エレミヤ書1章:神のために大きな夢を描こう

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はじめに

説教者は高校時代、数学が「本当に全然だめ」でした。先生がとても厳しく、授業の時間になるとクラス全員がパニックになるほどでした。ある日、新しい先生が来て、最初の授業をこの言葉で始めました。「始める前に、祈りましょう。」説教者は、そのとき目から何かが落ちたと語ります。数学がとてもよくできるようになり、その日、神のために大きな夢を描きました。若者たちを祝福したい、そして数学の先生になりたい、と。最初の職は何だったでしょうか。数学の先生でした。その高校を離れた年、教え子は全員がバカロレアの数学試験に合格しました。「私がやったのではありません。神がなさったのです。」今は退職していますが、大学ではいまも教えており、こう注意します。「口に出したことは、自分の身に起こるかもしれません。」

ストラスブールのエグリーズ・エヴァンジェリック・バプティスト教会(Église Évangélique Baptiste de Strasbourg)での青年のための日、メッセージの土台となったのはエレミヤ書1章です。経験も自信もない一人の少年への召命の物語です。説教者はこうまとめます。「神は、経験豊かな人や、非常に有能な人を探しておられるのではありません。」神は、ご自身のために大きな夢を描く用意のある人を求めておられます。

また、神に仕えるというのは、必ずしも教会の中で仕えることではない、と説教者は言います。家庭で、学校で、大学で、職場で、あなたのいるあらゆる場所で仕えることでもあるのです。

メッセージの構成

1. 「神のために大きな夢を描く」とはどういうことか

  • 神のために大きな夢を描くとは、霊的な志を抱き、信仰に導かれた大胆な人生の計画を実現するために全力を尽くすことです。それは、他の人々のため、家族のため、神があなたの歩む道に置かれる子どもたちのため、そして教会のためです。
  • それは大胆なビジョンを持つことです。自分の力だけでは実現不可能に思える、行動と愛と分かち合いの計画です。
  • そのためには、神の力と恵みに頼って障害を乗り越えなければなりません。「障害は必ずあるのですから」。そして、すべてを神の栄光のために行います。
  • また、自分自身を捧げることでもあります。努力を重ね、時間をささげ、ときには犠牲を払うのです。神のため、家族のため、隣人のため、教会のために。
  • 説教者は、教会のある女性の話をします。彼女は、自宅から遠いキリスト教の学校に子どもたちを通わせることを選びました。1日あたり少なくとも140km、それを5年間続けたのです。さらに、安定した公務員の職を辞めてまで、主の道に従って子どもたちを育てました。

2. 自分に余る使命に向き合う一人の若者

  • 神に召されたとき、エレミヤは「ここにいます、準備はできています」とは言いませんでした。自分の限界を見つめて言います。「ああ、主なる神よ、わたしはただ若者にすぎず、どのように語るべきか知りません。」
  • 神は「そのとおり、あなたは若すぎる」とはお答えになりません。「あなたはただ若者にすぎないと言ってはならない」と言われます。あなたが限界だと思っていることが、神から来る力を知る機会になりうるのです。
  • 背景は決して穏やかではありません。紀元前627年ごろ、ユダは霊的にも政治的にも不安定な時代を通っていました。エレミヤの働きは、エルサレムの陥落と捕囚の時まで続きます。
  • 「私たちは穏やかな時代に生きているでしょうか。」学業、仕事、結婚、独身、子育て。「要するに、むずかしいのです。」あなたもまた、不安定な時代を生きています。
  • 10節で、神は「わたしは若者にすぎません」と言ったばかりの人に、諸国民と諸王国に対する使命を託されます。その落差は非常に大きいのですが、「神があなたを召されるとき、神はあなたを大きな存在として見ておられ、小さな存在としては見ておられません」。

3. 神は普通の人から、そして御言葉から始められる

  • エレミヤは、ベニヤミンの地にあるアナトテの祭司の一人、ヒルキヤの子です。王宮の出身でも、恵まれた家柄の出身でもありません。説教者によれば、彼の家系は祭司の職務から外されていました。
  • 「神は、私たちが特別な場所の出身でなくても、私たちを通して特別なことをなさることができます。」
  • ヘブライ語のダバルは「言葉」と訳されますが、「事柄」という意味もあります。ヘブライ語聖書では、言葉とは、効果を生み出す現実を指すのです。
  • 「主の言葉が彼に臨んだ」という表現は、2節と4節に出てきます。働きを始める前に、エレミヤは神の召しを受け、すべては御言葉にかかっています。聖書を読み慣れていない人への説教者の助言は、毎日詩篇を1つと箴言を1つ読むことです。
  • ヨシヤ王の時代、民は「今日の私たちの社会のように」偶像礼拝に染まったままでした。神はエレミヤを完璧な世界に置かれたのではありません。あなたもそうです。神はあなたを、学校で、大学で、職場で、家庭で、友人たちの中で、ご自身の証人として召しておられます。
  • よくこう言われます。「もっと年を重ねて、訓練を受けて、聖書の知識が増えたら仕えます。」説教者は答えます。今です。「本を書きたいですか。今から始めなさい。」神のために歌うこと、子どもたちの世話をすること。今から始めましょう。

4. 季節を越えて続く召命

  • 3節で、神の言葉は何人かの王の時代にわたってエレミヤに臨み続けます。ヨヤキム、そしてゼデキヤ、「エルサレムの民が捕え移される時まで」です。これは一度きりの霊的体験ではなく、忠実さを貫く人生です。
  • エレミヤは、政治の変化、反対、孤独の時、そして大きな犠牲を経験しました。
  • 神に仕えることは、説教を聞いた後の一日だけの熱意ではありません。「感情の高まりのあとに、また感情の高まりが来るだけのもの」ではないのです。問われるのは、「感情が過ぎ去ったとき、私は忠実でいられるだろうか」ということです。
  • 神はあなたを一時的に用いることもできますが、一生続くように、あなたを形づくりたいと望んでおられます。
  • 4節では、神が主導権を取られます。クリスチャンは、行動したがる前にまず聞くことを学び、最初にこう求める必要があります。「主よ、あなたへの愛着において、あなたとの関係において、どうすれば忠実でいられるでしょうか。」

5. 生まれる前から知られ、形づくられ、聖別されている

  • 「わたしはあなたをまだ母の胎内に造らない前からあなたを知り、あなたがまだ生まれない前からあなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」(5節)。エレミヤの召命は、彼がそれを聞いた日に始まったのではありません。
  • ヘブライ語で「造る」とは、形づくることを意味します。急いでする仕事ではありません。神は、あなたが存在する前から、時間をかけてあなたを形づくられました。
  • 「知る」(ヤダ)には、特別な関係という意味合いがあります。神は、あなたがご自身と特別な関係を持つことを望んでおられます。
  • 「聖別する」(カダシュ)は、取り分けるという意味です。神は、あなたが「ほかの人と同じ」ままでいることを望まず、あなたの世代の中で模範となる人になることを望まれました。取り分けられるとは、孤立することではありません。
  • 「立てる」(ナタン)は、与えるという意味です。神はエレミヤに使命を託されます。預言者(ナビ)とは、まず未来を言い当てる人ではなく、神に代わって語る代弁者です。あなたもまた、大学で、職場で、学校で、家庭で、神の言葉を分かち合うよう召されています。
  • あなたの価値は、成績や外見や成功から始まるのではありません。「あなたの価値は、神があなたについて語られることによって決まります。」あなたのアイデンティティは「私は重要な人にならなければならない」ではなく、「私はイエスのものであり、イエスのために生きたい」ということです。
  • 説教者は注意を促します。この節はエレミヤの預言者としての召命について述べたものであり、すべての若者が同じ召命を受けるという約束に自動的にしてはなりません。しかし、原則は変わりません。神は年齢にも社会的地位にも制限されません。

6. 「わたしは若者にすぎないと言ってはならない」

  • 6節で、神はご自身がなさろうとすることを語ったばかりなのに、エレミヤは自分にできないことを語ります。これは私たちのよくある反応です。「私は賢くない、勉強が足りない、若すぎる、年を取りすぎている、聖書をよく知らない、時間がない、ほかの人のほうが私よりすぐれている。」
  • ヘブライ語のナアルは、赤ん坊ではなく、年若い少年を指します。本文には正確な年齢は書かれていません。説教者によれば、12歳から18歳の間と推定されています。年齢や身分が非常に重んじられた社会で、王たちの前に立つことは恐ろしいことでした。
  • 解決策は、強いふりをすることではありません。「弱さは、神があなたの内で働かれることを妨げません。」あなたが若くても、まだ修行中でも、仕事でとても忙しくても、神に仕えることはできます。
  • 7節で、神は言い訳に議論なさいません。「もっと自分を信じなさい」とも、「あなたはすばらしい語り手になる」ともおっしゃいません。要するにこう言われます。若さを言い訳にしてはならない、わたしがあなたを遣わす。「友よ、あなたの言い訳は何ですか。」
  • 順序に注目してください。わたしが遣わすところへ行き、わたしが命じることを語る。しもべはメッセージを自分で作り出すのではなく、それを受け取って伝えます。友人や家族に何を話すかを自分で考え出す必要はありません。神があなたの人生に何をしてくださったかを、ただ語ればよいのです。
  • 限界があっても、こう言うことができます。「大したことはできませんが、祈ること、だれかを励ますこと、福音を分かち合うこと、教会の中で手伝うこと、御言葉を学ぶこと、純潔の模範となること、赦すこと、仕えること、愛することはできます。私は今から、イエス・キリストを生きることができます。」

7. 神の臨在と、あなたの口にある神の言葉

  • 8節で、神は恐れがなくなることではなく、ご自身の臨在を約束されます。「あなたは彼らを恐れてはならない。わたしがあなたと共にいて、あなたを救うからである。」その後の物語は、エレミヤが多くの反対に遭ったことを示しています。
  • 最大の障害は、能力の不足ではなく、時間の不足と恐れであることが多いものです。大切にしているものを手放す恐れ、人の目への恐れ、明日への恐れ、失敗への恐れです。
  • 「わたしの臨在は、人々の承認よりも大切です。」これは神がエレミヤに語られたことであり、あなたにも語られていることです。
  • 9節で、エレミヤは「どのように語るべきか知りません」と言い、神はまさに彼の口に触れられます。「見よ、わたしの言葉をあなたの口に授けた。」神は「勇気を出しなさい」と言うだけでなく、必要なものを与えてくださいます。言葉を置いてくださるのは神ご自身です。
  • エレミヤは自分に欠けているものを見ていました。経験、能力、雄弁さ、自信です。神は彼に言われます。わたしを見なさい。すべてが簡単になるとは約束されませんが、もっと尊い約束をされます。「わたしがあなたと共にいる。」
  • 「だから、もう言わないでください。若すぎる、年を取りすぎている、できない、経験がない、時間がない、と。ただこう言ってください。主よ、わたしはここにおります。」
  • 結びに、説教者はそれぞれに、椅子の上に置かれた紙を取り、静けさの中で、神が心に置かれた夢を示してくださるよう願い、それを書き留め、神にゆだね、毎日それのために祈り、最初の一歩を踏み出す備えをするよう勧めます。「神があなたと共におられるなら、始めるためにすべての答えを持っている必要はありません。」

心に留めたいこと

  • 神はまず経験や能力を求めておられるのではありません。神の力に頼って、神のために大きな夢を描く用意のある人を求めておられます。
  • あなたの若さ、年齢、限界は言い訳になりません。「わたしは若者にすぎないと言ってはならない。」
  • あなたの価値は、成績や外見ではなく、神があなたについて語られることによって決まります。神はあなたが生まれる前からあなたを知っておられました。
  • 召命は、感情を越えて、神の言葉に支えられながら、長い年月をかけて生きるものです。
  • 神は恐れがなくなることではなく、ご自身の臨在を約束され、ゆだねられたことを成し遂げるために必要なものを与えてくださいます。

個人の適用

  • 神のために描いた夢のうち、長い間あきらめたり先延ばしにしたりしているものは何ですか。時間をとって、それを書き留め、神にゆだねましょう。
  • 神に召されたとき、あなたが最もよく口にする言い訳は何ですか。若すぎる、年を取りすぎている、時間がない、聖書の知識が足りない、などでしょうか。
  • どんな恐れが、あなたが従うことを妨げていますか。人の目、失敗、明日、あるいは何かを手放す恐れでしょうか。
  • 今週、神はあなたをどこに置いて、ご自身の光とされましたか。学校、大学、職場、家庭、友人たちの中でしょうか。
  • たとえ小さくても、今すぐ踏み出せる具体的な第一歩は何ですか。祈ること、だれかを励ますこと、神があなたの人生に何をしてくださったかを話すことでしょうか。

引用された聖句

よくある質問

「神のために大きな夢を描く」とはどういう意味ですか。

説教者によれば、神のために大きな夢を描くとは、霊的な志を抱き、自分の力だけでは実現不可能に思える、行動と愛と分かち合いの計画という大胆なビジョンを持つことです。それには、神の力と恵みに頼り、時間、努力、ときには犠牲という、自分自身を捧げる姿勢で取り組むことが求められます。

エレミヤが自分は若者にすぎないと言ったとき、神は何と答えられますか。

神はエレミヤの言い訳に議論せず、もっと自分を信じなさいとも言われません。「あなたはただ若者にすぎないと言ってはならない」と言われ、そのうえで彼を遣わし、ご自身の臨在を約束し、彼の口に触れてそこにご自身の言葉を授けられます。エレミヤの弱さは、神が働かれることを妨げません。

エレミヤ書1章5節は、すべての若者がエレミヤと同じ召命を受けるという意味ですか。

いいえ。説教者は、この節はエレミヤの預言者としての召命について具体的に述べたものであり、すべての人に同じ約束として自動的に当てはめてはならないと説明しています。ただし、原則は変わりません。神は年齢にも社会的地位にも制限されず、あなたの価値は神があなたについて語られることによって決まります。

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