要約
マルタはベタニヤに住むイエスの友人で、妹マリヤ、弟ラザロとともにいました。ルカの福音書は、イエスを家に迎えて奉仕に忙しくしている彼女を描きます。ヨハネの福音書は、ラザロの死に涙し、イエスこそ復活であり命であると信仰を告白する姿を伝えます。過越の前の食事でも彼女は給仕しています。イエスが愛し、教えられた、現実的な女性として記憶されています。
マルタという名前の意味
マルタはアラム語の名前で、一般に「女主人」や家の「婦人」の意味に結びつけられます。聖書はこの名前を説明していません。ルカが、イエスを家に迎える女性として彼女を描く姿とよく合います。
マルタの生涯
イエスを家に迎える
ルカの福音書10章38-40節旅の途中、イエスはある村に入られ、マルタという女性が家にお迎えします。妹マリヤは主の足もとに座って、そのことばに聞き入っていました。マルタは、たくさんのもてなしの用事で気がかりになり、イエスのところに来て、妹に手伝うよう言ってほしいと頼みます。
必要なことは一つだけ
ルカの福音書10章41-42節イエスは優しく、マルタ、マルタとその名を呼ばれます。あなたは多くのことに心配し、思い煩っているが、必要なことは一つだけだと言われます。マリヤは良いほうを選んだので、それは彼女から取り上げられません。イエスはマルタの奉仕を退けるのではなく、本質を示されたのです。
ベタニヤで病む兄弟
ヨハネの福音書11章1-6節マルタとマリヤの兄弟ラザロが、ベタニヤで病気になります。姉妹はイエスに、あなたが愛しておられる者が病気ですと伝えさせます。ヨハネは、イエスがマルタとその姉妹とラザロを愛しておられたと記します。それでもイエスは、ユダヤに向かう前に、さらに二日間その場所にとどまられました。
マルタは迎えに走る
ヨハネの福音書11章20-27節イエスが来られると聞いて、マルタは迎えに出ますが、マリヤは家に座っていました。彼女は悲しみを訴えます。もしここにいてくださったなら、兄弟は死ななかったでしょうにと。イエスは、ご自分が復活であり命だと告げられます。マルタは、イエスこそ神の子キリストだと告白しました。
墓の前で
ヨハネの福音書11章38-44節イエスはラザロの墓に来て、石を取りのけるよう言われます。マルタは、死んで四日たっているので、もう臭くなっていますと反対します。イエスは、信じるなら神の栄光を見ると言われます。石が取りのけられると、イエスはラザロを呼ばれ、ラザロは墓から出て来ました。
ベタニヤでの食事
ヨハネの福音書12章1-2節過越の六日前、イエスは再びベタニヤに来られます。人々はイエスのために食事を用意し、マルタは給仕をし、ラザロはイエスとともに食卓に着きました。マルタは変わらず奉仕しています。ただこの箇所では、ラザロの復活の奇跡の後、その奉仕が家の礼拝と感謝の中に置かれています。
マルタから学ぶこと
- 奉仕は尊いものですが、イエスに耳を傾ける場所を奪ってはなりません。
- 心配事を率直にイエスに伝えましょう。マルタは率直に話し、イエスは優しく答えられました。
- 悲しみの中でも、よく分からなくても、イエスを復活であり命と告白できます。
- イエスは一人ひとりを名前で呼び、活動的な人も静かな人も、そのままで愛してくださいます。
鍵となる聖句
イエスは、マルタ、マルタ、あなたは多くのことを心配し思い煩っている、必要なことは一つだと言われます。奉仕を責めず、みことばに聞き入ることを中心に置くよう招かれます。
イエスはマルタに、ご自分が復活であり命だと告げます。わたしを信じる者は死んでも生き、生きていてわたしを信じる者は決して死なないと語り、あなたはこれを信じるかと尋ねられます。
マルタは信仰を告白します。イエスは、世に来られる神の子キリストだと信じていますと。深い悲しみの真ん中で語られた、明確な告白です。
マルタについての説教
よくある質問
なぜイエスはマルタをたしなめるのですか。
イエスはマルタが奉仕することを責めてはいません。必要なことは一つだけなのに、多くのことで心配し思い煩っていると指摘されます。マリヤはみことばに聞き入ることを選び、イエスは彼女を擁護されます。聞くことが忙しさに先立つと示されています。
マルタという名前は何を意味しますか。
マルタはアラム語の名前で、一般に「女主人」や家の「婦人」の意味に結びつけられます。聖書はこの名前を説明していません。これは一般的な解釈にとどまりますが、ルカが彼女を描く姿とよく合っています。
マルタの物語は聖書のどこにありますか。
三つの箇所にあります。イエスを迎えるルカの福音書10章38-42節、兄弟ラザロの死の際に信仰を告白するヨハネの福音書11章、過越の数日前の食事で給仕するヨハネの福音書12章1-2節です。