すべてを持っていた方が、たらいを手に取られた

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はじめに

十字架刑のわずか数時間前、すべてがご自分の手の中にあったとき、イエスは戸惑うような行動を取られます。弟子たちを呼び集めて栄光に満ちた最後の説教をされるのでもなく、ご自分の権威を思い起こさせるのでもありませんでした。イエスはたらいを手に取り、弟子たちの足を洗われたのです。聖書は、このとき父がすべてをイエスの手に委ねておられたこと、イエスがご自分がどこから来てどこへ行くのかを知っておられたこと、そしてイエスが愛のかぎりを尽くされたことを伝えています。この牧会メッセージは、あなたをこの場面を見つめる歩みへと招き、ひとつのシンプルな問いに向き合わせます。あなたに委ねられているものの頂点で、あなたはどんな行動を選ぶでしょうか。

メッセージの概要

1.すべてを持っておられたその時に、たらいを手に取られた

  • イエスは十字架刑のわずか数時間前、ご自分の権威と力の頂点におられました。
  • 父はすべてをイエスの手に委ねられました。イエスに欠けているものは何もなく、拒まれるものも何もありませんでした。
  • 聖書は、イエスが愛のかぎりを尽くされ、弟子たちを最後まで愛されたと伝えています。
  • そして、まさにその瞬間に、イエスはたらいを手に取り、弟子たちの足を洗われたのです。

2.私たちなら、その立場でどうするか

  • 正直になりましょう。私たちがお金や影響力、権威の頂点に達したとき、足を洗うという発想は浮かんできません。
  • 私たちの多くは、自分にご褒美を与えるでしょう。週末旅行、素敵な車、贈り物、そして自分のための権威の行使です。
  • イエスはまったく逆のことをされました。頂点を、仕えられるためではなく、仕えるために用いられたのです。
  • この対比こそがメッセージの核心です。真の偉大さは自分を主張するのではなく、自らを低くします。

3.高慢が壊すものを、たらいが救う

  • 家族や教会を最も破壊するのは、教理の違いではなく、高慢です。
  • 多くの教会が分裂するのは、真理が問題になっているからではなく、自我と自我がぶつかり合うからです。
  • もし私たちの夫婦関係、家族、教会において、自分の主張を通すよりもたらいを取ることを学べたなら、多くの決裂を避けられたでしょう。
  • 高慢が扉を閉ざすところで、謙遜は神の恵みに場所を開きます。

ポイント

  • イエスは、すべてをご自分の手にしておられたまさにその瞬間にたらいを手に取られました。この逆説こそが、その行動に力を与えています。
  • 真の権威は、自分自身のために何を得るかではなく、他者に何を与えるかによって証明されます。
  • 自分を喜ばせることそのものは悪いことではありませんが、すべてが委ねられたときにイエスが最初に選ばれたことではありませんでした。
  • 家族や教会における分裂のほとんどは、教理の問題ではなく、自我の問題から来ています。
  • 自分の主張を通すよりもたらいを取ることは、神の恵みが現れる余地を開くことです。

個人的な適用

  1. 今日あなたが権威を持っている場所(職場、家庭、教会)で、それを自分に仕えさせるためではなく、仕えるためにどう用いられるかを自問してください。
  2. あなたが今、自分の主張を通そうとしている関係をひとつ思い浮かべてください。今週、議論に勝つことよりも、たらいを取ることを選んでみたらどうでしょうか。
  3. 祈りの時間を取り、あなたが気づかないうちに高慢が入り込んでいる場所を神に示していただくよう求めてください。夫婦関係、兄弟姉妹の交わり、チームの中で。
  4. ヨハネの福音書13章1-17節とピリピ人への手紙2章5-8節を、静かに、小さな声でゆっくり読みながら、「私の人生のどこで、イエスは私に自分を低くするよう求めておられるのか」と自問してください。
  5. 今週、誰にも見られることのない、隠れた奉仕の具体的な行動をひとつ実践してください。それは、イエスが最初にしてくださったことへの静かな従順の行為です。

引用聖句

よくある質問

たらいを取るということは、すべてを受け入れて真理を決して守らないということですか?

いいえ、違います。謙遜は臆病さではありません。それは真理を無効にするものではなく、真理の伝え方を変えるものです。問題は、正しいことを守るか黙るかを選ぶことではなく、あなたが何かを守るとき、自分の自我を満たそうとしているのか、それとも神と隣人に仕えようとしているのかを見極めることです。たらいとは、共犯的な沈黙のことではなく、高慢よりも従順を選ぶ内面の姿勢のことです。

それが真理ではなく自分の自我が語っていると、具体的にどう見分ければよいですか?

ひとつの良い方法は、もし相手が正しかったらどうなるかを自問することです。あなたはそれを平安のうちに受け入れられますか。自分のアイデンティティが崩れることなく、議論に負けることができますか。もうひとつの方法は、あなたが立場を守っているのか、それとも自分のイメージを守っているのかを見極めることです。自我が語っているときには、内側に緊張があり、最後の一言を言いたいという欲求があり、最後まで聞くことが難しくなります。真理が語っているときには、意見の相違があっても平安があります。

高慢が家族や教会を最も破壊するものであるなら、それに陥らないためにどこから始めればよいですか?

まず自分自身の在り方から始めてください。他人の高慢を指摘する前に、自分自身の高慢を見つめてください。10分ほど時間を取って自問してください。今週、私はどこで最後の一言を言おうとしただろうか。自尊心が傷ついたために、私はどこで恨みを抱き続けているだろうか。面子を失いたくないために、私はどこで謝ることを拒んだだろうか。そして、文字通りたらいを手に取ってください。奉仕の行動、赦しの言葉、差し伸べる手を。神の恵みは、謙遜が一歩踏み出すところに現れます。

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