聖書 — 口語訳 (1955)

ヨハネによる福音書 16

概要

ヨハネによる福音書16章は、十字架の前夜、イエスが弟子たちに語られた最後の教えの一部です。イエスは、彼らが拒まれることを前もって告げ、つまずかないようにされます。続いて、ご自分が去ることを、益として語られます。助け主である真理の御霊が来て、世を責め、弟子たちを導いてくださいます。イエスはまた、悲しみが喜びに変わることを、出産する女性にたとえて語り、父に向かって、イエスの名によって祈るよう招かれます。章は対比で結ばれます。弟子たちはイエスを見捨てますが、イエスは彼らに平安を残し、すでに世に勝ったと宣言されます。

この章の4つの区分

  1. 1-6節イエスが弟子たちに迫害を前もって告げる
  2. 7-15節助け主が来る:真理の御霊
  3. 16-24節悲しみが喜びに変わる
  4. 25-33節イエスの名によって祈る、苦難の中の平安

1わたしがこれらのことを語ったのは、あなたがたがつまずくことのないためである。

2人々はあなたがたを会堂から追い出すであろう。更にあなたがたを殺す者がみな、それによって自分たちは神に仕えているのだと思う時が来るであろう。

3彼らがそのようなことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。

4わたしがあなたがたにこれらのことを言ったのは、彼らの時がきた場合、わたしが彼らについて言ったことを、思い起させるためである。これらのことを初めから言わなかったのは、わたしがあなたがたと一緒にいたからである。

5けれども今わたしは、わたしをつかわされたかたのところに行こうとしている。しかし、あなたがたのうち、だれも『どこへ行くのか』と尋ねる者はない。

6かえって、わたしがこれらのことを言ったために、あなたがたの心は憂いで満たされている。

7しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。

8それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。

9罪についてと言ったのは、彼らがわたしを信じないからである。

10義についてと言ったのは、わたしが父のみもとに行き、あなたがたは、もはやわたしを見なくなるからである。

11さばきについてと言ったのは、この世の君がさばかれるからである。

12わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。

13けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。

14御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。

15父がお持ちになっているものはみな、わたしのものである。御霊はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるのだと、わたしが言ったのは、そのためである。

16しばらくすれば、あなたがたはもうわたしを見なくなる。しかし、またしばらくすれば、わたしに会えるであろう」。

17そこで、弟子たちのうちのある者は互に言い合った、「『しばらくすれば、わたしを見なくなる。またしばらくすれば、わたしに会えるであろう』と言われ、『わたしの父のところに行く』と言われたのは、いったい、どういうことなのであろう」。

18彼らはまた言った、「『しばらくすれば』と言われるのは、どういうことか。わたしたちには、その言葉の意味がわからない」。

19イエスは、彼らが尋ねたがっていることに気がついて、彼らに言われた、「しばらくすればわたしを見なくなる、またしばらくすればわたしに会えるであろうと、わたしが言ったことで、互に論じ合っているのか。

20よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたは泣き悲しむが、この世は喜ぶであろう。あなたがたは憂えているが、その憂いは喜びに変るであろう。

21女が子を産む場合には、その時がきたというので、不安を感じる。しかし、子を産んでしまえば、もはやその苦しみをおぼえてはいない。ひとりの人がこの世に生れた、という喜びがあるためである。

22このように、あなたがたにも今は不安がある。しかし、わたしは再びあなたがたと会うであろう。そして、あなたがたの心は喜びに満たされるであろう。その喜びをあなたがたから取り去る者はいない。

23その日には、あなたがたがわたしに問うことは、何もないであろう。よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたが父に求めるものはなんでも、わたしの名によって下さるであろう。

24今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。

25わたしはこれらのことを比喩で話したが、もはや比喩では話さないで、あからさまに、父のことをあなたがたに話してきかせる時が来るであろう。

26その日には、あなたがたは、わたしの名によって求めるであろう。わたしは、あなたがたのために父に願ってあげようとは言うまい。

27父ご自身があなたがたを愛しておいでになるからである。それは、あなたがたがわたしを愛したため、また、わたしが神のみもとからきたことを信じたためである。

28わたしは父から出てこの世にきたが、またこの世を去って、父のみもとに行くのである」。

29弟子たちは言った、「今はあからさまにお話しになって、少しも比喩ではお話しになりません。

30あなたはすべてのことをご存じであり、だれもあなたにお尋ねする必要のないことが、今わかりました。このことによって、わたしたちはあなたが神からこられたかたであると信じます」。

31イエスは答えられた、「あなたがたは今信じているのか。

32見よ、あなたがたは散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとりだけ残す時が来るであろう。いや、すでにきている。しかし、わたしはひとりでいるのではない。父がわたしと一緒におられるのである。

33これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。

鍵となる聖句

7節
しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。

イエスは、ご自分が去ることが弟子たちの益であると言われます。助け主はそれ以外の仕方では来られないからです。悲しみをもたらす別れが、御霊によるより広い神の臨在への道となります。

13節
けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。

真理の御霊は、弟子たちをすべての真理に導きます。ご自分からは語らず、イエスを証しされます。それによって、御霊の働きを見分けることができます。

20-22節
よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたは泣き悲しむが、この世は喜ぶであろう。あなたがたは憂えているが、その憂いは喜びに変るであろう。 女が子を産む場合には、その時がきたというので、不安を感じる。しかし、子を産んでしまえば、もはやその苦しみをおぼえてはいない。ひとりの人がこの世に生れた、という喜びがあるためである。 このように、あなたがたにも今は不安がある。しかし、わたしは再びあなたがたと会うであろう。そして、あなたがたの心は喜びに満たされるであろう。その喜びをあなたがたから取り去る者はいない。

イエスは弟子たちの悲しみを否定されません。それが喜びに変わると告げ、産みの苦しみのあとに子が生まれた喜びが訪れる女性のたとえを用いられます。

24節
今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。

イエスは、喜びが満ちあふれるように、父にイエスの名によって求めるよう招かれます。祈りは、不満を述べるだけでなく、受け取る場となります。

33節
これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。

最後の聖句は二つの現実を対比させます。世での苦難と、イエスにある平安です。勇気を出す理由は、イエスが世に勝たれたからです。

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説教が語っていること

ヨハネによる福音書16章についてよくある質問

ヨハネ16章33節の、わたしは世に勝ったとはどういう意味ですか

イエスは、十字架と復活によって成し遂げようとしておられる、悪、罪、死への勝利について語っています。受難の直前に、弟子たちが勇気を保てるようにそう言われました。この聖句は試練のない人生を約束するものではなく、苦難のただ中にあってもイエスにあって平安をもつことができると告げています。

ヨハネ16章の助け主とはだれですか

聖霊のことで、真理の御霊とも呼ばれます。助け主と訳されるギリシア語は、弁護者とも訳せます。イエスは、御霊が罪と義と裁きについて世を責め、弟子たちをすべての真理に導かれると言われます。

なぜイエスは、ご自分が去ることが益であると言われるのですか

イエスが去ることで、聖霊が来られるからです。地上の働きの間、イエスは一度に一つの場所で弟子たちとともにおられました。去られたあとは、御霊があらゆる場所で一人ひとりの信者のうちに住まわれます。弟子たちはまず悲しみますが、イエスはそこから生まれる益を示されます。

ヨハネ16章21節の、出産する女性のたとえは何を意味しますか

イエスは弟子たちの悲しみを、出産する女性の苦しみにたとえます。それは現実のものですが、その苦しみを消し去る喜びが続きます。弟子たちにとって暗い十字架の日々のあとに、復活の喜びが来ることを告げておられます。

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