「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ 7:38、口語訳)
クリスチャンの人生を語るのに、とてもシンプルなイメージがあります。それは「水路」です。水路そのものは何も生み出しません。運ぶ水を作り出しているわけではないのです。ただ、水を通しているだけです。それでも、水路がなければ、水はどこにも届きません。これこそ、今朝、神様があなたに望んでおられることです。神様は、あなたが持っていない力を作り出せとは言っていません。ただ、ご自身の力をあなたを通して流し、その力が他の人々の人生にまで届くようにと願っておられるのです。
ニースのアリアーヌ教会の牧師、サミュエル・マブー師は、この説教の中ではっきりとこう語っています。「神様はあなたを通して、他の人々を祝福したいと願っておられます」。神様はあなたを必要としているわけではありません(すべてをご自身で行うこともできますし、実際にロバに人の言葉を話させたこともあります(民数記 22:28))。それでも神様は、あなたと共に働くことを望んでくださる、その恵みをあなたに示してくださっているのです。神様はあなたを水路として選ばれます。そして今年、神様は川が流れ出るのを見たいと願っておられます。
この記事では、マルコ 16:15-18、使徒 1:8、使徒 2章という三つの重要な聖句をめぐるサミュエル・マブー師のメッセージを取り上げ、あなたが今いる場所で、具体的に神様の力の水路になる方法をお伝えします。これは牧師だけのものではありません。「成熟したクリスチャン」だけのものでもありません。信じるすべての人に与えられた使命なのです。
1. 使命:行って宣べ伝えなさい、あとは神様が担ってくださる
天に昇られる直前、イエス様は弟子たちに驚くほど明確な使命を残されました。
「そして彼らに言われた、『全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、信じない者は罪に定められる。信じる者には、これらのしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、へびをつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また病人に手をおけば、いやされる。』」(マルコ 16:15-18、口語訳)
この使命は、使徒たちだけに向けられたものではないことに気づかれたでしょうか。「信じる者」に関わることなのです。つまり、あなたが信じているなら、これはあなたに向けられているのです。あなたが伝えるべきメッセージは、三つの言葉に要約できます。「イエス様は救う、イエス様は癒やす、イエス様は再び来られる」。
この聖句には、あなたの証しの仕方を大きく変える一言があります。イエス様は「信じさせなさい」とは言っていません。「行って宣べ伝えなさい」と言われたのです。あなたには結果を出す義務はありません。行動する義務があるだけです。実を結ばせる責任は、聞く側に委ねられているのです。あなたは宣べ伝える、応答するのは神様です。
これはまさに、パウロがエフェソの長老たちに別れを告げるときに語ったことです。
「だから、きょう、はっきりとあなたがたに証しする。わたしはすべての人の血について、なんら責任がない。神の御旨をことごとくあなたがたに告げて、少しもはばからなかったからである。」(使徒 20:26-27、口語訳)
パウロが潔白なのは、エフェソの人々全員が回心したからではありません。少しも隠さずに告げ知らせたから潔白なのです。その先の結果は、もはやパウロの肩にかかってはいません。これは、あなたの証しにとって大きな解放です。あなたは説得しなくていいのです。伝えればいいのです。人を説得するのは聖霊です。あなたは水路にすぎません。
2. 力:武器を持たずに戦いに行くのではない
神様は、あなたを手ぶらで送り出すことはありません。パジャマ姿で最前線に送り込むようなことはなさいません。マルコ16章の使命には、すぐに力の約束が続きます。
「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となるであろう。」(使徒 1:8、口語訳)
ここに方程式があります。使命プラス力です。そして、この力はあなたの霊的な満足のためではなく、あなたの証しのために与えられています。今週神様があなたに与えてくださったもの(新しくされた思い、癒やし、取り戻された平安、霊的な賜物)は、その日のうちはあなたのためのものです。しかし、翌日からはそれを他の人のために用いるのです。
使徒 2章は、屋上の間に集まっていた120人の弟子たち(使徒 1:15)に、この力がどのように注がれたかを物語っています。
「すると、彼らはみな聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。」(使徒 2:4、口語訳)
よく見てください。「彼らはみな」満たされたのです。ペテロだけではありません。ヨハネだけでもありません。120人全員です。その部屋には、ペテロは一人しかいませんでした。しかし、他の人々もみな神様の栄光を見て、外に出て福音を宣べ伝えたのです。あなたがペテロではないからといって、何もすることがないわけではありません。この使命はあなたにも与えられています。
3. 証拠:神様はもっとも取るに足りないものを用いられる
力を受け取ったあと、神様が平凡な人々の人生を通して成し遂げられることは、驚くべきものになります。三つの例で十分にお分かりいただけるでしょう。
ペテロの影。今週、あなたは自分の影のことを何回考えたでしょうか。おそらく一度もないでしょう。それほど取るに足りない、付随的なものです。それでも、こう記されています。
「そのため人々は病人を大通りに運び出し、寝台や床の上に置いて、ペテロが通るとき、せめてその影なりと、彼らの上にかかるようにした。」(使徒 5:15、口語訳)
神様は、ペテロという人物の中でもっとも取るに足りないもの(彼の影)を取り上げ、それを癒やしの水路とされました。あなたの人生の中で、取るに足りないと思えるものを、神様はご自身の栄光を現すために用いることができるのです。
パウロのハンカチ。使徒パウロにも、同じ論理が当てはまります。
「神はまた、パウロの手によって異常な力あるわざを行われた。人々が彼の身につけていた手ぬぐいや前掛けを取って病人にあてると、病気が去り、悪霊が出て行くほどであった。」(使徒 19:11-12、口語訳)
ここでもまた、これはパウロ自身の力ではありません。神様の力が、付随的なもの(一枚の布切れ)にまでパウロを通して働き、苦しむ人々のもとに届けられたのです。
執事ステパノ。そして、これが使徒だけに限られたものではないことを示すために、こう記されています。
「さて、ステパノは恵みと力とに満ち、民衆の中で大いなる奇跡としるしとを行っていた。」(使徒 6:8、口語訳)
ステパノは使徒ではありませんでした。教会の実務的な奉仕のために選ばれた執事でした(使徒 6:1-6)。それでも、同じ力が彼を通して働いていたのです。
「議会に列席していた者はみな、彼の顔を見つめていたが、それはみ使いの顔のように見えた。」(使徒 6:15、口語訳)
あなたはペテロではありません。パウロでもありません。もしかしたらステパノでさえないかもしれません。でも、あなたはあの120人のうちの一人なのです。そして神様は、あなたを力強く用いたいと願っておられます。あなたの中でもっとも弱く思えるものを、ご自身の栄光のためにもっとも力あるものへと変えたいと願っておられるのです。
4. まなざし:神様があなたを見るように、自分を見る
水路になるうえで最大の障害の一つは、あなた自身が自分をどう見ているかです。ギデオンのことを考えてみましょう。御使いが彼のもとに現れたとき、こう声をかけました。
「主の使は彼に現れて言った、『大勇士よ、主はあなたと共におられます』。」(士師記 6:12、口語訳)
大勇士ですか。ギデオン自身は、まったくそうは思っていませんでした。
「わたしの一族はマナセのうちで最も貧しく、わたしはまたその父の家の中でいと小さい者です。」(士師記 6:15、口語訳)
ギデオンがギデオン自身を見るまなざしと、神様がギデオンを見るまなざしの間には、大きな隔たりがあります。あなたもまた、自分の内気さ、過去、弱さ、霊的な小ささを見つめているかもしれません。しかし神様は、あなたの中に大勇士を見ておられます。あなたがそれを自分でも見えるようになる方法は一つしかありません。聖書を読み、そのみことばにあなたのまなざしを造り変えてもらうことです。
そして、神様が共にいてくださるという確信を持って歩むとき、そこにいるのはあなただけではありません。あなたが祈る相手に触れてくださるのは聖霊です。そして、あなたに付き添う天の軍勢もいるのです(エペソ人への手紙 6:10-18)。あなたは敵の前で丸腰なのではありません。あなたは武具を身にまとっているのです。主はあなたにすべてを与えてくださいました。みことば、御霊、教会、様々な奉仕、祈り、そしてみ使いたちです。
5. 緊急性:もう無駄にする時間はない
このメッセージの最後の強調点はこれです。時は迫っています。使徒1章の終わりで、ペテロは聖霊を受けます。彼は章の終わりを待たずに、宣べ伝え始めました。
「そこで彼らは、彼の勧めの言葉を受けいれてバプテスマを受けたが、その日、仲間に加わったものが、三千人ほどあった。」(使徒 2:41、口語訳)
三千人の回心が起きたのは、一人の人が時間を無駄にしなかったからです。敵は待ってはくれません。敵には少しの憐れみもありません。壊れた家庭、病む子どもたち、束縛された人々。これに対する答えは恐れではなく、同じ聖なる緊急性に私たちも捕らえられることです。人に対して「情け容赦なく」なるのではありません(神様はむしろその逆を私たちに求めておられます)。しかし、福音が私たちの人生の中で、また私たちの周りで前進するのを妨げているものに対しては、一切妥協しないことです。
あなたが若くても、そうでなくても、もう無駄にする時間はありません。「準備ができる」のを待つことと、今すぐ出て行くことのどちらかを選ぶ必要はないのです。神様は歩みながら整えてくださいます。神様が約束されたとおりです。
「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ 7:38、口語訳)
小さなしずくではありません。細い流れでもありません。川なのです。そしてすぐ後にこう続きます。「これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである」(ヨハネ 7:39)。この約束が待っているのはただ一つ、あなたが水路を開くことです。
覚えておきたいポイント
- この使命はあなたのためのものです。牧師だけのものではありません。「行って宣べ伝えなさい」は、信じたすべての人に向けられています(マルコ 16:15-18)。
- あなたには行動する義務があり、結果を出す義務はありません。あなたの責任は宣べ伝えることで終わります。使徒 20:26-27のパウロのように、説得するのは聖霊です。
- あなたは手ぶらで出て行くのではありません。使徒 1:8は、証しのための聖霊の力を約束しています。
- 神様は取るに足りないと思えるものを用いられます。ペテロの影(使徒 5:15)、パウロのハンカチ(使徒 19:12)、ステパノの単純な奉仕(使徒 6:8)。人間の側には何一つ「偉大な」ものはなく、すべてが神様の力なのです。
- 神様があなたを見るように、自分自身を見てください。ギデオンは自分を最も小さい者だと思っていましたが、神様は彼を大勇士と呼ばれました(士師記 6:12, 15)。
個人への適用
- 今週、家族や職場、ご近所の中で、「イエス様は救う、イエス様は癒やす、イエス様は再び来られる」と誰かに伝える機会を、神様はどこで与えてくださっているでしょうか。
- あなたが背負っている「結果を出す義務」で、本来あなたのものではないものは何でしょうか。それを主にお委ねし、行動する義務だけを持ち続ける備えができていますか。
- あなたの「取るに足りないもの」(小さな賜物、弱さ、内気さ)で、神様が今年、水路として用いたいと願っておられるものは何でしょうか。
- 具体的に、今週あなたは誰のために手を置いて祈り、聖霊があなたを通して働いてくださると信じますか。
- 自分自身へのまなざしが神様のまなざしと重なっていくように、これから継続的に開いていくみことばは何でしょうか。
引用された聖句
- ヨハネ 7:38 ・ 生ける水の川
- マルコ 16:15-18 ・ 宣教の使命
- 使徒 1:8 ・ あなたがたは力を受ける
- 使徒 2:1-4 ・ ペンテコステ
- 使徒 2:41 ・ 三千人
- 使徒 5:15 ・ ペテロの影
- 使徒 6:8 ・ 力に満ちたステパノ
- 使徒 6:15 ・ み使いのような顔
- 使徒 19:11-12 ・ パウロの手ぬぐい
- 使徒 20:26-27 ・ すべての人の血について責任がない
- 士師記 6:12-15 ・ 大勇士ギデオン
- エペソ人への手紙 6:10-18 ・ 神の武具
よくある質問
マルコ16章の使命は本当に私に向けられているのですか、それとも使徒たちだけのものですか。
聖句ははっきりしています。「信じる者には、これらのしるしが伴う」(マルコ 16:17)。基準は使徒であることではなく、信じることです。使徒 2章はそれを実際の形で確認しています。聖霊に満たされたのはペテロだけではなく、屋上の間に集まっていた120人の弟子たちでした。この使命は、信じるすべての人、つまりあなたにも向けられています。
伝道の労苦に目に見える実りがないとき、どう耐えればよいのでしょうか。
パウロの使徒 20:26-27の言葉を思い出してください。「わたしはすべての人の血について、なんら責任がない。神の御旨をことごとくあなたがたに告げたからである。」あなたの責任は、誠実に宣べ伝えることにあります。応答するかどうかは聞く側にあり、人を説得するのは聖霊です。行動には誠実に、結果は神様にお委ねしましょう。
自分は弱すぎる、内気すぎる、平凡すぎると感じます。それでも神様は本当に私を用いてくださるのでしょうか。
それこそが新約聖書の証しです。神様は、ペテロの影やパウロが触れた一枚のハンカチ(使徒 5:15、19:12)という、もっとも取るに足りないものを用いられます。ギデオン自身は自分を最も小さい者と見ていましたが、神様は彼を「大勇士」と呼ばれました(士師記 6:12, 15)。あなたの弱さは障害ではありません。それはしばしば、神様の力が現れる特別な水路となるのです。
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