聖書 — 口語訳 (1955)
ヨハネによる福音書 13
概要
ヨハネによる福音書13章は、イエスが十字架にかかられる前夜の、最後の教えの始まりです。イエスは立ち上がり、手ぬぐいを取り、弟子たちの足を洗われます。その中には、やがてご自分を裏切るユダの足も含まれていました。奴隷の務めであるこの行いは、最後まで愛し抜かれた愛を示し、仕えることの模範となります。イエスは裏切りを告げたあと、新しい戒めを与えられます。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。この愛によって、世は弟子たちを見分けるのです。章はペテロの否認の予告で終わります。
この章の6つの区分
1過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された。
2夕食のとき、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていたが、
3イエスは、父がすべてのものを自分の手にお与えになったこと、また、自分は神から出てきて、神にかえろうとしていることを思い、
4夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、
5それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。
6こうして、シモン・ペテロの番になった。すると彼はイエスに、「主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのですか」と言った。
7イエスは彼に答えて言われた、「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう」。
8ペテロはイエスに言った、「わたしの足を決して洗わないで下さい」。イエスは彼に答えられた、「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる」。
9シモン・ペテロはイエスに言った、「主よ、では、足だけではなく、どうぞ、手も頭も」。
10イエスは彼に言われた、「すでにからだを洗った者は、足のほかは洗う必要がない。全身がきれいなのだから。あなたがたはきれいなのだ。しかし、みんながそうなのではない」。
11イエスは自分を裏切る者を知っておられた。それで、「みんながきれいなのではない」と言われたのである。
12こうして彼らの足を洗ってから、上着をつけ、ふたたび席にもどって、彼らに言われた、「わたしがあなたがたにしたことがわかるか。
13あなたがたはわたしを教師、また主と呼んでいる。そう言うのは正しい。わたしはそのとおりである。
14しかし、主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである。
15わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ。
16よくよくあなたがたに言っておく。僕はその主人にまさるものではなく、つかわされた者はつかわした者にまさるものではない。
17もしこれらのことがわかっていて、それを行うなら、あなたがたはさいわいである。
18あなたがた全部の者について、こう言っているのではない。わたしは自分が選んだ人たちを知っている。しかし、『わたしのパンを食べている者が、わたしにむかってそのかかとをあげた』とある聖書は成就されなければならない。
19そのことがまだ起らない今のうちに、あなたがたに言っておく。いよいよ事が起ったとき、わたしがそれであることを、あなたがたが信じるためである。
20よくよくあなたがたに言っておく。わたしがつかわす者を受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。わたしを受けいれる者は、わたしをつかわされたかたを、受けいれるのである」。
21イエスがこれらのことを言われた後、その心が騒ぎ、おごそかに言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」。
22弟子たちはだれのことを言われたのか察しかねて、互に顔を見合わせた。
23弟子たちのひとりで、イエスの愛しておられた者が、み胸に近く席についていた。
24そこで、シモン・ペテロは彼に合図をして言った、「だれのことをおっしゃったのか、知らせてくれ」。
25その弟子はそのままイエスの胸によりかかって、「主よ、だれのことですか」と尋ねると、
26イエスは答えられた、「わたしが一きれの食物をひたして与える者が、それである」。そして、一きれの食物をひたしてとり上げ、シモンの子イスカリオテのユダにお与えになった。
27この一きれの食物を受けるやいなや、サタンがユダにはいった。そこでイエスは彼に言われた、「しようとしていることを、今すぐするがよい」。
28席を共にしていた者のうち、なぜユダにこう言われたのか、わかっていた者はひとりもなかった。
29ある人々は、ユダが金入れをあずかっていたので、イエスが彼に、「祭のために必要なものを買え」と言われたか、あるいは、貧しい者に何か施させようとされたのだと思っていた。
30ユダは一きれの食物を受けると、すぐに出て行った。時は夜であった。
31さて、彼が出て行くと、イエスは言われた、「今や人の子は栄光を受けた。神もまた彼によって栄光をお受けになった。
32彼によって栄光をお受けになったのなら、神ご自身も彼に栄光をお授けになるであろう。すぐにもお授けになるであろう。
33子たちよ、わたしはまだしばらく、あなたがたと一緒にいる。あなたがたはわたしを捜すだろうが、すでにユダヤ人たちに言ったとおり、今あなたがたにも言う、『あなたがたはわたしの行く所に来ることはできない』。
34わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。
35互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」。
36シモン・ペテロがイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのですか」。イエスは答えられた、「あなたはわたしの行くところに、今はついて来ることはできない。しかし、あとになってから、ついて来ることになろう」。
37ペテロはイエスに言った、「主よ、なぜ、今あなたについて行くことができないのですか。あなたのためには、命も捨てます」。
38イエスは答えられた、「わたしのために命を捨てると言うのか。よくよくあなたに言っておく。鶏が鳴く前に、あなたはわたしを三度知らないと言うであろう」。
鍵となる聖句
過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された。
イエスはご自分の時が来たことを知り、愛する者たちを最後まで愛し抜かれました。足を洗う物語はこの愛のしるしの下に置かれており、この後に起こることはすべて愛の現れです。
しかし、主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである。 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ。
イエスはご自分の行いを説明されます。主であり師である方が仕える者となられ、弟子たちにも同じようにするよう招かれます。教会によってはこれを儀式として行い、また別の教会では日々の生活で実践すべき謙遜の模範と受け止めています。
わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。
愛するという戒めは、すでに律法の中にもありました。新しいのはその基準です。もう自分自身のようにではなく、イエスご自身が愛されたように愛することが求められます。
互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」。
イエスは、世の人が弟子たちを見分けるしるしを示されます。それは知識でも目立つ働きでもなく、信じる者どうしの間にある愛です。
聖書クイズに挑戦
この章に登場する人物
説教が語っていること
ヨハネによる福音書13章についてよくある質問
ヨハネ13章の足を洗う行いは何を意味しますか
イエスの時代、客の足を洗うのは奴隷の仕事でした。イエスご自身がそれをなさることで、その愛がへりくだりに至るほどであることを示し、弟子たちに仕えることの模範を残されました。この行いは、清めをもたらす十字架での命の献げ物も予告しています。キリスト教の伝統によって受け止め方は異なり、洗足を儀式として行う教会もあれば、日々の生活で実践する謙遜の教えと考える教会もあります。
なぜイエスは新しい戒めと言われたのですか
隣人を愛することは、すでにモーセの律法にありました。変わったのは模範です。イエスは、わたしが愛したように愛しなさいと求められます。それは、仕え、赦し、命を与えるという愛です。基準はもはや自分への愛ではなく、キリストが私たちを愛された愛です。
なぜイエスはユダの足も洗われたのですか
聖書は、イエスがご自分を裏切る者を知っておられたと記しています。それでも、その行いからユダを除かれませんでした。多くの説教者は、そこにイエスの愛が相手の応答に左右されないことを見ています。また、ユダが夜の闇へ出て行く場面は、裏切りの重大さも示しています。
もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何の関係もない、とはどういう意味ですか
ペテロが最初、足を洗っていただくことを拒んだとき、イエスは、そのお世話を受けることがご自分に属するために必要だと答えられました。私たちは、仕える前に、まずキリストに仕えられ、清められることを受け入れる必要があるということです。その後ペテロは反対の行き過ぎに向かい、イエスは後で分かるようになると教えられます。
ヨハネによる福音書 13を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。