聖書 — 口語訳 (1955)

創世記 18

概要

創世記18章で、主はマムレのテレビンの木のかたわらで、三人の人の姿でアブラハムに現れられます。アブラハムは急いで彼らをもてなします。彼らは、年老いて子のないサラに男の子が生まれると告げ、サラは心の中で笑います。続いて神は、ソドムにしようとしていることをアブラハムに打ち明けることにされます。アブラハムは町のためにとりなし、五十人の正しい者から十人まで交渉します。この章は、約束し、訪れ、祈りを聞いてくださる神を示しています。

この章の4つの区分

  1. 1-8節マムレの三人の訪問者:アブラハムのもてなし
  2. 9-15節男の子の約束と、サラの笑い
  3. 16-21節神は、ソドムにしようとしていることをアブラハムに打ち明けられる
  4. 22-33節アブラハムのとりなし:五十人の正しい者から十人まで

1主はマムレのテレビンの木のかたわらでアブラハムに現れられた。それは昼の暑いころで、彼は天幕の入口にすわっていたが、

2目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼はこれを見て、天幕の入口から走って行って彼らを迎え、地に身をかがめて、

3言った、「わが主よ、もしわたしがあなたの前に恵みを得ているなら、どうぞしもべを通り過ごさないでください。

4水をすこし取ってこさせますから、あなたがたは足を洗って、この木の下でお休みください。

5わたしは一口のパンを取ってきます。元気をつけて、それからお出かけください。せっかくしもべの所においでになったのですから」。彼らは言った、「お言葉どおりにしてください」。

6そこでアブラハムは急いで天幕に入り、サラの所に行って言った、「急いで細かい麦粉三セヤをとり、こねてパンを造りなさい」。

7アブラハムは牛の群れに走って行き、柔らかな良い子牛を取って若者に渡したので、急いで調理した。

8そしてアブラハムは凝乳と牛乳および子牛の調理したものを取って、彼らの前に供え、木の下で彼らのかたわらに立って給仕し、彼らは食事した。

9彼らはアブラハムに言った、「あなたの妻サラはどこにおられますか」。彼は言った、「天幕の中です」。

10そのひとりが言った、「来年の春、わたしはかならずあなたの所に帰ってきましょう。その時、あなたの妻サラには男の子が生れているでしょう」。サラはうしろの方の天幕の入口で聞いていた。

11さてアブラハムとサラとは年がすすみ、老人となり、サラは女の月のものが、すでに止まっていた。

12それでサラは心の中で笑って言った、「わたしは衰え、主人もまた老人であるのに、わたしに楽しみなどありえようか」。

13主はアブラハムに言われた、「なぜサラは、わたしは老人であるのに、どうして子を産むことができようかと言って笑ったのか。

14主にとって不可能なことがありましょうか。来年の春、定めの時に、わたしはあなたの所に帰ってきます。そのときサラには男の子が生れているでしょう」。

15サラは恐れたので、これを打ち消して言った、「わたしは笑いません」。主は言われた、「いや、あなたは笑いました」。

16その人々はそこを立ってソドムの方に向かったので、アブラハムは彼らを見送って共に行った。

17時に主は言われた、「わたしのしようとする事をアブラハムに隠してよいであろうか。

18アブラハムは必ず大きな強い国民となって、地のすべての民がみな、彼によって祝福を受けるのではないか。

19わたしは彼が後の子らと家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公道とを行わせるために彼を知ったのである。これは主がかつてアブラハムについて言った事を彼の上に臨ませるためである」。

20主はまた言われた、「ソドムとゴモラの叫びは大きく、またその罪は非常に重いので、

21わたしはいま下って、わたしに届いた叫びのとおりに、すべて彼らがおこなっているかどうかを見て、それを知ろう」。

22その人々はそこから身を巡らしてソドムの方に行ったが、アブラハムはなお、主の前に立っていた。

23アブラハムは近寄って言った、「まことにあなたは正しい者を、悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。

24たとい、あの町に五十人の正しい者があっても、あなたはなお、その所を滅ぼし、その中にいる五十人の正しい者のためにこれをゆるされないのですか。

25正しい者と悪い者とを一緒に殺すようなことを、あなたは決してなさらないでしょう。正しい者と悪い者とを同じようにすることも、あなたは決してなさらないでしょう。全地をさばく者は公義を行うべきではありませんか」。

26主は言われた、「もしソドムで町の中に五十人の正しい者があったら、その人々のためにその所をすべてゆるそう」。

27アブラハムは答えて言った、「わたしはちり灰に過ぎませんが、あえてわが主に申します。

28もし五十人の正しい者のうち五人欠けたなら、その五人欠けたために町を全く滅ぼされますか」。主は言われた、「もしそこに四十五人いたら、滅ぼさないであろう」。

29アブラハムはまた重ねて主に言った、「もしそこに四十人いたら」。主は言われた、「その四十人のために、これをしないであろう」。

30アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしは申します。もしそこに三十人いたら」。主は言われた、「そこに三十人いたら、これをしないであろう」。

31アブラハムは言った、「いまわたしはあえてわが主に申します。もしそこに二十人いたら」。主は言われた、「わたしはその二十人のために滅ぼさないであろう」。

32アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしはいま一度申します、もしそこに十人いたら」。主は言われた、「わたしはその十人のために滅ぼさないであろう」。

33主はアブラハムと語り終り、去って行かれた。アブラハムは自分の所に帰った。

鍵となる聖句

1-2節
主はマムレのテレビンの木のかたわらでアブラハムに現れられた。それは昼の暑いころで、彼は天幕の入口にすわっていたが、 目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼はこれを見て、天幕の入口から走って行って彼らを迎え、地に身をかがめて、

主は三人の人の姿でアブラハムに現れられます。本文は「主」と人々とを行き来しており、そのためキリスト教の伝統はここに神の現れを見ており、受肉前のキリストに結びつける人もいます。

12-14節
それでサラは心の中で笑って言った、「わたしは衰え、主人もまた老人であるのに、わたしに楽しみなどありえようか」。 主はアブラハムに言われた、「なぜサラは、わたしは老人であるのに、どうして子を産むことができようかと言って笑ったのか。 主にとって不可能なことがありましょうか。来年の春、定めの時に、わたしはあなたの所に帰ってきます。そのときサラには男の子が生れているでしょう」。

サラは約束を聞いて心の中で笑います。神は有名な問いを投げかけられます。「主にとって不可能なことがありましょうか」。そして、定めの時にまた帰ってくると告げられます。

17-19節
時に主は言われた、「わたしのしようとする事をアブラハムに隠してよいであろうか。 アブラハムは必ず大きな強い国民となって、地のすべての民がみな、彼によって祝福を受けるのではないか。 わたしは彼が後の子らと家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公道とを行わせるために彼を知ったのである。これは主がかつてアブラハムについて言った事を彼の上に臨ませるためである」。

神は、ご自分の計画をアブラハムに隠さないことを選ばれます。神はアブラハムを知って選び、その家族に、主の道を守り、正義と公道を行わせるためだと語られます。

25節
正しい者と悪い者とを一緒に殺すようなことを、あなたは決してなさらないでしょう。正しい者と悪い者とを同じようにすることも、あなたは決してなさらないでしょう。全地をさばく者は公義を行うべきではありませんか」。

アブラハムは神のご性格に訴えます。「全地をさばく者は公義を行うべきではありませんか」。彼の祈りは、神がどのような方かに根ざしており、敬意と率直さに満ちています。

32節
アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしはいま一度申します、もしそこに十人いたら」。主は言われた、「わたしはその十人のために滅ぼさないであろう」。

アブラハムは十人の正しい者のところで止まり、神はそれを受け入れられます。とりなしは神を操るものではなく、恵みを施したいという神の願いを表し、神がどれほど耳を傾けてくださるかを思い起こさせます。

この章に登場する人物

説教が語っていること

アブラハム、神の友:招きを受け入れるジャン・クラヴァン・ナナは、17節の神の問いをもとに、友情は啓示の中で生きられることを示します。神が計画をアブラハムと分かち合われたので、アブラハムはとりなすことができるのです。要約を読む →神は破れ口に立つ人を探しておられます。あなたは「わたしがここにおります」と言いますかスティーブ・ジャファールは、ソドムのためのアブラハムのとりなしを、モーセのとりなしと重ね合わせます。主は今も、破れ口に立つことを受け入れる人々を探しておられます。要約を読む →弟子訓練:あなたの実はあなたの後に残らなければならないペギー・ンナー・ンドン牧師は19節に基づいて語ります。神はアブラハムを選び、その家族に主の道を伝えさせました。弟子づくりは、創世記から続いている計画です。要約を読む →生ける希望:すべてが死んだように見える朝に希望についてのメッセージは、12節のサラの笑いに触れます。約束を前にした不信の笑いを、神は生きた希望に変えることがおできになります。要約を読む →燃える柴のモーセ:神があなたの名を呼ばれる説教者は、マムレの三人の訪問者を燃える柴の出来事と重ね合わせ、キリスト教の伝統がそこに受肉前のキリストの現れを見ていることを思い起こさせます。要約を読む →

創世記18章についてよくある質問

創世記18章でアブラハムを訪ねた三人の人とはだれですか。

本文はまず主が現れたと述べ、続いて三人の人を示します。そのうちの一人は主として語り、あとの二人はソドムへ向かいます(創世記19章は彼らを御使いと呼んでいます)。多くのクリスチャンは、ここに神の現れ、ときに受肉前のキリストを見ます。神の使いと見る人もいて、伝統によって見方が分かれます。

創世記18章で、なぜサラは笑ったのですか。

サラは年老いており、もう子を産めるとは思っていませんでした。男の子の約束を聞いて、心の中で笑います。神はその笑いを取り上げ、主にとって不可能なことがあるだろうかと問われます。約束の子は生まれ、イサクと名づけられます。その名は笑いを思わせます。本文は、人の疑いを消し去らずに認めています。

ソドムのためのアブラハムの祈りは何を教えていますか。

アブラハムは、神の義に拠り所を置きながら、大胆に、そして敬意をもってとりなします。五十人から十人まで人数を減らし、神はそのたびに受け入れられます。信者はここに他の人々のための祈りの模範を見ます。率直に神に近づき、神のご性格を知り、さばきを受けるに値する人々のために訴えるのです。

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口語訳(1955年)— パブリックドメイン。