みことばに根ざして歩む

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はじめに

自分の足元を見つめながら、ただ「主よ、私はどこへ向かっているのですか」と問いかけたくなる朝があります。歩いてはいるのに、本当はどこを目指しているのか分からなくなっているのです。疲れていて、もしかしたら落胆していて、もう前に進めないような分かれ道に立っているかもしれません。

今日の良い知らせは、神があなたのことをまだ終わらせておられないということです。神はあなたの人生の物語を閉じてはおられません。あなたの前には、すでに敷かれた道があります。祝福の道です。そして神は今朝、あなたにそれを受け取ってほしいと願っておられます。

この道は、とても具体的な場所を通ります。神のみことばとの関係です。ヨシュアは、まさにあなたが今日経験しているかもしれないことを経験しました。そして神が彼に語られた方法は、たとえ道が険しくても、歩み、前進し、繁栄するための鍵を私たちに与えてくれます。

この記事の構成

1. 倒れそうなヨシュア:神が立たせ、道を示される

2. 祝福の中を歩むために、みことばに対して行う三つのこと

3. 聖書が本当に語る「繁栄」とは

4. 隅に置き忘れられた靴のままにしない

1. 倒れそうなヨシュア:神が立たせ、道を示される

ヨシュアはかつて、まさにあなたと同じ状況に置かれたことがありました。疲れ果て、落胆し、どちらへ進めばよいのか分からなくなっていました。彼の拠り所であったモーセは、たった今、世を去ったばかりでした。彼の背後には民全体がいました。彼の前には未知の世界が広がっていました。「これから私はどうすればいいのか。どこへ向かえばいいのか」と考えても不思議ではありません。

しかし、神のみことばが臨みます。神が彼のもとに来て、こう言われます。「ヨシュアよ、立ち上がりなさい。まだ終わってはいない」。神は「あなたには力がある、あなたは強い、自分でなんとかしなさい」とは言われませんでした。神は、彼をご自分が導きたい場所へと到達させるための、非常に明確な鍵をお与えになったのです。

その鍵はヨシュア記1:8-9にあります。「このみおしえの書をあなたの口から離してはならない。昼も夜もそれを口ずさみ、そこに書かれていることをみな守り行いなさい。そうすれば、あなたは自分の道を成し遂げ、それに成功する」。

神はヨシュアに、みことばをすべて暗記しなさいとは言われません。神はこう言われます。「根を下ろしていなさい。あなたの足がわたしのみことばの上にしっかりと立っているように。道を築くのはみことばなのだ」。問いはシンプルです。あなたの足はどこに置かれているでしょうか。あなたは本当は誰と共に歩んでいるでしょうか。

2. 祝福の中を歩むために、みことばに対して行う三つのこと

この箇所には、一つの方程式のようなものがあります。三つの姿勢が合わさることで、祝福への道が開かれるのです。1+1+1=繁栄する道、というわけです。

a. みことばを口の中に保つ

ヨシュアがまず行うべきことは、みことばを口の中に保つことです。神があなたに理解してほしいのはこういうことです。みことばは、他の人に語りかけたり、他の人の人生について語ったりするためだけのものではありません。まず何よりも、あなた自身の人生に対して宣言するためのものなのです。

あなたの口から出ることばは、あなたの前に道を築きます。ことばには権威があります。神はご自分のみことばによってすべてのものを創造されました。そして、あなたに与えられている最初の権威は、他の人の人生に対する権威よりも先に、あなた自身に対する権威です。私たちはしばしば、これを過小評価しています。

何かに取り組むとき、あなたは自分自身に語りかけることがありますか。あるときは、自分に良いことばをかけます。あるときは、あまり良いとは言えないことばをかけます。「お前には無理だ」というふうに。そのとき、あなたはいのちの道ではなく、死の道を敷いているのです。箴言18:21はこう語ります。死と生とは舌の力の中にある、と。

あなたが自分自身に宣言するように召されているのは、いのちです。状況が厳しく、あなたが「自分の周りで何が起きているのか全部は分からない。それでもあなたに信頼する。あなたは何でもできる方だと知っている」と言うとき、あなたの心はもはや自分の状況に合わせて動くのではなく、神が語っておられることに合わせて動くようになります。それがすべてを変えるのです。

b. 牛が反芻するようにみことばを黙想する

神がヨシュアに求めておられる二つ目のことは、みことばを昼も夜も黙想することです。そして黙想するとは、単に日曜日に教会で一節を読んで、そのまま家に帰ることではありません。

「黙想する」と訳されるヘブル語はハーガーです。これは、小声で語る、つぶやく、深く思いめぐらす……そして反芻する、という意味を持ちます。草を反芻する牛のようにです。

牛の胃は四つの部屋に分かれています。牛は草を噛み、胃に送り、それを口に戻し、また噛み直します。それを何度も繰り返し、その草が本当に消化できる栄養になるまで続けるのです。牛は数えきれないほどの回数、その草を口の中で行き来させます。

これこそ、神があなたに、みことばに対して期待しておられることです。みことばが本当の糧となるまで、それを繰り返し口にする必要があるのです。そうしなければ、みことばはあなたにとって何の役にも立ちません。ヘブル人たちは、みことばを読むとき、一つ一つのことばに触れながら、小声でつぶやき、それが自分の一部になるまで何度も何度もそこに立ち返っていました。

なぜでしょうか。困難がやって来た瞬間に、みことばがすでに整えられ、心の中に用意されているようにするためです。「神はこう言われた」という一言があれば、道はすでに敷かれています。祝福が流れ出すことができるのです。

c. みことばを行う。概念のままにしない

三つ目は実践です。神はヨシュアに言われます。「そこに書かれていることをみな守り行いなさい」。気をつけなさい、と神は言われます。みことばを知っているだけで満足してはいけません。あなたは聖句を暗記していても、頭の中に概念だけを持っているということがあり得ます。もしその概念が概念のままであるなら、あなたにとって何の役にも立ちません。

ヤコブはヤコブの手紙1:22でこうはっきり述べています。「みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者になってはいけません」。そしてイエスはマタイの福音書7:24で、自分のことばを実行する人を、岩の上に家を建てた賢い人にたとえておられます。

私たちは賢い人でありたいのです。自分自身を欺く人ではなく。祝福を受け取るために、みことばを実践すること、それが知恵です。もし神が隣人を愛しなさいと言われるなら、それが難しくても試み、努力してみましょう。もし赦しなさいと言われるなら、それが代償を伴っても赦しましょう。祝福は、あなたが歩むその道の先にあるのです。

3. 聖書が本当に語る「繁栄」とは

ヨシュアに約束された結果は繁栄です。しかし、その定義には注意が必要です。聖書的な繁栄とは、問題も試練もない、楽な人生のことではありません。裕福になって安穏に暮らすことでもありません。

ここで用いられているヘブル語はツァーラハです。これは「成功して困難がない」という意味ではありません。前進する、乗り越える、通り抜ける、神ご自身が与えてくださる勢いをもって、神の道を成し遂げる、という意味です。

言い換えれば、あなたが一人で前に進んでいるのではありません。あなたの前にも後ろにも神がおられ、あなたを押し出してくださっているのです。あなたが繁栄するのは、神があなたを送り出し、遣わしてくださっているからです。あなたは、神があなたの人生のために備えられたわざを成し遂げていくことになります。

ヨシュアもまた、多くの試練に直面しました。彼の人生は決して穏やかな一本道ではありませんでした。崩すべき城壁があり、戦うべき敵がいました。それでも彼はこう固く信じていました。「私の前に道を作ってくださるのは神だ」。

イエスもまた、弟子たちを楽な人生へと召されたわけではありません。彼らの物語を読めば、迫害と困難を通ったことが分かります。しかし彼らの前にはイエスがおられ、彼らは神が敷かれた道の上にいました。聖書における繁栄とは、あなたの人生を神の道に合わせることです。それ以上でも、それ以下でもありません。

4. 隅に置き忘れられた靴のままにしない

この日の説教者の心に浮かんでくる一つのイメージがあります。それは彼女の子ども時代の記憶です。彼女の父は五十年以上、靴職人として働いていました。彼女は、新しい靴も古い靴も、擦り切れた靴も壊れた靴も、あらゆる種類の何百足という靴に囲まれて育ちました。どの靴も、それを履いていた人の人生の一部を物語っていました。

しかし、彼女の心に特に刻まれた作業場の一角がありました。積み重ねられた靴の山です。修理が終わり、準備が整い、取りに来るのを待っている靴たちでした。それらは彼女の父に忘れられたのではありません。それらを取りに来るはずだった人々に忘れられていたのです。準備は整っていたのに、一度も使われることがなかったのです。

今日、どれほど多くの人が、神が自分のために用意しておられた計画を、同じように隅に置き去りにしてしまっているでしょうか。どれほど多くの人が、まだ本当の意味で自分の人生を引き受け、歩み出す決断をしていないでしょうか。

あなたの靴を見てください。あなたの足を見てください。その靴は、あなたの物語の一部を語っています。自分に問いかけてみてください。私はどこへ向かっているのか。私は誰と共に歩んでいるのか。私は自分の頭で、自分の意志で、自分の考えで歩んでいるのか。それとも、神のみことばの上を、私の人生に対する神のみこころの上を歩んでいるのか。

覚えておきたいポイント

  • 神はあなたの人生の物語を閉じてはおられません。あなたの前には、祝福へと続く道がすでに敷かれています。
  • あなたが自分自身について語ることばは、道を敷きます。死ではなく、いのちを宣言しましょう。
  • みことばを黙想するとは、それがあなたの魂の本当の糧となるまで反芻することです。
  • みことばを実践することは、頭の中に聖書的な概念を集めることよりも価値があります。
  • 聖書における繁栄とは、困難のない人生を送ることではなく、神の勢いをもって前進することです。

あなた自身への適用

  1. 今、私は自分の人生について、どんなことばを語っているでしょうか。いのちを宣言しているでしょうか、それとも死を宣言しているでしょうか。
  2. 私はみことばをただ読み流しているでしょうか。それとも、それが自分の中で何かを変えるまで、本当に時間をかけて「反芻」しているでしょうか。
  3. 私が以前から知っている聖書の真理で、まだ実践に移せていないものは何でしょうか。
  4. 私の「繁栄」の定義は、神の定義に近いでしょうか。それとも、この世の定義に近いでしょうか。
  5. 神が私に示してくださった計画、召し、方向性で、私が「隅に置き忘れて」しまっているものはないでしょうか。今日、それをどうしたいでしょうか。

引用された聖句

よくある質問

聖書における「みことばを黙想する」とはどういうことですか。

ヨシュア記1:8で使われているヘブル語ハーガーは、つぶやく、深く思いめぐらす、反芻する、という意味を持ちます。みことばを黙想するとは、単にそれを読むことではなく、それが自分を変える本当の霊的な糧となるまで、口と心の中で何度も行き来させることです。

聖書における「繁栄する」とは、裕福になることや楽な人生を送ることを意味しますか。

いいえ。ヨシュア記1章で使われているヘブル語ツァーラハは、前進する、乗り越える、神の勢いをもって神の道を成し遂げる、という意味です。それは困難を避けることではなく、困難の中でも神のみこころにとどまり続けることです。ヨシュアは城壁や戦いに直面しましたが、神が敷かれた道の上にいたからこそ「繁栄した」のです。

みことばに根ざして歩み始めるには、具体的に何をすればよいですか。

短い聖書の箇所を一つ選び、毎日それを読み返し、つぶやき、一日の中で何度も立ち返る時間を取ってください。それを声に出して自分の人生に宣言してください。そして今週、実際に実践する一つの具体的なことを見つけてください。三つのこと、みことばを口に保つこと、それを黙想すること、それを実践すること。これが神があなたのために開いてくださる道です。

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