要約
レカブの子ヨナダブは、イスラエルの王エヒウの時代、紀元前九世紀の人です。エヒウは彼を車に乗せ、サマリヤでバアルの礼拝を滅ぼすときにも連れて行きました。彼は特に子孫のレカブ人で知られ、酒を飲まず天幕に住むという教えを守り通しました。エレミヤの時代、神はその忠実さをユダへの模範とされましたが、ユダは神のことばに聞き従いませんでした。
レカブの子ヨナダブという名前の意味
ヨナダブは一般に「主は寛大である」または「主は自由に与えられた」の意味に解されます。父の名レカブは、馬や戦車に乗ることを表すヘブル語と結びつけられることが多いです。聖書はどちらの名も説明していません。
レカブの子ヨナダブの生涯
エヒウに差し出した手
列王記第二10章15-16節エヒウがサマリヤへ向かうと、レカブの子ヨナダブが迎えに来ました。エヒウは、あなたの心は私があなたに対するように真実ですかと尋ね、ヨナダブは「真実です」と答えます。手を伸べた彼をエヒウは車に引き上げて言いました。「わたしと一緒にきて、わたしが主に熱心なのを見なさい」。
バアルの神殿で
列王記第二10章18-28節エヒウは策略で、バアルの預言者、しもべ、祭司をみな大祭に呼び集めます。レカブの子ヨナダブと共にバアルの神殿に入り、主のしもべがいないか調べさせます。やがて部下がバアルを拝む者を打ち、像を焼き、神殿を壊しました。エヒウはイスラエルからバアルを滅ぼし去りました。
子孫に伝えられた教え
エレミヤ書35章6-10節ずっとのち、レカブ人は先祖ヨナダブの命令を語ります。自分たちも子らもいつまでも酒を飲まず、家を建てず、種をまかず、ぶどう畑を作らず、生涯天幕に住めというものです。それは寄留している地で長く生きるためで、彼らはすべてに従ったと述べます。
試された忠実さ
エレミヤ書35章1-5, 11節ヨヤキムの時代、神はエレミヤをレカブ人のもとに遣わします。預言者は彼らを主の宮の部屋に導き、酒を満たした杯を前に置きます。彼らは「われわれは酒を飲みません」と断りました。そしてカルデヤとスリヤの軍勢のためにエルサレムに来ただけだと説明します。
ユダへの教訓
エレミヤ書35章12-17節神はこの従順をユダへのメッセージとされます。ヨナダブの子らは父の命令を守ったのに、民は朝早くから預言者たちを通して語られた主に聞き従いませんでした。そのため神は、ユダとエルサレムに宣告した災いをくだすと告げられます。
子孫への約束
エレミヤ書35章18-19節エレミヤはレカブ人に祝福のことばを伝えます。彼らが父ヨナダブの命令に従い、その戒めを守ったので、主は言われます。「レカブの子ヨナダブには、わたしの前に立つ人がいつまでも欠けることはない」。ひとつの家族の忠実さに、神の約束が与えられました。
レカブの子ヨナダブから学ぶこと
- 父の選びは、幾世代にもわたって影響を与えることがあります。
- 人が先祖の命令にさえ忠実に従うなら、まして神のことばには従うべきです。
- 長く続く忠実さを神は見ておられ、約束をもって報いられます。
- 地上で寄留者として生きることは、神の前に心を自由に保ちます。
- 忠実な少数の模範は、民全体への警告となり得ます。
鍵となる聖句
エヒウは心が真実かと尋ね、ヨナダブは手を差し出します。彼自身が登場する唯一の場面で、バアル礼拝を滅ぼす者の側に立っています。
神はヨナダブの子らの従順と御民の聞かない態度を対比されます。彼らは父の命に従い、ユダは朝早くから語られる主に聞き従いませんでした。
レカブ人への神の約束です。ヨナダブには、主の前に立つ人がいつまでも欠けることはありません。この家の忠実さを神ご自身が尊ばれます。
よくある質問
神はなぜレカブ人を模範とされたのですか。
彼らは先祖ヨナダブの命令に忠実に従ったのに、ユダは神ご自身に聞こうとしなかったからです。エレミヤ書35章14-16節は、人の命令が代々守られる一方で、預言者を通して繰り返された主のことばには応答がなかったと対比します。
ヨナダブという名の意味は何ですか。
一般に「主は寛大である」または「主は自由に与えられた」の意味に解されます。父レカブの名は馬や戦車に乗ることと結びつけられます。聖書はこれらの名を説明しませんが、レカブの家をケニ人に結びつけています(歴代誌第一2章55節)。
レカブの子ヨナダブの物語は聖書のどこにありますか。
ヨナダブ本人は列王記第二10章15-23節に、エヒウと共に登場します。子孫のレカブ人はエレミヤ書35章の中心にいます。そこでは預言者が彼らの忠実さを試し、神の約束を伝えます。