勇気を出してください、イエスは世に勝たれました:あなたのためのサバイバルキット

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はじめに

牧師の部屋のドアを叩くクリスチャンが口にする理由は、たいてい三つのうちのどれかです。まず悲しみです。人生の混乱の中で、自分が今どこにいるのか、神がどこにおられるのかがわからなくなるときです。次に混乱です。閉ざされる扉、開かれる扉、仕事や恋愛、あるいは信仰の将来がわからなくなるときです。そして最後に、何度も繰り返し戻ってくる罪との戦いです。抜け出せないと感じるあの罪です。

これらの三つの苦しみは今に始まったことではありません。イエスが弟子たちに最後の大きな教えを与えられたあの夜、17章の祈りの直前、十字架の直前にも、弟子たちの心にすでにあったものです。あの夜イエスが語られたことは、苦しみの中にあるクリスチャンのためのサバイバルキットと呼ぶことができます。ヨハネ16:16-33を開いてください。もしあなたが疲れていたり、迷っていたり、自分の過ちに押しつぶされそうになっているなら、これはあなたのための箇所です。

メッセージの構成

1. 悲しみ:イエスはあなたの嘆きを喜びに変えたいと願っておられます

16節で、イエスは弟子たちが理解できないことを告げられます。「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなる。しかし、またしばらくすると、わたしを見るようになる。」イエスは十字架、ご自分の死、そしてすべてが終わったように思える弟子たちの人生で最も恐ろしい二日間について語っておられます。弟子たちにはまだその鍵が見えていません。彼らが泣いている間、世は喜ぶことになります。彼らが愛する方は辱められ、傷つけられ、十字架につけられ、群衆はその代わりに一人の犯罪者を釈放するよう求めるのです。

希望を与えるために、イエスは強い比喩を用いられます。それは出産する女性の姿です(ヨハネ16:21)。彼女は激しい痛みを経験しますが、ついに我が子を胸に抱くとき、それまでのすべてが消え去ります。苦痛にゆがんだ顔は、微笑みに変わります。イエスは弟子たちに、そして今日のあなたにこう語っておられます。「わたしはあなたに、自分の悲しみをそのように見てほしい。」あなたの苦しみは本物ですが、それは一時的なものです。そしてイエスは、それを喜びに変えたいと願っておられます。

ここで何が語られているかに注目してください。イエスは十字架での処刑について語っておられるのです。弟子たちにとってこの出来事の記憶は、永遠に混乱の記憶であり続けるわけではありません。それはやがて喜びの記憶になります。あなたも私も今日、十字架を思うとき「ありがとうございます」と言うことができます。パウロと共にこう言えるからです。「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対するご自身の愛を明らかにしておられる」(ローマ5:8)。あなたの悲しみも、同じように証しに変えられていくのです。

イエスが約束しておられないことにも注目してください。イエスは困難を避けさせてくださるとは約束しておられません。困難な状況の中で、あなたの心を変えると約束しておられるのです。この喜びは超自然的なものです。状況が変わるかどうかにはよらず、あなたが傷ついた心をイエスの御手に委ねるかどうかによるのです。22節。「あなたがたからその喜びを奪い去る者はいない。」それは誰にも奪うことのできない喜びです。

そしていつの日か、その癒やしは完全なものとなります。黙示録21:3-4は、その最終的な姿をこう描いています。「神は彼らの目からすべての涙をぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、痛みもない。」あなたを打ちのめしたものの記憶が、もはやあなたを傷つける力を持たなくなる時が来るのです。イエスは、その喜びに今日すでに触れさせたいと願っておられます。

2. 混乱:イエスは父なる神の友情をあなたに与えたいと願っておられます

弟子たちには何もわかりません。「わたしは父のもとに行く」とはどういうことなのか。彼らは恐れ、疑問の中でぐるぐると考えを巡らせます。そこでイエスは23節で不思議なことを言われます。「その日には、あなたがたはもう何もわたしに尋ねなくなる。」

イエスは、これから何をなさるのかを詳しく説明されません。イエスには、わたしたちの質問に答えるのではなく、わたしたちの必要に答えるという、ある意味厄介な傾向があります。弟子たちに本当に必要なのは、父ご自身が彼らを愛しておられると知ることです。「父ご自身があなたがたを愛しておられる。それは、あなたがたがわたしを愛し(中略)たからである」(ヨハネ16:27)。あなたが迷い、神が沈黙しておられるように思えるとき、あなたに本当に必要なのは答えではなく、友情なのです。

では、どうすればよいのでしょうか。イエスの名によって祈ることです。それは祈りの最後に付け加える魔法の言葉ではありません。それは、あなたが神に近づく仕方そのものです。わたしたちの大きな問題は罪であり、それがわたしたちと神との間に生み出す隔たりです。しかしイエスが十字架で死んでくださったので、あなたはもう震えながら父の御前に出るのではありません。親に抱きしめられる子どものように、そこに入っていくのです。

だからこそ、あなたが苦しんでいるとき、敵がまず取る戦略は、あなたを神との関わりから遠ざけることです。誰にも話したくなくなり、まして小グループでは話す気にもなれなくなります。祈ることが億劫になり、聖書を読むことが重荷になります。イエスがここで祈りをどれほど強く勧めておられるか、その重みを軽く見ないでください。それは口先だけの言葉ではありません。宇宙の神の御前に自分を置き、こう言うことです。「わたしを憐れんでください。誰よりもそれが必要なのです。」

神は答えてくださいます。しかし二つの方法で答えられます。時にはまるでヒーローのように障害を打ち砕かれます。しかし多くの場合、神は別のことをなさいます。あなたのそばに来られるのです。苦しみから瞬間移動させてくださるのではなく、あなたの手を取って、その苦しみの中を一緒に歩いてくださいます。そしてそこにこそ、混乱の只中に喜びが生まれるのです。敵のもう一つの大きな嘘は、あなたが苦しんでいるのは神が遠くにおられるからだと信じ込ませることです。しかし実際はまったく逆です。わたしたちの神は、共に苦しんでくださる神です。飢え、渇き、痛みを経験し、わたしたちと共に死んでくださった方です。

ある人が最近こう語っていました。彼女は長い間、対立の絶えない父親を神が変えてくださるように祈っていました。祈って、祈って、祈り続けました。しかし何も変わりませんでした。ある日、神が求めておられたのは自分自身の心を変えることであり、父を赦す心を神に与えていただくことだと気づいたのです。父親自身は変わりませんでしたが、関係そのものが変えられました。あなたは、あなたの苦しみに対する神の答えが「状況を変える」ではなく「心を変える」ことであっても、それを受け入れる備えができていますか。

そして、ある決断のための明確な答えを待っているなら、こう覚えておいてください。「あなたがたのうち、知恵に欠けている人があれば、その人はとがめることなくすべての人に惜しみなく与えてくださる神に願い求めるがよい。そうすれば与えられる」(ヤコブ1:5)。あなたが知らないことは、神にとって何の問題でもありません。問題は、求めないことなのです。そして時には、答えは単に「待ちなさい」ということもあります。それは神があなたを退けておられるのではなく、あなたを整えておられるのです。

そうした時、あなたの心はあなたに嘘をつこうとします。あなたが混乱の中にいるから神は遠ざかってしまったのだ、と語りかけてくるでしょう。それは真実ではありません。あなたと神との関係を決めるものはただ一つです。キリストがあなたの罪のために十字架で死なれたこと、そしてあなたがそれを受け入れたかどうかです。もしそうであるなら、あなたは神に限りなく近い存在です。何もあなたを神から引き離すことはできません。

3. 罪:イエスはあなたに平安を与えたいと願っておられます

弟子たちは突然、あることに気づきます。「今、わたしたちにわかりました。あなたはすべてのことをご存じであり(中略)ですから、わたしたちは、あなたが神から出て来られたことを信じます」(30節)。彼らは意気込み、自分が強くなったように感じています。まさにその瞬間、イエスはこう告げられます。「見よ、あなたがたが散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとりだけ残す時が来る。いや、すでに来ている」(32節)。

数時間後、弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げてしまいます。最も強い決意を示していた者でさえ、三度イエスを知らないと言うのです。彼らは誠実でした。しかし彼らの問題は誠実さではなく、彼らの内側にあって彼らを倒す罪そのものでした。「もし自分には罪がないと言うなら、それは自分自身を欺いている」(第一ヨハネ1:8)。すべてのクリスチャンは失敗します。あなたも例外ではありません。もう乗り越えたと思っていたあの罪も、例外ではないのです。

この厳しい告知に対するイエスの答えが、33節です。「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためである。あなたがたは世にあって苦難がある。しかし勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」この平安は、あなたが二度と失敗しないという約束の上に築かれているのではありません。イエスが勝利されたという事実の上に築かれているのです。

イエスが「わたしは世に勝っている」と言われるとき、それは罪への勝利について語っておられるのです。あなたの過ち、失敗、不誠実さは、もはやあなたと神との関係を壊す力を持ちません。神があなたに対して怒られることは二度とありません。この和解はあまりにも完全であるため、いかなる隔たりも再び生まれることはありません。聖霊は決してあなたを離れません。あなたは自分の救いを疑う必要はないのです。

罪責感と戦っているクリスチャンに、よく聞いてほしいのです。絶え間ない罪悪感はクリスチャンの感情ではありません。あなたが倒れたとき、キリストに罪を告白すれば、その瞬間に解放されます。イエスの赦しはシンナーのように強力です。大きな罪も小さな罪も、過去のものも現在のものも、そして未来のものさえも、すべてを消し去ります。自分の罪はあまりに大きすぎると信じ込むことで、いったいどれほど多くの人が平安を自ら手放していることでしょうか。もしあなたがそうなら、あなたはまだ恵みが何であるかを本当には理解していません。イエスはすべてを支払ってくださったのです。

だからこそパウロは同じ章でこう続けています。「ですから、今わたしたちがキリストの血によって義とされたのなら、なおさら、彼によって神の怒りから救われるのです」(ローマ5:9)。クリスチャンは裁きの日を恐れながら待つのではなく、心待ちにしています。それは、なお自分の内に残っている罪が消え去る日だからです。恐れるのではなく、望み見るのです。

要点のまとめ

  • クリスチャンの人生には三つの苦しみが繰り返し訪れます。悲しみ、混乱、罪です。イエスはそれぞれに答えを備えておられます。
  • 悲しみに対しては、誰にも奪うことのできない喜びを与えてくださいます(ヨハネ16:22)。状況を変えると約束されるのではなく、あなたの心を変えると約束されます。
  • 混乱に対しては、父なる神との友情を与えてくださいます(ヨハネ16:27)。イエスはいつもあなたの質問に答えられるわけではありませんが、いつもあなたの必要に答えてくださいます。
  • 罪に対しては、ご自身の平安を与えてくださいます(ヨハネ16:33)。十字架での勝利により、あなたの過ちが神からあなたを引き離すことは決してありません。
  • 祈りは、このサバイバルキットへの道です。イエスの名によって祈るとは、自分の功績によってではなく、十字架によって神に近づくことです。

自分への適用

  • 今日、あなたの人生を最も支配している苦しみは何ですか。悲しみ、混乱、それとも罪ですか。今週、その具体的な苦しみをすでに祈りの中でイエスに差し出しましたか。
  • 神があなたの状況を変えるのではなく、あなたの心を変えられるとしたら、あなたはそれを受け入れる備えができていますか。そのために手放す必要があるものは何ですか。
  • 今あなたの心は、神との関係についてあなたに嘘をついていませんか。「神は遠くにいる」「神は自分を見捨てた」「自分は罪を犯しすぎた」など、あなたが信じているのはどんな嘘ですか。
  • すでに告白したはずの罪について、まるで十字架だけでは足りなかったかのように、今もなお罪悪感を抱え続けていませんか。イエスはそれに対して何と言われるでしょうか。
  • ひとりで抱え込まずに、今週、あなたが抱えている苦しみについて誰かに話すとしたら、それは誰ですか。

引用された聖句

  • ヨハネ 16:16-33 ・ 苦しみの中にあるクリスチャンのためのサバイバルキット
  • ローマ 5:8-9 ・ わたしたちがまだ罪人であったときにキリストが死んでくださった
  • 黙示録 21:3-4 ・ 神はわたしたちの目からすべての涙をぬぐい取ってくださる
  • ヤコブ 1:5 ・ とがめることなく与えてくださる神に知恵を求める
  • 第一ヨハネ 1:8 ・ 自分には罪がないと言うなら、それは自分自身を欺いている

よくある質問

ヨハネ16:33でイエスが「わたしはすでに世に勝っている」と言われたのはどういう意味ですか?

イエスは十字架における罪への勝利について語っておられます。あなたの過ち、失敗、不誠実さは、もはやあなたを神から引き離す力を持ちません。和解は完全なものです。だからこそイエスはその直前に「わたしにあって平安を得るためである」と言われたのです。平安はあなたの行いからではなく、イエスの勝利から来るのです。

苦しみの中で祈っても、なぜ神は答えてくださらないのですか?

神は二つの方法で答えられます。時には、まるでヒーローのように障害を打ち砕かれます。しかしそれ以上に多いのは、あなたのそばに来て、手を取って苦しみの中を一緒に歩んでくださることです。神はまず状況を変えたいのではなく、あなたの心を変えたいのです。そして、誰もあなたから奪うことのできない喜びを与えたいのです(ヨハネ16:22)。

イエスの名によって祈るとはどういうことですか?

イエスの名によって祈るとは、祈りの最後に付け加える魔法の言葉ではありません。それは、あなたが神に近づく仕方そのものです。自分の功績にではなく、イエスが十字架で支払ってくださったものに基づいて近づくのです。あなたはもう震えながらではなく、親の腕に抱かれる子どものように父なる神の御前に出ることができます。

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