要約
デオテレペスは一世紀末の地方教会の指導者で、ヨハネの手紙第三だけに登場します。使徒ヨハネは彼を数語で描きます。第一人になりたがり、ヨハネを受け入れず、悪意のあることばで非難し、旅の兄弟たちを迎えず、迎えようとする人たちを教会から追い出しました。ヨハネは彼を、忠実でもてなしの心に富むガイオや、皆から良い証しを得ているデメテリオと対比させます。デオテレペスは、奉仕を支配に変えてしまう高ぶりの典型となりました。
デオテレペスという名前の意味
デオテレペスはギリシア語の名前で、「ゼウスに養われた」「ゼウスに育てられた」と説明されるのが一般的で、身分のある家で用いられました。聖書はこの名前を解説せず、ヨハネはその人が教会で第一人になりたがる者だという性格だけを記しています(ヨハネの手紙第三1章9節)。
デオテレペスの生涯
ガイオへの手紙
ヨハネの手紙第三1章1-4節長老ヨハネは、愛する者ガイオに宛てて書きます。彼を真理のうちに愛しているからです。兄弟たちが、ガイオが真理に歩んでいると証ししており、ヨハネは、子どもたちが真理に歩んでいると聞くこと以上の喜びはありません。この愛情に満ちた空気の中に、対照としてデオテレペスの姿が現れます。
旅の兄弟たちを迎える
ヨハネの手紙第三1章5-8節ヨハネは、ガイオが旅人である兄弟たちにも誠実に行っていることをたたえます。彼らはイエス・キリストの御名のために旅立ち、異邦人からは何も受けていません。彼らを神にふさわしく送り出し、迎える人は、真理のために彼らの同労者となります。これこそデオテレペスが拒んでいることです。
第一人になりたがる者
ヨハネの手紙第三1章9節ヨハネは教会に少し書き送りましたが、彼らの中で第一人になりたがるデオテレペスは、私たちを受け入れません。以前の手紙は無視され、デオテレペスは使徒の権威を認めませんでした。ヨハネは、彼の問題を一言にまとめます。第一の座を愛することです。
悪意のあることばと追放
ヨハネの手紙第三1章10節ヨハネは、行ったときには彼の行いを思い出させると告げます。彼は使徒たちを悪意のあることばで非難し、兄弟たちを迎えず、迎えようとする人たちを妨げ、教会から追い出していました。一人の高ぶりが、もてなしの門を閉ざし、共同体を分けています。
悪にならわず善にならえ
ヨハネの手紙第三1章11-12節ヨハネは、悪にならわず善にならいなさい、善を行う者は神から出た者、悪を行う者は神を見たことのない者だと結びます。そして、すべての人と真理そのものから良い証しを得ているデメテリオを挙げます。デオテレペスは、ならってはならない見本として残ります。
デオテレペスから学ぶこと
- 第一の座を愛することは、教会の現実の危険です。人に見られるために仕えていないか、キリストが見られるために仕えているか、自分に問いましょう。
- 兄弟たちを迎えることを拒むのは、真理のために彼らと同労者になることを拒むことです。もてなしは信仰の行いです。
- 神のしもべをけなし、その権威を退けるのは、もはや戒めを受け入れない心の表れです。
- ヨハネはガイオかデオテレペスかの二つの道を示します。善にならう道を選びましょう。善を行う者は神から出た者です。
鍵となる聖句
デオテレペスを紹介する唯一の節が、彼の心を言い表しています。第一人になりたがることです。この野心が、使徒ヨハネとその手紙さえ拒ませました。
ヨハネはデオテレペスの具体的な行いを挙げます。悪意あることば、受け入れの拒否、迎える人々の追放です。高ぶりは内に留まらず、目に見える実を結びます。
デオテレペスを描いた後、ヨハネは彼と戦えとは言わず、まねるなと言います。高ぶりの解決は善を行うことであり、それが神に属する証しです。
デオテレペスについての説教
よくある質問
聖書のデオテレペスとは誰ですか?
デオテレペスはヨハネの手紙第三1章9-10節に出てくる、地方教会の有力な人物です。使徒ヨハネによれば、彼は第一人になりたがり、使徒たちを受け入れず、悪く言い、兄弟たちを迎えず、迎えようとする人を教会から追い出しました。真理に歩むガイオとデメテリオとは対照的です。
デオテレペスという名前にはどんな意味がありますか?
デオテレペスはギリシア語の名前で、一般に「ゼウスに養われた」「ゼウスに育てられた」と説明され、身分の高い家で用いられました。聖書はその意味を説明せず、名前から教えを引き出してもいません。注目されるのは、第一の座を愛する態度です(ヨハネの手紙第三1章9節)。
デオテレペスは聖書のどこに出てきますか?
ヨハネの手紙第三の9節と10節だけに登場します。この短い手紙は14節からなり、ガイオに宛てられています。兄弟たちを迎えるガイオ、拒むデオテレペス、皆から良い証しを得るデメテリオの三人が描かれます(ヨハネの手紙第三1章1-14節)。