はじめに
あなたはこのクリスマス、素敵な時間を過ごしたかもしれません。発表会、支援の募金活動、家族との夜。それでも心のどこかに、こんな問いが残っているのではないでしょうか。このクリスマスは、あなたにとって何を変えるのだろうか、と。この、ヴァーティカル教会で語られたメッセージは、ヘブライ人への手紙2章10〜18節から、あるひとつのことをあなたに示そうとしています。クリスマスにおいて、神様は象徴的なジェスチャーをしたのではありません。神様はあなたと連帯してくださったのです。あなたの人間としての境遇に、あなたが受けるはずだった罪の宣告に、あなたの戦いに、寄り添ってくださったのです。「受肉」という少し専門的な言葉は、こういう意味です。すなわち、常に100パーセント神であられたイエス様が、ある時、100パーセント人となられた。しかも神であることを一度もやめずに、です。この選びは、あなたにとってすべてを変えます。
メッセージの構成
1. イエス様はあなたを恥じなかった
- ヘブライ人への手紙2章11節には、驚くべき言葉があります。「イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥とせず」。あなたの至らなさ、あなたの罪について何もかもご存じでありながら、イエス様は人間としてのあなたの境遇を分かち合うことを恥じなかったのです。
- 語り手は、がんを患う若者の動画を紹介します。友人たちは連帯のしるしとして、みな頭を剃ります。「坊主頭は絶対に似合わない」と思っていた人たちでさえ、苦しむ友のために自分の見た目を犠牲にすることを受け入れたのです。
- イエス様は、それをはるかに大きなスケールでなさいました。あなたのため、私のために、人間の生活のあらゆる制限を引き受けてくださったのです。疲れ、空腹、ぶつけて痛む体、内臓、感情。かつて何ひとつ制限を持たなかった神様にとって、それはどれほどの隔たりだったでしょうか。
- この箇所からあなたが受け取れるメッセージはこうです。自分の欠点を目にしたとき、自己評価が崩れる必要はありません。神様はあなたのようになることさえ厭わなかったのです。あなたがどれほど神様の目に価値ある存在か、見てください。
2. 思いつきではなく、計画された選び
- 12〜13節で、著者は詩篇22篇(イエス様が十字架上でも引用される箇所です)とイザヤ書8章を引用します。どちらも旧約聖書の箇所で、クリスマスより何世紀も前に書かれ、神様が人間と連帯してくださる姿を示しています。
- イエス様は、ある日ふと思いつきで「よし、あの小さな人間たちのところへ行こう」と決めたのではありません。それは、旧約聖書の時代から預言され、じっくりと熟された上で引き受けられた選びなのです。
- このことは、クリスマスがあなたについて語ることに、さらに重みを加えます。神様は、あなたの人生を分かち合うことを、組織し、備え、計画してくださったのです。それは偶然ではありません。決断なのです。
3. 目的:あなたをご自分の家族に集めること
- 10節。「万物の存在の目的であり、また万物を存在させた方が、多くの子たちを栄光に導くために」。聖書における「栄光」という言葉は、神様の臨在から放たれるものを指します。
- 神様の究極の目的は、あなたが正しく生きることだけではなく、あなたが道徳的な人になることでもありません。それは、あなたと関係を持つことです。あなたをご自分のそばへ連れ戻すことです。
- 語り手は、自分の母親の思いを分かち合います。母にとって最大の喜びは、何かを贈られることではなく、ただ家族全員が自分の周りに集まっていることだ、と。神様も父として、まさに同じ思いなのです。
- あなたを集めるためには、あなたに似た方にならなければなりませんでした。そして本当に共にいるためには、実際にそこにいる必要がありました。だからこそイエス様は天にとどまらず、来られ、成長し、人々の間で生活されたのです。
4. 「ふさわしかった」:神様は愛だから
- 本文は、イエス様が苦しみを受けるために来られたことは「ふさわしかった」と述べています。つまり、それは適切なことであり、神様のご性質に合致したことだったのです。
- それは神様のご性質にふさわしいのです。神様は愛です。そして真実の愛は常に、相手のために自分を犠牲にし、その人の苦しみのただ中に降りて行き、その人がふさわしくないときでさえ支えに行く用意があります。
- 神様の愛は、いわば神様を来させずにはおかなかったのです。神様でありながら遠く離れたままではいられませんでした。クリスマスは、あなたへの神様の愛の大きさが現された出来事なのです。
5. あなたの罪の宣告に寄り添う方:死はもはや最後の言葉ではない
- 14節。イエス様は同じ肉と血とを持たれました。「それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼし尽くすためであった」とあります。
- イエス様が死をもってあなたを救うためには、死ぬことができる方でなければなりませんでした。全能で、永遠で、体を持たない神様は、死ぬことができません。人となることを選ばない限りは。イエス様が受肉されたのは、まさに死ぬためだったのです。
- 聖書において、サタンとは「告発者」という意味であり、これは称号であって名前ではありません。サタンは昔から、人間を死のうちに閉じ込めるために、神様の前で人間を告発してきました。しかしイエス様があなたの代わりに死なれたとき、サタンは自分が勝ったと思ったのです。
- 語り手はこう言います。神様は死の中に囚人として来られたのではなく、征服者として来られ、サタンをそこから追い出されたのだ、と。今や、サタンが信じる者を告発するたびに、イエス様はこう答えられます。「わたしはすでに、その人の代わりに代価を払った」と。
- 終わりのない廊下だった死は、永遠のいのちへ通じる小さな扉になりました。これは、アブラハムのように、イエス様に信頼することを選ぶすべての人に当てはまります。
6. あなたを死の恐れから解放するために寄り添う方
- 15節。イエス様は「死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていたすべての人々を解放するため」に来られました。
- 死の恐れは、あなたを奴隷にします。恐れているからこそ、あなたは財産や計画、夢、目先の快楽の中で自分を忘れようとします。あなたは偽りの安心を築いてしまいます。
- あなたは自分を最優先にしてしまいます。なぜなら、自分の時間、宝、才能を他者のために失うことが、あまりにも大きなリスクに思えるからです。語り手は、人間の利己主義はまず、この死に対する深い恐れから来るのだ、とまで言います。
- もしサタンがもはやあなたを告発できず、死がその力を失ったのなら、あなたは平安のうちに生き、長期的な視点、永遠の視点に立って決断するように招かれています。たとえば赦しが可能になります。この地上で一度も愛したいと思ったことのない相手と、永遠を隣り合わせで過ごしたいとは思わないはずだからです。
7. あなたの戦いに寄り添う方:理解してくださる大祭司
- 17節。イエス様は「すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかった」、それは「あわれみ深い、忠実な大祭司となるため」でした。
- 18節。「主ご自身、試練を受けて苦しまれたのであるから、試練の中にある者たちを助けることがおできになる」。あなたが感じるどんな誘惑も、イエス様ご自身が戦わずに済んだものはひとつもありません。
- 完全に神であられるからこそ、イエス様は真実な方です。あなたの過ちのために代価を払うことに、決して疲れることがありません。あなたがどれほど激しく罪を犯しても、イエス様の犠牲があなたのために無効になることはありません。
- 完全に人であられるからこそ、イエス様は深い同情を寄せてくださいます。怒りに屈しないため、傷つける言葉を口にしないため、20回目に蘇る同じ古傷と戦うために悪戦苦闘することが、どういうことか、イエス様はご存じです。神様だからすべてを知っている、というのではなく、実際にそれを経験されたからこそ理解してくださるのです。
- そして、そのたびに勝利されたからこそ、イエス様は本当にあなたがそこから抜け出す助けとなることができます。罪に対する宿命はもうありません。2026年は、2025年とは本当に違う年になり得るのです。
心に留めておきたいこと
- クリスマスにおいて、イエス様はあなたを恥じませんでした。イエス様は100パーセント人となられ、それに伴うあらゆる制限を引き受けられました。あなたを兄弟、姉妹と呼ぶにふさわしいと判断されたからです。
- 受肉は思いつきではありません。旧約聖書の時代から預言され、じっくりと熟され、愛である神様のご性質にかなった選びなのです。
- 神様の目的は、あなたを道徳的にすることではなく、あなたをご自分の家族に連れ戻すことです。あなたを集めるためには、あなたに似た方になる必要がありました。
- イエス様はその死によって、あなたの罪の宣告に寄り添ってくださいました。サタンはもはやあなたを告発できず、死は永遠のいのちへの扉となったのです。
- イエス様はその生涯によって、あなたを死の恐れから解放し、あなたの戦いの中で本当に助けとなってくださいます。ご自身があなたと同じ誘惑を経験し、それに打ち勝たれたからです。
個人的な適用
- あなたの人生のどの点について、「神様はきっと私を少し恥じているだろう」と感じていますか。イエス様がご自身をあなたの兄弟と呼ぶことを恥じなかったという事実は、そこに何をもたらしますか。
- あなたは神様との関係を、まず道徳的な要求として生きていますか、それとも、あなたを家族に集めたいと願う父として生きていますか。今週の祈りの中で、これは何を変えるでしょうか。
- 死への恐れ(あるいは、足りなくなること、一人で終わること、人生に失敗することへの恐れ)は、どんな場面で今もあなたを利己主義、偽りの安心、目先の快楽へと駆り立てていますか。
- 永遠をその人と平安のうちに過ごしたいと願いながら、赦すことを拒んでいる相手はいませんか。もし死がもはや最後の言葉ではないと本当に信じるなら、あなたは何をするでしょうか。
- 今週、どの具体的な誘惑について、イエス様の助けを呼び求める必要がありますか。全能の神としてだけでなく、ご自身がそれを経験し、打ち勝たれた方として。
引用された聖句
よくある質問
受肉とは、正確には何ですか。
それは、キリスト教神学がこう伝えるために使う言葉です。すなわち、常に存在し、常に完全に神であられたイエス様が、ある時、完全に人となられた。しかも神であることをやめずに、です。クリスマスにおいて、イエス様は人間の姿を単にまとっただけではありません。私たちの肉、私たちの血、私たちの疲れ、私たちの誘惑を、ご自身のものとして分かち合われたのです。それはご自身の選びによるものでした。旧約聖書の時代から計画され、愛である神様のご性質にかない、あなたがいる場所まで来ることができるようにという選びだったのです。
私を救うために、なぜイエス様は本当に人でなければならなかったのですか。
ヘブライ人への手紙2章が明らかにする、3つの理由があります。まず、死ぬことができるためです。永遠で、体を持たない神様は、あなたの代わりに死ぬことができません。体を持つ必要があったのです。次に、神様と人間の間に立つ本当の大祭司であるためです。両方の側に完全に属している必要があったのです。最後に、あなたの戦いの中で本当に助けとなるためです。ご自身があなたと同じ誘惑を経験し、それに打ち勝たれたからこそ、そこからあなたを救い出す方法をご存じなのです。
「サタンはもはやあなたを告発できない」とは、具体的にどういう意味ですか。
聖書において、サタン(ヘブライ語で「告発者」)とは、あなたを罪に定めるために、あなたが犯したあらゆる悪を神様に思い起こさせる者です。しかし十字架以来、サタンが信じる者を告発するたびに、イエス様はこう答えられます。「わたしはすでに、その人の代わりに代価を払った」と。これは魔法でも自動的なものでもなく、イエス様に信頼する人にとって真実なのです。具体的には、あなたの過去の罪も、昨日の失敗も、あなたがキリストのもとに立ち返るとき、あなたを神様から引き離すことはできない、ということです。負債はすでに清算されています。あとは、自由にされた者として生きるだけです。
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