、ご自分の計画を分かち合い、あなたをご自分の御業に加えてくださいます。
- 扉を開く二つの条件があります。それは、主を恐れることと誠実さです。人生のすべての場面で神様を敬い、裏表なく主の前を歩むことです。
- 神様の友であるあなたの祈りには、力があります。アブラハムやモーセのように、あなたもとりなし、ひざをかがめ、諸国の運命を変えることができます。
個人的な適用
- 私は、命令を待つだけのしもべのように神様と共にいるでしょうか。それとも、主とご自分の人生を分かち合う友として歩んでいるでしょうか。
- 自分の人生のどの具体的な領域で、神様に近づいて来ていただく必要があるでしょうか。差し伸べられた手に、私はどこで抵抗しているでしょうか。
- この友情を妨げている妥協、裏表のある態度、隠れた罪はないでしょうか。今日、神様に明け渡すべきものは何でしょうか。
- 今週、主は誰のために、あるいはどの国のために、友としてひざをかがめてとりなすようにと、私を招いておられるでしょうか。
引用聖句
- ヨハネ 15:13-15・「わたしはもうあなたがたをしもべとは呼びません。友と呼びます。」
- 創世記 2:19-20・神様が人をご自分の創造の御業に加わらせられる。
- 創世記 12:1-3・アブラハムへの召しと祝福。
- 創世記 15:7-18・アブラハムと結ばれた契約。
- 創世記 17:1・「わたしの前に歩み、全き者であれ。」
- 創世記 18:17-32・神様がアブラハムに計画を明かし、ソドムのためのとりなしが行われる。
- 出エジプト記 3:9-10・燃える柴とモーセの派遣。
- 出エジプト記 33:11・神様がモーセと顔と顔を合わせて語られる。
- 詩篇 25:14・「主の親しい交わりは、主を恐れる者のためにある。」
- ヤコブ 2:23・アブラハムは神の友と呼ばれた。
- ヨハネ 14:26・聖霊があなたがたにすべてのことを教えてくださる。
- 黙示録 3:20・「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。」
よくある質問
聖書によれば、神様の友情とはどのようなものですか
それは、神様ご自身が始めてくださる契約と啓示の関係です。神様の方から人のところに降りて来られ、ご自分の思いを分かち合い、御心を知らせてくださいます。ヨハネ 15:15はこれを明確に定義しています。しもべは主人が何をしているか知りませんが、友は啓示を受け取ります。この友情は、信頼、互いへの思いやり、裏表のなさを特徴としています。
神様はご自分の友情を誰に用意しておられますか
詩篇 25:14はこう述べています。「主の親しい交わりは、主を恐れる者のためにある。」そしてイエス様はヨハネ 15:14でこう付け加えます。「わたしが命じることを行うなら、あなたがたはわたしの友です。」具体的な条件は二つです。神様への敬虔な恐れと、誠実な歩みです。これは、アブラハムに語られた創世記 17:1に要約されています。
今日、私も本当に神様の友と呼ばれることができますか
はい、できます。神様の友情は、アブラハムやモーセ、ダニエルだけのものではありませんでした。新しい契約のもとで、十字架はこの友情を神様のすべての子どものために確かなものとしました。黙示録 3:20には、イエス様が戸口に立ち、たたいておられる姿が描かれています。開けるかどうかは、あなた次第です。聖霊は今日、あなたに父なる神様の御心を明かしてくださいます(ヨハネ 14:26)。
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