聖書は地獄が実在すると教えています。それは神から永遠に引き離される場所であり、もともとは悪魔とその使いたちのために備えられたものです(マタイによる福音書25章41節)。イエスご自身が福音書の中で誰よりも多くこの地獄について語り、神は魂も体も滅ぼすことがおできになると警告しておられます(マタイによる福音書10章28節)。これは中世の作り話ではなく、罪の深刻さと神の聖さを示すためのキリストご自身の教えです。
聖書は地獄を神の気まぐれではなく正しい裁きとして描いています。「罪の支払う報酬は死です」とあります(ローマ人への手紙6章23節)。マルコによる福音書は消えることのない火について語り(マルコによる福音書9章43節)、金持ちとラザロのたとえは死後の隔たりが決定的であることを示しています(ルカによる福音書16章23節)。ヨハネの黙示録はそれを「第二の死」、火の池と呼び、命の書に名が記されていない者の最終的な行き先としています(ヨハネの黙示録20章15節)。
しかし地獄は福音の最後の言葉ではありません。神は「ひとりも滅びないで」欲しいと願っておられ(ペテロの第二の手紙3章9節)、御子を信じる者が滅びずに永遠の命を得るようにと、御子を遣わされました(ヨハネによる福音書3章16節)。地獄は深刻な警告ですが、同時に十字架を尊いものとする背景でもあります。キリストにあって、その裁きは私たちの代わりに負われ、救いはすべての人に差し出されています。
地獄に関する聖書の言葉
« それから、左にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。 »
« また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。 »
« もし、あなたの片手が罪を犯させるなら、それを切り捨てなさい。両手がそろったままで地獄の消えない火の中に落ち込むよりは、片手になって命に入る方がよい。 »
« そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。 »
« このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。 »
« 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。 »
« 罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。 »
« ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。 »
地獄に関するよくある質問
聖書によると地獄は本当に存在するのですか。
はい、イエスご自身が繰り返しそれを単なるたとえではなく現実として語っておられます(マタイによる福音書25章41節、10章28節)。これは人間が作り出した話ではなく、拒まれた救いがもたらす永遠の結果についてのキリストご自身の教えです。
地獄の火は文字通りのものですか、それとも象徴ですか。
聖書は火、闇、死なない虫(マルコによる福音書9章43節)といった強い表現を用いて、言葉では言い尽くせない現実を描いています。文字通りであれ象徴であれ、それらはすべて神からの現実的で永続的な隔たりを指し示しています。
愛の神がどうして人を地獄に送ることができるのですか。
神はひとりも滅びることを望んでおられず(ペテロの第二の手紙3章9節)、御子を遣わされたのは裁くためではなく救うためです(ヨハネによる福音書3章16節)。地獄はすでに差し出されている恵みを拒み続けた結果であり、神の気まぐれではありません。
地獄から逃れることはできますか。
できます。聖書は、イエス・キリストを信じる者は滅びずに永遠の命を得ると約束しています(ヨハネによる福音書3章16節)。罪の報酬は死ですが、神の賜物はキリストにある永遠の命です(ローマ人への手紙6章23節)。
地獄は永遠に続くのですか、それとも一時的なものですか。
福音書は消えることのない火と、死後の決定的な隔たりについて語っています(マルコによる福音書9章43節、ルカによる福音書16章23節)。細部についてはクリスチャンの間でも議論がありますが、新約聖書はこの裁きを最終的なものとして描いており、それは今キリストに立ち返ることの緊急性を強調しています。