聖書 — 口語訳 (1955)

ヨハネによる福音書 14

概要

ヨハネの福音書14章は、最後の食事の席で語られるイエスの告別説教の始まりです。弟子たちは、イエスが去って行かれると聞いて動揺しています。イエスは彼らを励まします。父の家に場所を用意しに行くこと、そしてご自分が道であり、真理であり、いのちであることを語ります。さらに、もうひとりの助け主、真理の御霊が彼らとともにとどまることを約束し、ご自分の平安を残されます。この章は、イエスを愛すること、みことばを守ること、父と子がともにおられることを結びつけています。

この章の5つの区分

  1. 1-7節心を騒がせてはいけません:父の家と道
  2. 8-14節イエスの内に父を見る:ピリポとみわざ
  3. 15-21節もうひとりの助け主、真理の御霊の約束
  4. 22-26節イエスを愛し、みことばを守り、教えてくださる御霊を受ける
  5. 27-31節イエスが残される平安

1「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。

2わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。

3そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。

4わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」。

5トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。

6イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。

7もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」。

8ピリポはイエスに言った、「主よ、わたしたちに父を示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」。

9イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。

10わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。

11わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。もしそれが信じられないならば、わざそのものによって信じなさい。

12よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。

13わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。

14何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。

15もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。

16わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。

17それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。

18わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。

19もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。

20その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう。

21わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」。

22イスカリオテでない方のユダがイエスに言った、「主よ、あなたご自身をわたしたちにあらわそうとして、世にはあらわそうとされないのはなぜですか」。

23イエスは彼に答えて言われた、「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう。

24わたしを愛さない者はわたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉は、わたしの言葉ではなく、わたしをつかわされた父の言葉である。

25これらのことは、あなたがたと一緒にいた時、すでに語ったことである。

26しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。

27わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。

28『わたしは去って行くが、またあなたがたのところに帰って来る』と、わたしが言ったのを、あなたがたは聞いている。もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるであろう。父がわたしより大きいかたであるからである。

29今わたしは、そのことが起らない先にあなたがたに語った。それは、事が起った時にあなたがたが信じるためである。

30わたしはもはや、あなたがたに、多くを語るまい。この世の君が来るからである。だが、彼はわたしに対して、なんの力もない。

31しかし、わたしが父を愛していることを世が知るように、わたしは父がお命じになったとおりのことを行うのである。立て。さあ、ここから出かけて行こう。

鍵となる聖句

1節
「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。

イエスは不安になっている弟子たちに語りかけ、神とご自分に信頼を置き直すよう招きます。信仰は過去の出来事ではなく、動揺が戻ってくるたびに新しくされるものです。

2-3節
わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。 そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。

イエスは父の家と、ご自分が用意される場所について語り、再び来て、自分の者たちをご自分のもとへ迎えると約束します。この箇所は、神のもとでの永遠のいのちの約束として、よく読まれています。

6節
イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。

イエスは、ご自分が道であり真理でありいのちであると言い、ご自分を通らなければだれも父のもとに行けないと語ります。この節は、イエスとの関係が父への道であることを示しており、まず理解すべき体系ではありません。

16-17節
わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。 それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。

イエスは、父がもうひとりの助け主、真理の御霊を与え、その方が信じる者たちとともに永遠にとどまると告げます。ギリシア語のパラクレートスは、弁護者とも訳すことができます。

27節
わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。

イエスは自分の平安を残し、それを世が与える平安と区別します。それは状況に左右されないものです。だからイエスは、心を騒がせず、恐れないようにと重ねて語ります。

この章に登場する人物

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説教が語っていること

ヨハネによる福音書14章についてよくある質問

わたしは道であり、真理であり、いのちであるとは、どういう意味ですか(ヨハネ14:6)

イエスは、道を知るにはどうしたらよいのかと尋ねるトマスに答えています。イエスは道を指し示すのではなく、ご自身を示します。この方の内に父と出会い、神の真理を知り、いのちを受けるのです。これは排他的な言葉ですが、キリスト者はイエスを通して神に近づくようにという招きとして受け取っています。

ヨハネ14章の助け主とはだれですか

助け主は聖霊です。ギリシア語のパラクレートスは、そばに呼ばれて助ける方を指し、弁護者とも訳されます。イエスは、父がその方を遣わし、信じる者たちとともにとどまって、教え、イエスの言葉を思い起こさせてくださると約束します。伝統によって語り方は少し異なりますが、その臨在については一致しています。

ヨハネ14章の、父の家と住まいとはどういう意味ですか

イエスは弟子たちを安心させます。見捨てるのではなく、父のもとに場所を用意しに行くのです。住まいとは、神の御前にそれぞれのために備えられた場所を思わせます。信じる者はそこに永遠のいのちの約束を見いだし、死や別れに向き合うときの慰めの言葉として受け取っています。

ヨハネ14:27でイエスが残される平安とはどのようなものですか

イエスは自分の平安を残すと言い、それを世の与える平安と区別します。それは問題がないことではなく、イエスの臨在と御霊の約束に根ざした、内なる確信です。だからイエスは、心を騒がせず、恐れないようにとも付け加えられます。

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