要約
富める青年は、永遠のいのちを受け継ぐには何をすればよいかと、真剣な問いを携えてイエスのもとに来た人です。幼いころから戒めを守ってきましたが、イエスは彼をじっと見つめていつくしみ、持ち物を売り払って貧しい人に施し、自分に従うよう言われました。彼は多くの財産を持っていたため、悲しみながら去って行きました。三つの福音書が伝えるこの場面は、人にはできないが神にはできるというイエスの教えへと続きます。
富める青年という名前の意味
聖書は彼の名を記していません。マタイは「青年」、ルカは「役人」と呼び、三つの福音書はいずれも彼が金持ちだったと伝えます。そこから伝統的に「富める青年」と呼ばれてきました。名前がないことで、どの読者も自分の問いとして読むことができます。
富める青年の生涯
真剣な問い
マルコの福音書10章17節イエスが道に出て行かれると、一人の人が走り寄り、ひざまずいて、永遠のいのちを受け継ぐために何をすればよいかと尋ねました。その姿には敬意と熱意があります。罠をかけに来たのではなく、本気で永遠のいのちを求めており、それは何かを行って得られるものだと考えていました。
なぜわたしを良い方と呼ぶのか
マルコの福音書10章18-20節イエスは、なぜわたしを良い方と呼ぶのか、神のほかに良い方はいないと言い、人への戒めである殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証をするな、父と母を敬えを挙げられました。彼は幼いころからすべて守ってきたと答えます。その道徳的な生活は本物でしたが、なお欠けているものがありました。
欠けていることが一つある
マルコの福音書10章21節マルコは、イエスが彼を見つめていつくしんだと記します。これは非難ではなく愛のまなざしです。イエスは、あなたには欠けていることが一つある、行って持ち物を売り払い貧しい人に与えなさい、そうすれば天に宝を持つことになる、それから来てわたしに従いなさいと言われました。この招きは、彼の心が執着している一点を正確に示しています。
悲しみながら去った
マタイの福音書19章22節このことばを聞いた青年は、悲しみながら去って行きました。多くの財産を持っていたからです。イエスのもとから、来たときよりも悲しんで帰った人の、数少ない記録の一つです。彼は永遠のいのちを望みましたが、財産を手放してまで望んではいませんでした。その後どうなったかを福音書は記していません。
ラクダと針の穴
マルコの福音書10章23-27節イエスは弟子たちに向き直り、富に頼る者が神の国に入るのはなんと難しいことかと言われました。ラクダが針の穴を通るほうがやさしいとも言われます。驚いた弟子たちが、それでは誰が救われるのかと尋ねると、イエスは、人にはできないが神にはできる、神にはどんなことでもできるからだと答えられました。
すべてを捨てた人たち
マルコの福音書10章28-31節ペテロが、自分たちはすべてを捨ててイエスに従ったと言うと、イエスは、わたしと福音のために家や家族や畑を捨てた者は、今の時代に百倍を受け、迫害も受け、来たるべき世では永遠のいのちを受けると約束されます。去って行った青年とは対照的です。
富める青年から学ぶこと
- 非の打ちどころのない道徳的な生活も、イエスに従うことの代わりにはなりません。永遠のいのちは報酬ではなく、受け取る賜物です。
- イエスは多くを求める相手を愛のまなざしで見つめます。手放す招きは、断罪ではなく招待です。
- イエスに求められたら悲しくなるものは何か、考えてみましょう。そこにこそ、あなたの心が安心を置いている場所があります。
- 救いは人にはできなくても神にはできます。神の国には自分の努力ではなく、神の恵みによって入るのです。
鍵となる聖句
何かを求める前に、イエスはこの人を見つめていつくしまれました。すべてを売って従うようにという招きは、この愛から生まれています。イエスは彼を貧しくするのではなく、心を自由にしたいのです。
青年は多くの財産のために悲しんで去りました。この節は、永遠のいのちを望みながら、イエスの示す道を拒むことがありうると教えています。
人にはできないことが神にはできます。金持ちであれ誰であれ、救いは本人の努力ではなく、神の働きによって与えられます。
富める青年についての説教
- 絶えず祈り、主に従う説教者はルカの福音書18章18-27節をたどります。若い役人は戒めを知っていましたが、イエスにすべてを売って従うよう言われ、非常な金持ちだったので悲しんで去りました。
- 神の国は誰のものか説教者はマルコの福音書10章で、戒めを守るだけでは救われないと示します。富める青年の心は富に根ざし、そこに安心と自己認識を見いだしていました。
- 宝と真珠 ― イエスのためにすべてを手放す説教は宝と真珠のたとえから、マルコの福音書10章17-22節を読み直します。イエスは私たちが執着しすぎているものを指摘し、御国がすべてにまさる価値を持つことを示されます。
- キリストに従う者だけがキリストを愛することができる牧師は、イエスに従うために貧しくなる必要はなく、問われているのは心だと語ります。さらに、私たちは富める青年の世代だと述べます。
よくある質問
聖書の富める青年とは誰ですか?
マタイでは青年、ルカでは役人とされる金持ちの人で、永遠のいのちを受け継ぐには何をすればよいかとイエスに尋ねました。戒めは守ってきましたが、イエスに持ち物を売って貧しい人に与え、従うように言われると、悲しみながら去って行きました(マタイの福音書19章16-22節、マルコの福音書10章17-22節、ルカの福音書18章18-23節)。
イエスはすべてのクリスチャンに全財産を売るよう求めているのですか?
この場面でイエスが語りかけたのは、心が財産に縛られていた特定の一人です。出会う人すべてにこの命令を出しているわけではありません。ただし、続く教えはすべての人に当てはまります。富に頼る者が神の国に入るのは難しく、救いを可能にするのは神だけです(マルコの福音書10章23-27節)。
富める青年の記事は聖書のどこにありますか?
三つの共観福音書に記されています。マタイの福音書19章16-30節、マルコの福音書10章17-31節、ルカの福音書18章18-30節です。どの記事にも、富についてのイエスの教え、弟子たちの驚き、そしてすべてを捨てて従った者への約束が続いています。