良いものを守りなさい:ありのままの福音にとどまる

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はじめに

「あなたにゆだねられた良いものを、わたしたちの内に宿っている聖霊によって守りなさい」。これは、ダリル(Daril)がナント・ペンテコステ福音教会(Église Évangélique de Pentecôte de Nantes)での最後のメッセージの導きの言葉として選んだ聖句です。彼は2020年9月にこの教会に来て、2023年9月から牧会の訓練に入り、これから別の教会で歩みを続けようとしています。彼が「ひとりひとりの心に残したい」と願うメッセージは、四つの言葉に集約されます。「良いものを守りなさい」。

この箇所が選ばれたのは偶然ではありません。テモテへの第二の手紙は、パウロの最後の手紙であり、その歩みと務めの終わりに書かれました。使徒の遺言書と呼ぶ人もいます。信仰における自分の子への、最後の勧めだからです。

説教者はこう語ります。私たちはひとりひとり、人生の手綱を主にゆだねたその日に、主から「預けもの」を受け取りました。主は聖霊によって私たちの内に住まわれるために来てくださいました。この預けものは、守り、擁護し、その中にとどまり、そして次の人に伝えていかなければなりません。

メッセージの流れ

1. テモテ、良い評判を得ていた若者

  • パウロはすでに第一の手紙で、テモテにこの預けものを守り、「キリストの兵士」として信仰のために戦うよう勧めていました。
  • 説教者はあらゆる世代に語りかけます。パウロの勧めのとおり、年老いた男性には父に対するように、若い男性には兄弟に対するように、年老いた女性には母に対するように、若い女性には姉妹に対するように、純潔な心で接しなさい、ということです。
  • テモテはパウロよりも若い人でした。彼がパウロに従うよう招かれたのは(使徒行伝16章)、人々から良い評判を得ていたからです。「何歳であっても、私たちは人から良い評判を得る者でありたいのです」。
  • 弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになったのも、そのためです。彼らの生き方が違うことが見て取れたのです。「彼らはイエスのように語り、イエスのように奇跡を行い、イエスと同じメッセージを宣べ伝えている」。
  • パウロはテモテを自分の子、また同労者と呼びます。いちばん若い人といちばん年長の人が、御国の前進のために共に働くべきです。「若者も老人も共に喜ぶ」のです(エレミヤ書31章13節)。主の前には、世代の隔たりはないからです。

2. 「守る」とは、兵士の言葉であって、銀行員の言葉ではない

  • 「守る」という動詞は、お金を取っておいたり貯めたりすることを指すのではありません。軍事的な概念です。見張りの兵士は持ち場に立ち、目を覚まし続け、ゆだねられた区域を守る備えをしています。
  • 私たちは尊いものを携えています。救い、いのち、そして敬虔に役立つすべてのものです。イエスは天の御国を、畑に隠された宝にたとえました。それを見つけた人は、持ち物をすべて売り払ってその畑を買います(マタイによる福音書13章44節)。
  • 「私たちは多くのものを手放したかもしれません。しかし今は、イエス・キリストの中に見いだしたこの宝を守らなければなりません」。

3. 聖霊によって預けものを守る

  • どうすればこの預けものを守れるのでしょうか。聖書は答えます。聖霊によって、です。私たちは自分の力では、闇の力に立ち向かうことができません。
  • 私たちには敵がいます。悪魔は、ほえたけるししのように、食い尽くすものを求めて歩き回っています(ペテロの第一の手紙5章8節)。盗人は、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするために来るだけですが、イエスは羊たちがいのちを豊かに持つために来られました(ヨハネによる福音書10章10節)。
  • イエスは、抵抗し、主が私たちの内に置かれたものを守るために、ご自分の霊を与えてくださいます。だれも私たちを父の手から奪い去ることはできません(ヨハネによる福音書10章28~29節)。
  • その手から離れることができるのは、自分からその手を離れようと決める人だけです。「主は私たちを握っておられます。主が私たちを捕らえてくださったのです。今度は私たちも、主をしっかりと捕らえましょう」。パウロも、キリスト・イエスに捕らえられたと語っています(ピリピ人への手紙3章12節)。「主の手を決して離さず、主が私たちにゆだねてくださった預けものを決して手放さないために」。

4. 良い兵士として福音のために苦しむ

  • 「キリスト・イエスの良い兵卒として、わたしと苦しみを共にしてほしい」(テモテへの第二の手紙2章3節)。クリスチャン生活の求めは、苦しみにつながることがあります。侮られたり、いくつかのものをあきらめなければならなかったりすることです。
  • パウロは若い人たちに、若い時の情欲を避け、義を追い求めるよう求めています(テモテへの第二の手紙2章22節)。これは主からの求めであり、苦しみを伴うこともあります。
  • 「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(マタイによる福音書6章33節)。「わたしはペンテコステ派の者で、まず霊的なことを思うのが好きです」。世の中や若さの情熱の中に求めに行きたくなるものを、主は恵みの上に恵みを与えることで置き換えてくださいます。そうして心は満たされ、もはや世に目を向ける必要がなくなるのです。
  • ペテロは、地上では「旅人であり寄留者」である信者たちに、たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けるよう勧めています(ペテロの第一の手紙2章11節)。受けた預けものを逸らせ、損なうおそれのあるすべてのものです。
  • 兵士のたとえは、私たちの歩みの厳しさを示しています。「私たちは最良の約束を交わしましたが、同時に最も厳しい約束も交わしたのです」。まず家の者たちに別れを告げに行きたいと言った人に、イエスは前を見るようにと答えられました(ルカによる福音書9章61~62節)。
  • 福音のために苦しむことは、喜びになります。「人々があなたがたをののしり、また迫害する時には、あなたがたは幸いである」(マタイによる福音書5章11~12節)。使徒たちは、主の力によって病人をいやし、祭司長や律法学者たちの前でそれは主のみわざだと宣言し、そのあとで打たれました。それでもイエスの名のために恥を受けるに足る者とされたことを喜びました(使徒行伝5章41節)。

5. ありのままの福音にとどまる

  • 「しかし、あなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは、それをだれから学んだかを知っており」(テモテへの第二の手紙3章14節)。会衆の中には、子どものころから教会に通い、のちに新生の経験をした人も多くいます。大人になって主に出会った人もいます。けれども、これらのことは確かなことです。
  • テサロニケの人たちは、御言を「人の言葉としてではなく、神の言葉として」受け入れました。事実、そのとおりだったからです(テサロニケ人への第一の手紙2章13節)。
  • ダリルは、教会にとっての二つの大きな課題を挙げます。第一は分裂です。そのおそれは、執事が選ばれた使徒行伝6章ですでに見えますし、続く使徒行伝15章では、エルサレム会議が神の知恵を受けて分裂を避けています。第二は、偽りの教えです。パウロがテモテをエペソにとどまらせたのは、そこで違うことを教えている人たちがいたからです。
  • 「御言を宣べ伝えなさい。あちらこちらで物事を作り上げてはいけません。鳥の話などせず、神の言葉を語りなさい」。
  • パウロは困難な時代が来ることを告げています(テモテへの第二の手紙3章1節)。人の心がかたくなになる時代です。説教者はそれを、世俗的ヒューマニズムとその派生物に結びつけます。理性を神の座に置く合理主義、あらゆる決定から神を遠ざける、世俗の面で拡大した政教分離のあり方、そして新しい解放の考え方の名のもとに、規範や指針を変えようとする進歩主義です。
  • これに対して、説教者は、権威ある人たちが神の言葉に影響されるように祈ろうと促します。ダビデが神のみこころに従ってイスラエルを導いたようにです。
  • この言葉は古いと言う人がいても、「イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも、変ることがない」のです(ヘブル人への手紙13章8節)。「私たちに新しい言葉は必要ありません」。「聖書はすべて、神の霊感を受けて書かれたものであって」(テモテへの第二の手紙3章16節)、私たちが教えられ、築き上げられ、正され、キリストのかたちへと変えられるために与えられています。
  • ですから、こう祈りましょう。「わたしはあなたにむかって罪を犯すことのないように、心のうちにあなたの言葉をたくわえました」(詩篇119篇11節)。そして聖霊を呼び求め、日ごとにイエスの足跡に従って歩みましょう。

6. 福音を宣べ伝え、それを恥としない

  • 最後のポイントです。「御言を宣べ伝えなさい」(テモテへの第二の手紙4章2節)。ダリルは、ナントで過ごした年月の間、福音を余すところなく、「ごまかさず、何も隠さずに」宣べ伝えようとしてきたと語ります。それが牧会チームの使命、つまり神の言葉をありのままに取り次ぐことです。
  • 「わたしは福音を恥としない」(ローマ人への手紙1章16節)。パウロはここで止めることもできましたが、その理由を続けます。福音は、信じる者すべてに救いを得させる神の力だからです。「神の力を見たいのなら、福音を見なさい」。
  • 御言が宣べ伝えられず、御言が錨にも土台にもなっていない所は、教会ではありません。真の教会とは、御言が土台にあり、神の霊が導いておられる教会です。
  • 「だから、わたしたちの主のあかしをすることや、……恥じてはいけない」(テモテへの第二の手紙1章8節)。若い人たちへ。「大学で福音のメッセージを恥じてはいけません」。大人の人たちへ。このメッセージを守りましょう。親たちへ。これをあなたの子どもたちに伝えましょう。
  • あらゆる恵みの神は、ご自分の民を堅くしてくださいます。「あなたがたのうちに良いわざを始められたかたは、それを完成してくださる」(ピリピ人への手紙1章6節)。教会を建てられるのは主ご自身だからです。

心に留めたいこと

  • 良い預けものとは、主があなたの内に置かれたものです。救い、いのち、主の霊、そして受け取った福音です。見張りの兵士が持ち場を守るように、これを守ります。
  • この預けものは、自分の力ではなく、聖霊によって守ります。だれもあなたを父の手から奪い去ることはできません。
  • キリストに従うことは、最良の約束であり、最も厳しい約束でもあります。福音のために苦しむことは、喜びになりえます。
  • 分裂や偽りの教えに直面しても、教会は書かれたとおりの神の言葉にとどまります。新しい言葉は必要ありません。
  • 福音は救いをもたらす神の力です。恥とせず、宣べ伝え、次の人に伝えましょう。

自分への問いかけ

  1. あなたの周りの人にあなたの生き方を言い表してもらったら、良い評判を語ってくれるでしょうか。
  2. あなたの人生で、見張りの兵士が受けた預けものを守るべき場所なのに、開け放したままにしている扉はどこですか。
  3. 持ちこたえるために自分の力を頼りにしていませんか。それとも、神がゆだねてくださったものを守れるよう、毎日聖霊に助けを求めていますか。
  4. はやりの教えが、聖書が素朴に語っていることに代わって、あなたの心の中を占め始めていませんか。
  5. 学校や職場、家庭のどこで、あなたは福音を恥じていますか。そして今週、だれに福音を伝えられるでしょうか。

引用された聖句

よくある質問

テモテへの第二の手紙1章14節の「良いものを守りなさい」とはどういう意味ですか。

ダリルによれば、良い預けものとは、私たちが人生の手綱を主にゆだねたときに、主が私たちの内に置いてくださったものです。救い、いのち、主の霊、そして私たちに伝えられた福音です。「守る」という動詞は金銭的な意味ではなく、軍事的な意味です。見張りの兵士のように、クリスチャンは目を覚まして、この宝を守ります。

どうすれば良い預けものを守れますか。

パウロは、良い預けものを「わたしたちの内に宿っている聖霊によって」守るのだと明言しています。説教者は、私たちが自分の力では闇の力に立ち向かえないことを強調します。抵抗する力を与えてくださるのは聖霊です。そしてイエスは、だれも私たちを父の手から奪い去ることはできないと断言されました。

このメッセージによれば、教会にとっての二つの大きな課題は何ですか。

ダリルが挙げるのは二つです。使徒行伝(6章と15章)にすでにそのおそれが見える分裂と、偽りの教えです。だからパウロはテモテにエペソにとどまり、御言を宣べ伝えるよう求めたのです。人の言葉や哲学の言葉ではなく、聖書に書かれた神の言葉をです。

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