はじめに
私たちは、不敬虔が増し加わり、嘘が現実を覆い隠してしまう時代に生きています。そうした嘘を聞き続けるうちに、いつの間にかそれを信じるようになってしまいます。嘘を信じてしまうことは、神の真理に耳を傾けてこなかったことの結果なのです。今週の日曜日のメッセージは、そのことをはっきりと語っています。あなたが自分自身について、自分の人生について、自分の将来について嘘を受け入れるたびに、あなたの心にはすでにその結果が刻まれているのです。
最も恐ろしい嘘は、必ずしも世からのものだけではありません。ときには、あなたが自分自身に何度も言い聞かせている言葉こそが、その嘘なのです。「もう無理だ」「誰も助けてくれない」「私にはもう遅すぎる」。牧師はここで、シンプルな問いを投げかけます。もしイエス様が、ベテスダの池のほとりで38年間横たわっていたあの人に語りかけたのと同じ問いを、あなたにも語られるとしたらどうでしょうか。
このメッセージは、罪の結果について脅すためのものではありません。むしろ、あなたを地に押しとどめている嘘から抜け出し、「起きなさい」と語られる方の声に耳を傾けるための招きです。
メッセージの構成
1. あなたが聞いているものが、あなたの人生を形づくる
すべては、あなたが何を聞いているかから始まります。今回のメッセージの説明にもはっきりと書かれています。嘘を信じてしまうのは、真理を聞いてこなかったことの結果です。もしあなたが一日中、自分はひとりぼっちだ、神は自分を忘れてしまった、自分の状況はもう変わらない、と聞き続けているなら、やがてそう思うようになるでしょう。そして、そう思うようになれば、実際にそのとおりに生きてしまうのです。
牧師は、現実を組み立て直し、それを欺くしくみを暴くことについて語ったあるフランスの哲学者の言葉を引用しています。これをクリスチャンの人生に置き換えるなら、あなたの人生についての誤った概念、考え、判断があり、それでいながら、それらは日ごとに少しずつ、悲しみや諦め、恐れの中にあなたを築き上げてしまう、ということです。これこそ、受け入れてしまった嘘がもたらす、目に見えない結果なのです。
2. ベテスダ:38年間横たわり続けたひとりの男
メッセージはヨハネ5章から開かれます。イエス様はエルサレムに上り、五つの回廊に囲まれたベテスダの池に近づかれました。そこには、病人や盲人、足の不自由な人、体の麻痺した人々の群れが、水が動くのを待っていました。その中に、38年間も病気にかかっている人がいました。
イエス様は彼を叱ったりはされませんでした。ただ、こう問われたのです。「治りたいか」(ヨハネ5:6)。この病人の答えは、心に引っかかるものです。彼は「はい」とは答えませんでした。かわりに、こう説明したのです。「主よ、水が動くとき、私を池の中に入れてくれる人がいないのです。私が行っている間に、他の人が先に降りて行ってしまうのです。」
牧師はこう強調します。この答えは、まさに私たちの答えでもある、と。私たちは、神様に対して、癒やされない理由を並べ立てて答えることを覚えてしまいました。「不可能だ」「誰も自分のためにいない」「いつも誰かが自分より先に行ってしまう」という嘘を、私たちは自分の中に取り込んでしまったのです。38年間、同じ言い訳を繰り返し続けたこと自体が、一つの結果なのです。
3. 信仰は、諦めが拒むことをあえて行う
イエス様は言い訳について議論されませんでした。ただ命じられたのです。「起きて、床を取り上げ、歩きなさい」(ヨハネ5:8)。すると、その人は立ち上がりました。牧師は、イエス様が手を差し伸べてくださることを強調します。なぜなら、38年間も体が壊れてしまった人が、自分一人で立ち上がることはできないからです。しかし、信仰とは、足がまだ動く前に、従うことを選び取ることなのです。
牧師はまた、イエス様が何度も語られたこの言葉を思い起こさせます。「信じるなら、神の栄光を見る」。信じることは、見ることに先立ちます。信仰とは、すべてがすでに解決したという確信のことではなく、状況がまだ、このメッセージで使われた表現を借りれば「足を宙に浮かせたまま」であるときにも、神の言葉に基づいて行動することなのです。
4. 真理を受け取るために、自分自身と和解する
牧師は、牧会的に大切な一点を強調します。神の真理を受け取る前に、多くの場合、まず自分自身と和解する必要がある、ということです。鏡の中の自分を見つめてください。あなたはもしかすると、自分自身の夢や願い、神があなたの内に置いてくださったものから、遠く離れてしまっているかもしれません。あなたには自分にはそれ以上の価値がないと思い込まされ、あなたは自分の召しよりも低いところで生きることを受け入れてしまったのかもしれません。
このメッセージは、信仰者の落胆にも語りかけています。ダビデ王は詩篇の中で自分の魂に問いかけました。「わがたましいよ、なぜうなだれるのか。なぜ、わがうちで思い乱れるのか。神を待ち望め」(詩篇42:5)。今日も、同じ招きが語られています。あなたを引きずり下ろす声を信じることをやめ、あなたを立ち上がらせる声に心を開いてください。
覚えておきたいポイント
- あなたが受け入れるすべての嘘は、やがてあなたの人生に結果をもたらします。
- あなたを横たわらせたままにしているのは、神様ではありません。多くの場合、それはあなたがあまりにも長く繰り返してきた言い訳なのです。
- イエス様は行動される前に、いつも問いを投げかけられます。「治りたいか」と。
- 信仰は、状況が変わる前に従います。あなたが立ち上がるとき、神があなたを支えてくださっていることに気づくのです。
- 自分自身と、そして神と和解することは、再び真理に耳を傾けることです。
個人への適用
- 今週、あなたは自分自身についてどんな嘘を受け入れましたか。それを紙に書き出してみましょう。
- もし今日、イエス様があなたに「治りたいか」と尋ねられたら、あなたは本当は何と答えますか。
- あなたが立ち上がらないために、あまりにも長く繰り返している言い訳は何ですか。
- あなたの状況が変わる前に、神はあなたに何をするようにと求めておられますか。
- 諦めから抜け出すために、誰と一緒に祈ってもらうことができますか。
引用された聖句
- ヨハネ 5:1-9(口語訳)、ベテスダの池での癒やし
- 詩篇 42:5(口語訳)、わがたましいよ、なぜうなだれるのか
- マルコ 9:23(口語訳)、信じる者にはすべての事ができる
- ヨハネ 11:40(口語訳)、信じるなら、神の栄光を見ると言ったではないか
よくある質問
「結果」というのは、神が私の罪を罰しているという意味ですか。
いいえ、このメッセージは罰の脅しではありません。このメッセージが語っているのは、真理よりも嘘に耳を傾けてしまう心が招く、自然な結果です。あなたが「もう手遅れだ」と信じるとき、あなたはまるで本当に手遅れであるかのように生きてしまいます。しかし、良い知らせがあります。イエス様の真理は、その流れを覆すことができるのです。
答えが明らかに思えるのに、なぜイエス様は「治りたいか」と尋ねられたのですか。
それは、答えがそれほど明らかではないからです。人は自分の苦しみの中に居座ってしまい、それがやがて自分のアイデンティティになってしまうことがあります。イエス様は誰にも無理強いをされません。あなた自身に選ばせるのです。この問いは、あなたを言い訳から連れ出し、霊的にも肉体的にも、癒やしへの本当の願いをはっきりと言い表させるためのものです。
長い間信じ続けてきた嘘から、具体的にどう抜け出せばよいのでしょうか。
まず、その嘘を、ごまかさずに神の前で名指しすることから始めましょう。次に、それに対して、はっきりとした聖書の言葉を対置させてください。そして最後に、小さくてもよいので、従順の具体的な一歩を踏み出しましょう。ベテスダの病人は、まず癒やされたと感じたわけではありません。彼はまず、立ち上がったのです。信仰は、感情の前に、ほとんどいつも一つの行動を通して現れます。
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