聖書は、お酒を飲むこと自体を罪とは教えていません。ぶどう酒は人の心を喜ばせる神の賜物として描かれており(詩篇104篇14-15節)、イエスご自身もカナの婚礼でぶどう酒を造られました(ヨハネによる福音書2章1-11節)。ですから、お酒そのものは悪ではなく、神が喜びのために与えられた良い創造物の一つなのです。
一方で聖書は、酔うことについては厳しく警告しています。ノアは酔って恥ずべき結果を招き(創世記9章20-21節)、箴言はぶどう酒を「あざける者」と呼び、知恵ある者さえ迷わせると教えています(箴言20章1節)。また、大酒を飲む者と交わることを避けるようにとも勧めています(箴言23章20-21節)。パウロは酔うことを、御霊に逆らう肉の働きの一つに数えています(ガラテヤ人への手紙5章19-21節)。
それゆえ聖書の知恵は、放縦ではなく自制を勧めています。「酒に酔ってはいけない。……御霊に満たされなさい」(エペソ人への手紙5章18節)とある通りです。聖書はすべての人に一律の規則を定めているわけではなく、各自が良心と自分の弱さに応じて判断すべきものです。そして隣人への愛のゆえに、弱い兄弟をつまずかせないよう、自ら進んでお酒を控える人もいます(ローマ人への手紙14章21節)。
お酒に関する聖書の言葉
« さてノアは農夫となり、ぶどう畑をつくり始めたが、 »
« あなたは家畜のために草をはえさせ、また人のためにその栽培する植物を与えて、地から食物を出させられる。 »
« 三日目にガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。 »
« 酒は人をあざける者とし、濃い酒は人をあばれ者とする、これに迷わされる者は無知である。 »
« 酒にふけり、肉をたしなむ者と交わってはならない。 »
« 肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、 »
« 酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、 »
« 肉を食わず、酒を飲まず、そのほか兄弟をつまずかせないのは、良いことである。 »
お酒に関するよくある質問
お酒を飲むことは罪ですか。
いいえ、聖書は適度にお酒を飲むこと自体を罪とは教えていません。ぶどう酒は心を喜ばせる神の賜物とも呼ばれており(詩篇104篇15節)、イエスご自身もぶどう酒を飲み、カナでそれを造られました(ヨハネによる福音書2章1-11節)。聖書がはっきりと戒めているのは、酔うことや度を超えることです(エペソ人への手紙5章18節)。
聖書は酔うことについて何と教えていますか。
聖書ははっきりとそれを戒めています。ノアは酔って苦しい結果を招き(創世記9章20-21節)、箴言はぶどう酒を人を欺くものと描き(箴言20章1節)、パウロは酔うことを御霊に逆らう肉の働きの一つに数えています(ガラテヤ人への手紙5章19-21節)。
クリスチャンはぶどう酒を飲んでもよいのですか。
はい、聖書はぶどう酒を飲むこと自体を禁じてはいません。イエスご自身もぶどう酒を飲まれ(ルカによる福音書7章34節)、カナでそれを造られました(ヨハネによる福音書2章1-11節)。大切なのは度を超えないことと、他者への配慮であり、絶対的な禁止ではありません。
なぜお酒を全く飲まないと決めているクリスチャンもいるのですか。
個人的な確信からであったり、弱い兄弟をつまずかせないための配慮からであったり(ローマ人への手紙14章21節)、あるいはナジル人の誓願のように、ぶどう酒を完全に断つ特別な召しによる場合もあります(民数記6章1-4節)。これは律法の問題ではなく、自由と愛にもとづく選択です。
聖書はアルコール依存を罪と呼んでいますか。
聖書は「アルコール依存症」という医学的な言葉を使ってはいませんが、お酒に支配されることを、御霊に満たされた生き方とは相いれない深刻な霊的問題として明確に示しています(エペソ人への手紙5章18節)。そのうえで、恥だけでなく助けと解放を求めるよう招いています。