はじめに
ヨハネ14章は長く、豊かで、内容の詰まった箇所です。ヨハネによる福音書は、幼子が安心して水遊びできるほど浅く、それでいて象が溺れてしまうほど深い水域のようだと言われてきました。イエスさまが弟子たちに語られた告別の説教の中で、まさにご自分のいのちを彼らのために差し出そうとしているそのとき、この箇所全体を貫くひとつの宣言があります。「神を信じなさい、また、わたしを信じなさい」。言い換えるなら、イエスさまを信じることこそ、神からの完全な保証なのです。あなたの永遠の行き先の保証。そして今日この時から与えられる、神の完全な臨在の保証です。この保証は、イエスさま以外のどこにも見出すことができません。
メッセージの構成
1. あなたの永遠の行き先の保証(ヨハネ14:1-7)
- イエスさまは、ご自分が去っていかれることを前に心を騒がせている弟子たちにこう語りかけられます。「あなたがたは心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい」。イエスさまがご自分を、神を信じるのと同じように信じるようにと呼びかけられるのは、傲慢さからではありません。それはご自分の行いと聖書全体によって裏づけられた、明白な事実なのです。
- この説教が語られた背景には、イエスさまがご自分の民のため、そしてご自分を信じるすべての人のために死のうとしておられ、彼らの赦しを勝ち取ろうとしておられるという状況があります。その死、復活、そして全能の父の右への昇りは、私たちのあらゆる希望を支える上昇の歩みなのです。
- 私たちは永遠に神とともにいるために造られました。神の臨在こそ、私たちが本来いるべき場所です。しかし人類の歴史はまた、神から離れて生きたほうがよいと考えるようになった人々の歴史でもあります。これはカミュが見事に描いた「さすらい」というテーマです。「人間には家がない。太陽はそこに刻印を残し、海はその足跡を消し去った。人間はただ自分の郷愁とともにひとり残される」。神を取り除くとき、あなたは自分が造られたその場所そのものを取り除いてしまい、さすらう運命に落ちてしまいます。
- この究極の郷愁を、私たちは代わりの行き先で鎮めようとします。「昇進したら」「結婚したら」「子どもができたら」「引退したら、そのとき立ち止まろう」というふうにです。どうか、それらの美しくも一時的な行き先が、あなたの最終的な行き先にならないようにと願います。
- この箇所からは二つのことが見えてきます。まず、イエスさまに信仰を置くとき、あなたは自分がどこに向かっているかを知ることができます。「わたしの父の家には、すまいがたくさんある……わたしはあなたがたのために場所を用意しに行く……そしてあなたがたをわたしのもとに迎える。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである」(2〜3節)。この場所を用意してくださるのは、ほかの誰でもなく、あなたのために死なれ、あなたを神に受け入れられる者としてくださった方ご自身です。
- 次に、あなたはそこへの行き方を知ることができます。道を尋ねたトマスに、イエスさまはこう答えられました。「わたしは道であり、真理であり、いのちである。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」(6節)。イエスさまは、出口のないこの世界における救いであり、もはや真理などないと言い張る世界における真理であり、差し出される神ご自身のいのちなのです。
- イエスさまを信じるとは、最初の回心の瞬間だけを指すのではありません。それは暗い洞窟の中で外へと導いてくれる一本の糸のように、イエスさまにつながり続けることです。別の言い方をすれば、あなたの信仰は、あなたより先に行き先へと到達しておられるイエスさまに設定された、霊的なGPSのようなものです。何が起ころうと、どれほど困難な時があろうと、その進路は確かなのです。
2. 今この時の、完全な臨在の保証(ヨハネ14:8-21)
- 道の途上では、私たちは神を目にすることができません。それがピリポの求めでした。「わたしたちに父を見せてください。そうしていただければ、わたしたちには十分です」(8節)。イエスさまが去られる前に、弟子を安心させる一枚の写真がほしい、というわけです。神の不在への恐れは、クリスチャンである私たちの内にさえ潜んでいます。
- イエスさまは愛にあふれた叱責をもって答えられます。「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである」(9節)。イエスさまを見ることは、神を見ることです。ここで大切なのは肉眼で見ることではなく、イエスさまのみことばによって養われる霊の目で見ることです。
- 「わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい」(11節)。父が子のうちにおられ、子が父のうちにおられる。これ以上の交わりはありません。そしてイエスさまと交わりを持つことは、父ご自身と交わりを持つことなのです。それに比べれば、神を見るための一枚の写真など、取るに足りないものです。
- この臨在はあまりに親密なので、イエスさまはこう言われます。「わたしを信じる者は、わたしのしているわざを彼もするようになり、また、それよりも大きいわざをするようになる。わたしが父のみもとに行くからである。あなたがたが、わたしの名によって求めるならば、わたしはそれをかなえてあげよう」(12〜14節)。弟子たちが行うことになるのは、彼らを通して働かれるイエスさまご自身の御業であり、教会は世界中でイエスさまの御業を続けていくのです。
- この臨在の約束こそ、聖霊です。「わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別の助け主をお与えになって、いつまでもあなたがたと共におらせてくださるであろう。それは真理の御霊である。世はこれを見ようともせず、知ろうともしないので、これを受けることができない。あなたがたはこれを知っている。それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにおるからである」(16〜17節)。そしてイエスさまはさらにこう続けられます。「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしのことばを守るであろう。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人と一緒に住むであろう」(23節)。
- したがって、イエスさまを信じることは、その御霊によって、神の臨在があなたのうちに入ってくる扉を開きます。父と子と聖霊との親密な関係が、あなたに差し出されているのです。だれも見ることのできなかった、生けるまことの神が、あなたのうちに住まいを定めてくださいます。
- ではどうすれば、つながり続けることができるでしょうか。どうすれば、あなたのGPSをイエスさまに合わせ続け、この親密さを育んでいくことができるでしょうか。その答えは、この箇所全体を貫いています。それは、イエスさまのみことばに堅く結びつき、その戒めを守ることです。26節はその締めくくりとも言えるでしょう。「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに言ったことを、ことごとく思い起させるであろう」。
覚えておきたいポイント
- イエスさまを信じることは、宗教的な傲慢ではありません。それは、イエスさまご自身が言われていることに、あなたが応答することです。神がイエスさまにおいてあなたに与えてくださるものは、ほかのどこにも見出すことができません。
- あなたはある「場所」に属するように、すなわち神の臨在のために造られました。神なしでは、あなたはただ、代わりの行き先で郷愁を鎮めながらさすらうしかありません。イエスさまにあって、あなたの行き先は確かなものとされています。
- イエスさまは道であり、真理であり、いのちです。この提供には唯一性があります。あらゆる排他的な真理をあらかじめ拒絶することは、良い知らせなどではなく、私たちが受け取りうる中で最も悪い知らせなのです。
- 心配しないでください。あなたの信仰は、あなたより先を行く方に設定された霊的なGPSです。道中で何が起ころうと、あなたは必ず目的地にたどり着きます。
- イエスさまを信じることは、今この瞬間からの完全な臨在の保証でもあります。父と子と聖霊が、あなたのうちに住まいを定めてくださいます。この親密さは、みことばを守り、実行することによって養われていきます。
あなた自身への適用
- 今のあなたの生活の中で、本当の希望を託してしまっている「代わりの行き先」は何でしょうか(成功、結婚、引退、ある場所など)。もしそれらを、イエスさまが約束してくださる本当の行き先の前で、あるべき場所に置き直したなら、何が変わるでしょうか。
- 最近、「どの宗教も結局は同じことを言っている」というように考えたくなったことはありませんか。イエスさまの排他的な主張は、その考え方の何を揺さぶってくるでしょうか。
- あなたの歩みの中で、霊的なGPSがイエスさまから「外れて」しまったのは、どんな具体的な出来事でしたか(不安、疑い、妥協など)。今週、どんな具体的な行動によって、あなたの信仰をもう一度イエスさまに合わせ直すことができるでしょうか。
- あなたの家にある聖書は、いつも閉じたままになっていませんか。それを毎日開き、聖霊にイエスさまの語られたことを思い起こさせていただくために、どんな簡単な習慣を始めることができるでしょうか。
- この一週間、あなたのうちにある神の臨在をどのように感じてきましたか(日曜礼拝のときだけでなく、日常の何気ない瞬間の中で)。父と子と聖霊とのより深い親密さとは、あなたにとってどのようなものでしょうか。
引用された聖句
- ヨハネ 14:1-27
- ヨハネ 14:1
- ヨハネ 14:2-3
- ヨハネ 14:6
- ヨハネ 14:8-11
- ヨハネ 14:12-14
- ヨハネ 14:16-17
- ヨハネ 14:23
- ヨハネ 14:26
- ヨハネ 6:68
よくある質問
なぜイエスさまはヨハネ14章で、これほどまでに「わたしを信じなさい」と強調されるのですか。
それは、神がイエスさまにおいてあなたに与えてくださるものが、ほかのだれのもとにも見出せないからです。数ある宗教の創始者の中で、イエスさまだけがこれほど明確に、ご自分の神性と唯一の真理を主張されました。そしてそれができるのは、その行い、死、復活がそのことを裏づけているからです。この告別の説教が語られたのは、まさにご自分の民のためにいのちを差し出そうとしておられるそのときでした。だからこそイエスさまは強調されるのです。約束されているすべてのこと(永遠の行き先、完全な臨在)は、イエスさまへのこの信頼を通してのみ実現するからです。
「イエスは道であり、真理であり、いのちである」とは、具体的にどういう意味ですか。
イエスさまは、出口のないこの世界における救いです。その死と復活によって、神から断たれていた者たちのために、父のもとへと至る道を開いてくださいました。イエスさまは、もはや真理などないと言い張るこの世界における真理です。神の真理を、決定的なしかたで明らかにしてくださいます。イエスさまはいのちです。イエスさまと結び合わされることは、神ご自身のいのちと結び合わされることだからです。「わたしによらないでは、だれも父のみもとに行くことはできない」(6節)。神の完全な臨在へと本当に至る道は、ほかにはありません。
日々の生活の中で、どうすれば信仰をイエスさまに「合わせ続ける」ことができますか。
その答えは、ヨハネ14章全体を貫いています。イエスさまのみことばに堅く結びつき、その戒めを守ることです。具体的には、聖書を日々開いて、イエスさまが語られたことを聖霊に思い起こさせていただくこと(26節)、それを一週間の生活の中で実行していくこと、そして自分自身の礼拝の時、日曜礼拝、週の小グループに支えられていくことです。「ソファに座ったまま」神が現れてくれるのを待つのではなく、みことばを開いてください。神はすでにそこにおられます。
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