聖書 — 口語訳 (1955)

マタイによる福音書 10

概要

マタイによる福音書10章で、イエスは十二弟子を呼び寄せ、権威を授け、天国が近づいたと宣べ伝えるために遣わされます。率直に備えをさせます。彼らは羊をおおかみの中に送るようなもので、拒まれ、時に迫害されます。しかし恐れることはありません。父なる神が見守っておられるからです。イエスは、あらゆるきずなより優先される忠誠を求め、十字架を負うことにまで及びます。そして、彼らを迎える人には、冷たい水一杯でも報いがあると約束して結ばれます。

この章の6つの区分

  1. 1-4節十二使徒の召命と名
  2. 5-15節派遣:御国を宣べ伝え、ただで与える
  3. 16-25節おおかみの中の羊:賢さ、迫害、そして聖霊
  4. 26-33節恐れるな:父が見守り、イエスを告白する
  5. 34-39節分裂をもたらす忠誠:つるぎ、十字架、失うべきいのち
  6. 40-42節遣わされた者を迎える:冷たい水一杯の報い

1そこで、イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊を追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやす権威をお授けになった。

2十二使徒の名は、次のとおりである。まずペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレ、それからゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、

3ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、

4熱心党のシモンとイスカリオテのユダ。このユダはイエスを裏切った者である。

5イエスはこの十二人をつかわすに当り、彼らに命じて言われた、「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。

6むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け。

7行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。

8病人をいやし、死人をよみがえらせ、重い皮膚病にかかった人をきよめ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。

9財布の中に金、銀または銭を入れて行くな。

10旅行のための袋も、二枚の下着も、くつも、つえも持って行くな。働き人がその食物を得るのは当然である。

11どの町、どの村にはいっても、その中でだれがふさわしい人か、たずね出して、立ち去るまではその人のところにとどまっておれ。

12その家にはいったなら、平安を祈ってあげなさい。

13もし平安を受けるにふさわしい家であれば、あなたがたの祈る平安はその家に来るであろう。もしふさわしくなければ、その平安はあなたがたに帰って来るであろう。

14もしあなたがたを迎えもせず、またあなたがたの言葉を聞きもしない人があれば、その家や町を立ち去る時に、足のちりを払い落しなさい。

15あなたがたによく言っておく。さばきの日には、ソドム、ゴモラの地の方が、その町よりは耐えやすいであろう。

16わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。だから、へびのように賢く、はとのように素直であれ。

17人々に注意しなさい。彼らはあなたがたを衆議所に引き渡し、会堂でむち打つであろう。

18またあなたがたは、わたしのために長官たちや王たちの前に引き出されるであろう。それは、彼らと異邦人とに対してあかしをするためである。

19彼らがあなたがたを引き渡したとき、何をどう言おうかと心配しないがよい。言うべきことは、その時に授けられるからである。

20語る者は、あなたがたではなく、あなたがたの中にあって語る父の霊である。

21兄弟は兄弟を、父は子を殺すために渡し、また子は親に逆らって立ち、彼らを殺させるであろう。

22またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

23一つの町で迫害されたなら、他の町へ逃げなさい。よく言っておく。あなたがたがイスラエルの町々を回り終らないうちに、人の子は来るであろう。

24弟子はその師以上のものではなく、僕はその主人以上の者ではない。

25弟子がその師のようであり、僕がその主人のようであれば、それで十分である。もし家の主人がベルゼブルと言われるならば、その家の者どもはなおさら、どんなにか悪く言われることであろう。

26だから彼らを恐れるな。おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。

27わたしが暗やみであなたがたに話すことを、明るみで言え。耳にささやかれたことを、屋根の上で言いひろめよ。

28また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。

29二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。

30またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。

31それだから、恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。

32だから人の前でわたしを受けいれる者を、わたしもまた、天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう。

33しかし、人の前でわたしを拒む者を、わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろう。

34地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。

35わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。

36そして家の者が、その人の敵となるであろう。

37わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。

38また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。

39自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。

40あなたがたを受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。わたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。

41預言者の名のゆえに預言者を受けいれる者は、預言者の報いを受け、義人の名のゆえに義人を受けいれる者は、義人の報いを受けるであろう。

42わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」。

鍵となる聖句

8節
病人をいやし、死人をよみがえらせ、重い皮膚病にかかった人をきよめ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。

イエスは宣教の源を思い出させます。弟子たちはすべてをただで受けたのだから、ただで与えなければなりません。奉仕は取引ではなく、分かち合う恵みです。

16節
わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。だから、へびのように賢く、はとのように素直であれ。

イエスは、自分の者たちを、おおかみの中の羊のように遣わし、二つの資質を共に持つよう求めます。「へびのように賢く、はとのように素直であれ」。皮肉に陥らない冷静さと、お人好しにならない誠実さです。

29-31節
二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。 またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。 それだから、恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。

神は一羽一羽のすずめの運命を知っておられ、頭の毛までも数えておられます。何ものもその目を逃れないなら、弟子たちははるかに価値があります。恐れが最後の言葉を持つことはありません。

32-33節
だから人の前でわたしを受けいれる者を、わたしもまた、天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう。 しかし、人の前でわたしを拒む者を、わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろう。

人の前でイエスを受けいれることは、公の場での帰属の問題です。この節が指しているのは、一度の失敗ではなく、立場となってしまった否認です。

38-39節
また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。 自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。

十字架を負うことは、イエスに従う代価です。最も大切なきずなよりも優先される場所を求めますが、イエスのために自分の命を失う者は、それを得るという約束が伴います。

この章に登場する人物

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説教が語っていること

平和を作り出す者として:神が置かれた場所に一致の種をまくダヴィッド・ル・ヴェオは、34節の反論に答えます。福音は、それを拒む人々の間に分裂を生みます。しかし14節でイエスは、その家を去り、祝福して先へ進むよう求めます。閉ざされた扉より、開かれた心のほうが多いからです。要約を読む →共に建て上げられよう:日本の花嫁たちへのメッセージマリアは、マタイ10章32節と33節が、長崎の殉教者の記念碑から、どのように自分についてきたかを語ります。クラス全員の前で「イエスは神です」と言えるだろうかと自問し、この節が信仰の錨になりました。要約を読む →霊的な家族における神への意識このメッセージは、マタイ10章35節から38節を、憎しみへの呼びかけではなく、秩序の思い出させとして読みます。キリストにあって、あなたの優先順位は変わりました。生物学的な家族があなたを拒んでも、あなたは神の家族に属しています。要約を読む →イエスに学ぶ失望の乗り越え方モメンタム教会は、マタイ10章16節を引用して、お人好しにならずに愛することを学びます。イエスは弟子たちの弱さを知っておられながら、最後まで、誠実さと冷静さをもって愛されました。要約を読む →取るに足りないしもべ:あなたの務めは純粋な恵みのままマルセイユ南では、42節が、イエスはあなたの奉仕を軽く見ないことを示します。冷たい水一杯にも報いがあります。一方で、神は私たちに借りがあると考える霊的な高ぶりには、きびしく向き合われます。要約を読む →

マタイによる福音書10章についてよくある質問

マタイ10章の中心的なメッセージは何ですか。

イエスは十二弟子を、天国が近づいたと宣べ伝えるために遣わします。彼らを待つ反対を告げ、父なる神のまなざしについて安心させ、何よりも優先される忠実さを求めます。この章は、十二人にとっても、今日イエスに従う人々にとっても、宣教の代価と約束を語っています。

「へびのように賢く、はとのように素直であれ」(マタイ10章16節)とはどういう意味ですか。

イエスは二つの資質を共に持つよう求めます。賢さとは、危険を知り、だまされない冷静さです。素直さとは、ずるさも悪意もない、誠実な心の正しさです。つまり、皮肉でも、お人好しでもなく、敵意の中でも誠実であり続ける知恵のことです。

イエスは平和をもたらすために来られたのですか、それともつるぎですか(マタイ10章34節)。

イエスは、ご自分が来ることで、時に家族が分かれると告げます。他のきずなに優先する忠誠を求められるからです。つるぎは暴力への呼びかけではなく、イエスに従うという選択が引き起こす分離を指しています。イエスは神との平和ももたらします。この二つの面の強調点は、教派によって異なります。

マタイ10章38節の自分の十字架をとるとはどういう意味ですか。

当時、十字架は、処刑の場へ歩いていく死刑囚の死を思わせるものでした。イエスは、従うことの代価を受け入れるよう求めます。自分を捨て、拒まれることを覚悟し、愛する人々よりも優先することです。39節の約束がこの呼びかけに伴っています。イエスのために自分の命を失う者は、それを得るのです。

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