はじめに
ニース・メトロポール教会(Église Nice Métropole)の牧師ピエール・フォーシー(Pierre Fauchy)は、メッセージのタイトルを付箋に書きました。「私は、忘れられないはずのことを忘れてしまう人間です」。付箋は、支払うべき請求書や、やるべき用事を思い出すために使うものです。それでも、結婚記念日や子どもの誕生日、両親の誕生日を忘れてしまうことがあります。「神様との関係でも、忘れられないはずのことを忘れてしまうことがあるのです」。
それを示すために、牧師は二つの箇所を開きます。一つは、マタイ18章にある二人の債務者のたとえで、フランス語の「Nouvelle Français courant」訳で読まれました。もう一つは、黙示録2章にある、イエスからエペソの教会への手紙です。どちらも、多くを受けながら、それがどこから来たのかを忘れてしまった人々の姿を描いています。
メッセージの中心には一つの確信があります。神はあなたの罪を忘れてくださいましたが、ご自分が払われた代価は決して忘れておられません。そして、あなたが無償で受けたものを、あなたは人に伝えるよう召されています。
メッセージの流れ
1. 誰にも返せない負債
- 「天国は、僕たちと決算をしようとした王に比べることができる。」(マタイ18:23、口語訳)牧師は強調します。その日は必ず来ます。イエスは再び来られ、教会を迎えに来られますが、同時に決算をするために来られるのです。
- 私たちは恵みの福音の中に生きており、恵みには驚くべき深さがあります。しかし神は、諸国民をさばき、私たちをもさばくために来られることを心に留めておられます。
- この僕は、「途方もない」「想像を絶する」ほどの大金を借りていました。返す当てがないため、本人も妻も子どもも、持ち物すべても売られることになります。
- 彼はひれ伏して言います。「僕はひれ伏して拝し、『どうぞ、お待ち下さい。全部お払いいたします』と言った。」(マタイ18:26、口語訳)せいぜい、分割払いか負債の減額を期待しているにすぎません。しかし主人は冷静に見抜いています。この人が返済できる日は決して来ない、と。
- 「それは私たちの姿でもあります」。帳消しにしたいと思っても、自分の力や能力では、状況を変えることは決してできません。だからこそ神は、創世記の初めから予告されていたイエスの犠牲を用意されました。私たちの負債を支払えるのは、イエスだけなのです。
2. 心を揺さぶられる神
- 主人は「心を揺さぶられ」ます。ピエール・フォーシーはこの言葉が大好きです。「私は、自分が神を揺さぶっていること、自分の無力さが神の心を揺さぶっていることを聞く必要があります」。
- 私たちはときに、厳格な神、規則をそのまま適用する神を思い描きます。けれども神は、誰かが懇願するとき、その心が動く方でもあります。「私たちはさばきに値します。しかしイエスを選んだので、神の心は揺さぶられるのです」。
- 僕が願ったのは分割払いでした。主人はそれ以上のことをします。負債を減らすのではなく、帳消しにするのです。銀行員から「ローンのことは忘れてください」と言われるようなものです。
- 僕は奴隷になるはずの部屋に入り、自由の身となって出てきます。福音もそのとおりです。重荷と負債を背負って入り、イエスがあなたの罪のために死なれたと聞いて、いのちの書に名前が記された自由な者として出ていくのです。「何者でもなかったあなたが、相続人になるのです」。
- 牧師は、恵みが生み出すものを挙げます。壊れた家庭が回復し、家族が再会し、薬物やアルコールが消えていくのです。
3. 恵みを受けても、変えられないままでいること
- 外に出るとすぐ、僕は少額の借りがある仲間に出会います。彼は仲間の首をつかんで言います。「借金を返せ」。相手も同じ言葉で懇願しますが、彼はその仲間を牢に入れてしまいます。
- 「恵みが他者を見る目を変えないまま、恵みを受けることはできてしまいます」。「主よ、赦してください」とは言えても、他の人が同じ恵みを生きることになると、厳しいままなのです。
- このたとえは赦しについて語っていますが、それだけにとどまりません。これは御国の原則です。「無償で受けたものは、無償で与えなさい。神があなたに生きさせてくださっていることを、人に伝えなさい」。
- 主人は僕を呼び出して言います。「わたしがあわれんでやったように、あなたも仲間をあわれんでやるべきではなかったか」(マタイ18:33、口語訳)。わたしがあなたを赦したのだから、あなたも赦すべきです。わたしが与えたのだから、あなたも与えるべきです。「恵みを受けながら、それを自分の後ろでせき止めることはできません」。
4. 神の怒りを招くもの
- 34節で、主人は怒ります。牧師にとって、これは珍しいことであり、心に問いかけてきます。受けた恵みを妨げるとき、つまりそれを人に伝えないとき、私たちは神を怒らせるのです。「私は、神の怒りと遊びたくありません」。
- 何年も神を知り、教会で奉仕し、聖書に通じ、人生が変えられていながら、今も苦しんでいる人たちには厳しい、ということが起こりえます。
- 自分も倒れたことを忘れて、倒れた人を批判することがあります。自分が歩み始めたころには持っていなかった成熟を、他の人に求めることがあります。神が私たちに求められた以上に、他の人に厳しくなることがあります。
- 恵みは、赦しを通して、態度を通して、忍耐を通して表れます。イエスは、私たちが無償で受けたものを伝えることを待っておられます。
5. エペソ、堅固でありながら初めの愛から離れた教会
- 黙示録2章で、イエスはまずエペソの教会の良い点を認めます。その行い、労苦、忍耐です。悪い者たちを我慢せず、使徒と自称する者たちを試して偽り者を見破りました。くじけることなく苦難に耐えてきました。
- これは、清さの中を歩み、枠組みを築いた教会です。牧師は強調します。聖さは大切であり、神もそれを否定してはおられません。
- 「しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。」(黙示録2:4、口語訳)その結果は重いものです。燭台が取り除かれるのです。言い換えれば、「わたしは去る」ということです。
- ピエール・フォーシーは、この初めの愛を1ヨハネ4:19に照らして読みます。「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである。」(口語訳)それは、まず私たちが神に抱いていた愛のことではなく、神が私たちの負債をすべて帳消しにして、私たちを愛してくださった愛のことです。
- 「愛のない真理は冷たくなります。あわれみのない要求は人を押しつぶします。謙遜のない識別力は、結局、霊的な優越感を生み出します」。そうなると私たちは、取税人を見て「私はあの人たちのようではない」と言うパリサイ人のようになってしまいます。
- この初めの愛を忘れると、私たちは干からび、固くなり、心を閉ざし、批判やさばきに傾いていきます。「心を揺さぶられる人はどこにいるのでしょう。罪人を受け止め、救いの道に寄り添ってくれる人はどこにいるのでしょう」。
6. 思い出しなさい。神は、ご自分が払われたものを決して忘れておられない
- イエスがエペソに向けた最初の言葉は、「思い出しなさい」です。どこから落ちたのかを思い出し、自分がどこから来たのかを思い出しなさい、ということです。
- 牧師は一つ補足します。神がすでに忘れてくださった罪を、何度も思い返すことが大事なのではありません。「神は私たちの罪を忘れてくださったとしても、ご自分が払われたものは決して忘れておられません」。ご自分の御子のいのちが与えられたことを、神は忘れておられないのです。
- 忘れられないはずのことを忘れるとは、神がどれほど私たちを愛し、どれほど赦し、どのように負債を帳消しにしてくださったかを忘れることです。また、神がどのように私たちを愛されたかを忘れることでもあります。私たちの人生に罪が与えた傷を見て、神は心を揺さぶられたのです。
- イエスはエペソに、初めの行いに立ち返るよう呼びかけます。そうしなければ燭台を取り除くと言われます。これは軽い励ましの言葉ではなく、厳粛な警告です。一方、あわれみのない僕は牢に入れられて終わります。
- 神は厳格さや霊的な歩みに反対しておられるのではありません。「私が言っていないことを言わせないでください」。ただ、神は犠牲よりもあわれみを喜ばれます。イエスの怒りの多くは、思いやりのない硬直に陥っていた律法学者やパリサイ人に向けられていました。
7. 恵みを伝えるほど、恵みを生きるようになる
- 「祝福されたいですか。あなたも人を祝福しなさい」。これが神の論理です。神は、私たちが与え、伝えることを望んでおられます。
- 牧師はこれを証ししています。主とともに歩めば歩むほど、恵みを人に伝えることで、神の恵みをいっそう深く生きるようになると分かってきたと言います。「それが、神とともに驚くべきことを生きる秘訣です」。
- 山上の祝福の言葉も同じ方向を指しています。あわれみ深い人は幸いです、その人はあわれみを受けるからです。そこには原因と結果のつながりがあります。
- メッセージは聖餐式へとつながります。聖餐は、忘れられないはずのことを決して忘れないためのものです。自分の過ちを振り返るためではなく、消えた負債とイエスの犠牲を思い出すためです。
- 祈りの中で牧師は、心が硬直の中に閉じこもらず、揺さぶられる力を保ち続け、教会がこの恵みの通り道となるよう願います。「主よ、あなたは私たちの過去については忘れっぽい方です」と言い、さらに続けます。「今朝、あなたは、払われた代価は忘れてはならないものだと思い出させてくださいます」。
ポイント
- あなたの神への負債は、返せないものでした。神はそれを分割にしたのではなく、イエスの犠牲によって帳消しにされました。
- 恵みを受けても、他者を見る目が変えられないままということがあります。無償で受けたものは、無償で与えましょう。
- 初めの愛とは、神がまずあなたを愛してくださった愛のことです。それがなければ、真理は冷たくなり、要求は人を押しつぶします。
- 神はあなたの罪を忘れてくださいましたが、ご自分が払われた代価は決して忘れておられません。この恵みを思い出すことが、心をやわらかく保ちます。
- 神の恵みの通り道となるほど、あなた自身の人生でもその恵みを深く生きるようになります。
自分への適用
- 神があなた自身の負債を帳消しにしてくださったのに、誰かに「返してほしい」と思っている相手はいませんか。
- 信仰の歩みを始めたころ神があなたに求められたよりも、厳しくなってしまっている相手は誰ですか。
- あなたの信仰は、心を揺さぶられる力を保っていますか。それとも、枠組みと規則の問題になってしまっていませんか。
- 今週、神がどれほど、そしてどのようにあなたを愛されたかを、具体的にどう思い出せますか。
- 受けた恵みを、赦しや忍耐、寛大な行いなどを通して、どの場面で伝えられますか。
引用された聖句
- マタイによる福音書 18:23-35
- ヨハネの黙示録 2:1-5
- ヨハネの手紙第一 4:19
- マタイによる福音書 10:8
- ルカによる福音書 18:9-14
- ホセア書 6:6
- マタイによる福音書 5:7
よくある質問
「忘れられないはずのことを忘れる」とはどういう意味ですか。
ピエール・フォーシーにとって、忘れられないはずのことを忘れるとは、神がどれほど、そしてどのように私たちを愛されたかを忘れることです。どれほど赦してくださったか、どのように負債を帳消しにしてくださったか、そして私たちの人生に罪が与えた傷を見てどのように心を揺さぶられたかを忘れることです。何年も神を知っていても、この恵みを見失うことはありえます。
マタイ18章の二人の債務者のたとえは、何を教えていますか。
ある僕が莫大な負債を帳消しにしてもらいながら、少額の借りがある仲間を牢に入れさせます。牧師はここから、天の御国の原則を引き出します。神があなたに与えてくださったものを、神はあなたが人に伝えることを望んでおられる、ということです。恵みを受けても、他者を見る目が変えられないままということは起こりえます。
エペソの教会が離れてしまった初めの愛とは何ですか。
ピエール・フォーシーは1ヨハネ4:19に基づいて説明します。私たちが愛するのは、神がまず私たちを愛してくださったからです。初めの愛とは、まず私たちが神に抱いていた愛のことではなく、神が私たちの負債をすべて帳消しにして私たちを愛してくださった愛のことです。それがなければ、厳格な教会は干からび、固く、硬直したものになってしまいます。