聖書 — 口語訳 (1955)
詩篇 48
概要
詩篇48篇は、コラの子たちの歌で、シオン、すなわちエルサレムの都におられる神をたたえます。主の偉大さと聖なる山の美しさから始まります。続いて、都に攻め寄せようと結託した王たちが、恐れに打たれて逃げ去ったことが語られます。民は、聞いていたことを自分の目で見たと告白します。そして城壁をめぐり歩いて次の世代に語り伝えるようにと招かれます。この神が私たちを導いてくださるからです。
この章の4つの区分
1主は大いなる神であって、われらの神の都、その聖なる山で、大いにほめたたえらるべき方である。
2シオンの山は北の端が高くて、うるわしく、全地の喜びであり、大いなる王の都である。
3そのもろもろの殿のうちに神はみずからを 高きやぐらとして現された。
4見よ、王らは相会して共に進んできたが、
5彼らは都を見るや驚き、あわてふためき、急ぎ逃げ去った。
6おののきは彼らに臨み、その苦しみは産みの苦しみをする女のようであった。
7あなたは東風を起してタルシシの舟を破られた。
8さきにわれらが聞いたように、今われらは万軍の主の都、われらの神の都でこれを見ることができた。神はとこしえにこの都を堅くされる。
9神よ、われらはあなたの宮のうちで あなたのいつくしみを思いました。
10神よ、あなたの誉は、あなたのみ名のように、地のはてにまで及びます。あなたの右の手は勝利で満ちています。
11あなたのさばきのゆえに、シオンの山を喜ばせ、ユダの娘を楽しませてください。
12シオンのまわりを歩き、あまねくめぐって、そのやぐらを数え、
13その城壁に心をとめ、そのもろもろの殿をしらべよ。これはあなたがたが後の代に語り伝えるためである。
14これこそ神であり、世々かぎりなくわれらの神であって、とこしえにわれらを導かれるであろう。
鍵となる聖句
主は大いなる神であって、われらの神の都、その聖なる山で、大いにほめたたえらるべき方である。
詩篇は主の偉大さと、主にささげられるべき賛美で始まります。神がそこにおられるので、シオンは尊ばれるのです。
さきにわれらが聞いたように、今われらは万軍の主の都、われらの神の都でこれを見ることができた。神はとこしえにこの都を堅くされる。
民が人づてに聞いていたことを、自分の目で見ます。信仰が、受け継ぐものから、個人的な体験へと変わります。
シオンのまわりを歩き、あまねくめぐって、そのやぐらを数え、 その城壁に心をとめ、そのもろもろの殿をしらべよ。これはあなたがたが後の代に語り伝えるためである。
やぐらを数え、城壁を見て回るようにとの招きには目的があります。神がなさったことを次の世代に伝えるためです。
詩篇48篇についてよくある質問
詩篇48篇はどんな意味ですか
詩篇48篇は、ご自分の都を守られる神をたたえています。攻めてきた王たちは戦う前に逃げ去り、シオンの安全が城壁ではなく神の臨在から来ることを思い起こさせます。この詩篇は感謝を呼びかけ、この出来事を子どもたちに語り伝えるようにと促し、神が今も民の導き手であると告白します。
詩篇48篇はどう祈り、どう黙想すればよいですか
まず神の偉大さをほめたたえ、次に神に助けられた時のことを思い出して、詩篇が求めるように声に出して語ってみてください。子どもたちや教会に伝えたいことを書きとめるのもよいでしょう。最後は14節にならって、自分の歩みを導き手なる神にゆだねて結びます。
詩篇48篇は誰が書いたのですか
表題はコラの子たちの作としています。彼らは聖所で歌を担当したレビ人の家系です。本文は具体的な出来事を明らかにしていませんが、同盟した王たちがエルサレムの前で敗れたことを語っています。読者はしばしばイスラエルの歴史に記された救いと結びつけてきましたが、どの出来事かについては意見が分かれています。
詩篇 48を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。