聖書 — 口語訳 (1955)

ルカによる福音書 18

概要

ルカによる福音書18章は、神に近づく仕方についての場面を集めています。やもめと裁判官のたとえは、失望せずに常に祈るべきことを、パリサイ人と取税人のたとえは、神が罪人であることを認める者を義とされることを示します。イエスは幼な子を迎え、金持ちの役人は財産に執着して悲しんで去ります。人にはできないことも、神にはできるのです。三度目の受難の予告のあと、エリコの盲人はイエスに叫び、見えるようになります。

この章の6つの区分

  1. 1-8節やもめと裁判官:失望せずに祈る
  2. 9-14節パリサイ人と取税人:神の前の謙遜
  3. 15-17節幼な子のように神の国を受け入れる
  4. 18-30節金持ちの役人:人にはできないこと
  5. 31-34節三度目の受難の予告
  6. 35-43節エリコの盲人

1また、イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に譬で教えられた。

2「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わぬ裁判官がいた。

3ところが、その同じ町にひとりのやもめがいて、彼のもとにたびたびきて、『どうぞ、わたしを訴える者をさばいて、わたしを守ってください』と願いつづけた。

4彼はしばらくの間きき入れないでいたが、そののち、心のうちで考えた、『わたしは神をも恐れず、人を人とも思わないが、

5このやもめがわたしに面倒をかけるから、彼女のためになる裁判をしてやろう。そしたら、絶えずやってきてわたしを悩ますことがなくなるだろう』」。

6そこで主は言われた、「この不義な裁判官の言っていることを聞いたか。

7まして神は、日夜叫び求める選民のために、正しいさばきをしてくださらずに長い間そのままにしておかれることがあろうか。

8あなたがたに言っておくが、神はすみやかにさばいてくださるであろう。しかし、人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか」。

9自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して、イエスはまたこの譬をお話しになった。

10「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった。

11パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。

12わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。

13ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。

14あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。

15イエスにさわっていただくために、人々が幼な子らをみもとに連れてきた。ところが、弟子たちはそれを見て、彼らをたしなめた。

16するとイエスは幼な子らを呼び寄せて言われた、「幼な子らをわたしのところに来るままにしておきなさい、止めてはならない。神の国はこのような者の国である。

17よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない」。

18また、ある役人がイエスに尋ねた、「よき師よ、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。

19イエスは言われた、「なぜわたしをよき者と言うのか。神ひとりのほかによい者はいない。

20いましめはあなたの知っているとおりである、『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証を立てるな、父と母とを敬え』」。

21すると彼は言った、「それらのことはみな、小さい時から守っております」。

22イエスはこれを聞いて言われた、「あなたのする事がまだ一つ残っている。持っているものをみな売り払って、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。

23彼はこの言葉を聞いて非常に悲しんだ。大金持であったからである。

24イエスは彼の様子を見て言われた、「財産のある者が神の国にはいるのはなんとむずかしいことであろう。

25富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。

26これを聞いた人々が、「それでは、だれが救われることができるのですか」と尋ねると、

27イエスは言われた、「人にはできない事も、神にはできる」。

28ペテロが言った、「ごらんなさい、わたしたちは自分のものを捨てて、あなたに従いました」。

29イエスは言われた、「よく聞いておくがよい。だれでも神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子を捨てた者は、

30必ずこの時代ではその幾倍もを受け、また、きたるべき世では永遠の生命を受けるのである」。

31イエスは十二弟子を呼び寄せて言われた、「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、人の子について預言者たちがしるしたことは、すべて成就するであろう。

32人の子は異邦人に引きわたされ、あざけられ、はずかしめを受け、つばきをかけられ、

33また、むち打たれてから、ついに殺され、そして三日目によみがえるであろう」。

34弟子たちには、これらのことが何一つわからなかった。この言葉が彼らに隠されていたので、イエスの言われた事が理解できなかった。

35イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道ばたにすわって、物ごいをしていた。

36群衆が通り過ぎる音を耳にして、彼は何事があるのかと尋ねた。

37ところが、ナザレのイエスがお通りなのだと聞かされたので、

38声をあげて、「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんで下さい」と言った。

39先頭に立つ人々が彼をしかって黙らせようとしたが、彼はますます激しく叫びつづけた、「ダビデの子よ、わたしをあわれんで下さい」。

40そこでイエスは立ちどまって、その者を連れて来るように、とお命じになった。彼が近づいたとき、

41「わたしに何をしてほしいのか」とおたずねになると、「主よ、見えるようになることです」と答えた。

42そこでイエスは言われた、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った」。

43すると彼は、たちまち見えるようになった。そして神をあがめながらイエスに従って行った。これを見て、人々はみな神をさんびした。

鍵となる聖句

1節
また、イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に譬で教えられた。

ルカ自身が、続くたとえの意味を示しています。常に祈るべきであり、失望してはなりません。粘り強い祈りは、落胆への答えです。

8節
あなたがたに言っておくが、神はすみやかにさばいてくださるであろう。しかし、人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか」。

イエスは、神がすみやかにさばきを行われると保証し、そのうえで、開かれたままの問いを投げかけられます。人の子が来るとき、地上に信仰が見られるだろうか。信仰に忍耐することが、問われているのです。

13-14節
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。 あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。

取税人は目を上げることもできず、あわれみを求めますが、パリサイ人は自分の功績を並べ立てます。イエスは、義とされて帰ったのは前者だと言われます。神は、自分を頼まない人を受け入れてくださいます。

27節
イエスは言われた、「人にはできない事も、神にはできる」。

弟子たちの、だれが救われることができるのかという問いに、イエスは、救いは人間の業績ではなく神の御業だと答えられます。

38-39節
声をあげて、「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんで下さい」と言った。 先頭に立つ人々が彼をしかって黙らせようとしたが、彼はますます激しく叫びつづけた、「ダビデの子よ、わたしをあわれんで下さい」。

盲人は、黙らせようとする人々にもかかわらずイエスに叫び、さらに大声で叫びます。彼の信仰は、沈黙させられることを拒む粘り強さとして表れています。

この章に登場する人物

説教が語っていること

絶えず祈り、主に従うルッツ牧師は、ルカ17章20節から19章27節を通して、主の再臨を待つ中での、忍耐強い祈りと従順の生き方を導き出します。裁判官を困らせるやもめは、答えを得る粘り強さを示しています。要約を読む →小さな角が叫ぶとき、イエスがあなたの戦いを導かれるマリー・アゴスティーニは、ルカ18章1節から8節のやもめをもとに、落胆せずに絶えず祈るよう呼びかけます。裁判官が、うるさくて頭が痛くなるのでついに折れるという、おもしろい細部にも触れています。要約を読む →イエスに何をしてほしいのですかこのメッセージは、ルカ18章35節から43節の盲人に立ち止まります。黙らされることのない叫びと、イエスが今も一人ひとりに問われる、わたしに何をしてほしいのか、という問いを心にとめます。要約を読む →バプテスマのヨハネが答える――あなたの悔い改めはどんな実を結んでいますか悔い改めについて語る中で、説教者はルカ18章のパリサイ人を引き合いに出します。自分の善行を他人と比べるのは間違った道であり、答えの中心は、父が遣わされた方を信じることだと語ります。要約を読む →リバイバルの担い手になるには:モーセに学ぶ7つの鍵マテタ・ランドゥ牧師は、ルカ18章の金持ちの青年と、神にできることとの対比でメッセージを始めます。人にはできないことも、神にはできるのです。要約を読む →使徒の働き1:8:あなたを証人に変える力マリー・アゴスティーニは、やもめと裁判官のたとえに再び立ち返ります。イエスご自身が、失望せずに祈るよう語っておられます。何も動かないように見えるとき、傍観者でいるのではなく、忍耐するよう招いています。要約を読む →

ルカによる福音書18章についてよくある質問

ルカによる福音書18章のやもめと裁判官のたとえは何を意味していますか

神を恐れない裁判官に、一人のやもめが正義を求め、しつこさに負けた裁判官がついに折れます。イエスは、神ならば選ばれた者のために、すみやかにさばきを行われると結ばれます。このたとえは、神が渋っておられると教えているのではなく、常に祈り、失望してはならないと教えています。

パリサイ人と取税人のたとえの教訓は何ですか

二人の人が宮で祈ります。パリサイ人は自分の功績を誇って取税人を見下し、取税人はただあわれみを求めます。イエスは後者が義とされたと宣言し、おのれを高くする者は低くされると結ばれます。教訓は、恵みを必要としていることを認めるとき、神に受け入れられるということです。

なぜイエスは金持ちの青年に、すべてを売るよう言われたのですか

役人は戒めを守ってきたと言いますが、イエスは彼を引き止めているもの、すなわち富に触れられます。多くの読者は、これをこの人個人への呼びかけだと見ます。しかしだれもが、何ものも神より先にあってはならないこと、救いは人にはできないが神にはできることを、ここに見いだします。

ルカによる福音書18章38節のダビデの子よ、わたしをあわれんでくださいとはどういう意味ですか

盲人は、ダビデの子と呼んで、イエスにメシヤの称号を与えています。その叫びは、イエスを神が約束された方と認め、あわれみを求めるものです。イエスは立ち止まり、尋ね、あなたの信仰があなたを救ったと言って、見えるようにされます。

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