はじめに
主はまもなく戻って来られます。そのような中で、一日一日がとても大切です。あなたの人生とは、あなたの日々の積み重ねにほかならず、それぞれの一日は、あなたが下す選択、大切にする価値観、定める優先順位によって形づくられていきます。ルカの福音書17章20節から19章27節を通して、ルッツ牧師は、主人が戻られたときに備えができているように、絶えず祈り、忠実に従う生き方へとあなたを招きます。
ある日、パリサイ人たちがイエスに尋ねました。「神の国はいつ来るのですか。」イエスはこう答えられました。「神の国は、目に見える形で来るものではありません。『ここにある』とか『あそこにある』とか言えるようなものでもありません。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです」(ルカ17:20-21)。この御国は、単に未来の天のことではありません。今日、神に自分の人生を治めていただく者の心の中に、すでに存在しているのです。
記事の構成
1. 神の国はあなたのただ中にある
イエスが御国は「あなたがたのただ中にある」と言われるとき、それは内面的であると同時に共同体的な現実を語っておられます。神の国とは、神の律法、神の基準、神の価値観によって治められる領域です。それは、あなたの考え方でも、あなたを取り巻く社会の基準でも、時代の流行でもなく、神の御心が治めておられる場所なのです。
もし主が本当にあなたの人生に住まわれ、あなたを治めておられるなら、恐れは退いていくはずです。主が与えてくださる感謝と喜びが、あなたを満たしていくはずです。あなたは多くの鎖から解放されているはずです。経済的な不安、病の重荷、人間関係の緊張、危機の時代のストレスなどからです。もちろん、試練が消えてなくなるわけではありません。しかし祈りの中で、主との触れ合いを通して、あなたは自分の困難を違った目で見ることを学んでいきます。不幸に見えたものが、成長の機会となり、神とのより深い親密さへの機会となり、神のご計画をより深く理解する機会となるのです。主が与えてくださる平安は、誰にも奪うことができません。
あなたが自分の内側と教会の中に築くよう召されているのは、まさにこの御国です。あなたは天の国籍を持つ者として今まさに形づくられている途上にあり、この地上はあなたの訓練の場なのです。
2. ノアとロトの時代のように
イエスはさらに、弟子たちにこう警告し続けられます。「ノアの時代に起こったことは、人の子の日にも同じように起こります」(ルカ17:26)。人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていました。洪水がやって来て、すべてを押し流してしまうその日まで。ロトの時代も同じでした。ソドムは、それを焼き尽くす火が下るその日まで、放縦と無関心のうちに暮らしていました。
ノアは、一度も雨を見ることのないまま、一世紀以上もかけて箱舟を造りました。彼は嘲られ、軽蔑され、頭のおかしい老人扱いされました。しかし彼は神の言葉を信じ、日々従い続けました。一方ロトは、正しい人でありながら、ソドムの文化に妥協していました。彼を救うためには、御使いたちがほとんど力ずくで彼を町の外へ引き出さなければならないほどでした。
今日の世界は、ノアの時代に似ています。それどころか、それ以上です。悪はその頂点に達しており、神の忍耐は終わりに近づいています。イエスは率直にこう断言されます。「人の子が現れる日にも、同じことが起こります。……ロトの妻を思い出しなさい」(ルカ17:30-32)。後ろを振り返ってはいけません。やがて消え去るこの世に、あなたの心を執着させてはいけません。
3. 携挙:二人の男、二人の女、二つの運命
「その夜、同じ寝床に二人の人がいると、一人は取られ、一人は残されます」(ルカ17:34-35)。二人の男が畑で働いていると、一人は取られ、一人は残されます。二人の女が一緒に臼をひいていると、一人は取られ、一人は残されます。この場面は、信じる者たちの携挙、すなわち最後の大患難が解き放たれる前に、主がご自分の民を引き上げてくださる瞬間を予告しています。
これは、いつ何時起こるか分かりません。あなたが備えるべき時は、今です。悔い改め、神を求め、神とともに歩むべき時は、今日です。すべてが一変してしまってからでは遅いのです。その時になってから、慌てて何かをしようとしても、もう間に合いません。
4. 絶えず祈る:不正な裁判官のたとえ
そこでイエスは弟子たちに、「いつも祈るべきであり、失望してはならない」ということを教えられます(ルカ18:1)。イエスは、神を恐れず人を人とも思わない裁判官のもとに、しつこく訴え続けるやもめの話をされます。彼女はあまりにしつこく訴え続けたので、ついに正しいさばきを勝ち取ります。イエスはこう結論づけられます。「まして神は、昼も夜もご自分に叫び求めている選民のために、さばきを行わないことがあるでしょうか」(ルカ18:7)。
不正な裁判官でさえ、しつこさに根負けして応じるのなら、あなたを愛しておられる天の父が、あなたの叫びに耳を傾けてくださらないはずがありません。真実の祈りとは、神の御心を求める祈りです。「わたしのうちに、あなたの御心がなりますように。」昼も夜も祈り続けなさい。そうすれば、主はご自分の時に行動してくださいます。
異言でも祈ってください。御霊によって祈るとき、あなたの祈りは敵に妨げられることなく、まっすぐに天に届きます。なぜなら、あなたの霊がとりなす祈りは、神のご計画に完全に一致しているからです。パウロ自身もこのことを喜んでいました。「私はあなたがたのだれよりも多く異言を話すことを神に感謝しています」(コリント人への手紙第一14:18)。この賜物は、あなたの霊を成長させ、聖書への理解を開き、神があなたのうちに置かれた他の賜物を解き放ちます。
しかしイエスは、重い問いを投げかけられます。「人の子が来るとき、地上に信仰を見いだすでしょうか」(ルカ18:8)。問題は、神が答えてくださらないことではありません。問題は、あまりにも多くの信じる者たちが、もはや祈らなくなっていることです。
5. 二つの祈り、二つの心:パリサイ人と取税人
続いてイエスは、祈るために宮に上った二人の男の話をされます(ルカ18:9-14)。パリサイ人は立って、こう祈りました。「神様、私はほかの人たちのような、あるいはこの取税人のような者ではないことを感謝します。私は週に二度断食し、すべての収入の十分の一をささげています。」一方、取税人は遠くに立ち、目を天に向けようともせず、胸をたたいてこう言いました。「神様、罪人の私をあわれんでください。」イエスははっきりと言われます。義とされて家に帰ったのは、この取税人のほうだったと。
断食すること、十分の一をささげること自体は良いことです。あからさまな罪を避けることも良いことです。パリサイ人の問題は、彼が何をしているかではなく、自分自身についてどう思っているかにあります。彼には、告白すべきことも、求めるべきことも、受け取るべきことも何もありません。しかしイエスが来られたのは、罪人のためであって、自分を正しいと思っている人たちのためではありません。「医者を必要とするのは、健康な人ではありません」(ルカ5:31)。
成熟したクリスチャンにとって最大の敵は、霊的な高慢です。信仰歴の長さも、聖書の知識も、賜物も、あなたを高慢から守ってはくれません。神があなたの罪に指を置かれるとき、本当の問いはこうです。あなたはへりくだってその指摘を受け入れるのか、それとも自分を正当化して拒むのか。矯正を拒む者は行き詰まったままです。砕かれることを受け入れる者は成長していきます。
6. 富める青年と徹底的な召し
ある若い指導者がイエスのもとに来て、こう尋ねます。「尊い先生、永遠のいのちを受け継ぐには、何をすればよいのでしょうか。」彼は戒めをよく知っており、若い頃からそれを守ってきました。イエスは彼にこう言われます。「あなたには、まだ一つ足りないものがあります。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。それから、来て、わたしについて来なさい」(ルカ18:22)。この青年は非常に裕福だったので、これを聞いて悲しみながら立ち去りました。
イエスに従うことは、得点を競うことではありません。良い行いを積み重ねることでもありません。それは、心も、持ち物も、計画も、執着も、すべてをイエスにお渡しすることです。「人にはできないことも、神にはできます」(ルカ18:27)。あなたは自分の意志の力だけでは、それを成し遂げることはできません。しかし、あなたが心から主に従うことを決意し、主の助けを求めるとき、聖霊は、肉が拒むことを可能にしてくださるのです。
心に留めておきたいポイント
- 神の国は、あなたの永遠の目的地である前に、今日、あなたの心の中で始まります。
- 主の再臨は、洪水のように突然訪れます。あなたの備えとは、日々忠実に生きることです。
- 異言も含め、絶えず祈ることは、終わりの時における最も重要な武器です。
- 神は高慢な者に立ち向かい、へりくだる者に恵みを与えられます。自分を正当化せずに、矯正を受け入れてください。
- イエスに従うとは、チェックリストをこなすことではなく、あらゆる執着を手放し、主に治めていただくことです。
個人的な適用
- 今、私の心はどこに自分の国を求めているだろうか。持ち物だろうか、キャリアだろうか、家族だろうか、それとも主だろうか。
- 私は実際に、毎日どれだけの時間を祈りに費やしているだろうか。答えが遅れているときも、祈り続けているだろうか。
- 私は、自分を正当化するパリサイ人に似ているだろうか、それとも胸をたたく取税人に似ているだろうか。
- 最近、自分のイメージが傷つくという理由で拒んだ矯正はなかっただろうか。
- もし今日、イエスがすべてを手放して従うようにと私に求められたら、何が私を引き留めるだろうか。
引用された聖句
- ルカ17:20-21・神の国はあなたがたのただ中にある
- ルカ17:26-30・ノアとロトの時代のように
- ルカ17:32-33・ロトの妻を思い出しなさい
- ルカ17:34-35・一人は取られ、一人は残される
- ルカ18:1-8・不正な裁判官のたとえ
- ルカ18:9-14・パリサイ人と取税人
- ルカ18:17・幼子のように御国を受け入れる
- ルカ18:18-27・富める青年
- ルカ18:28-30・すべてを捨てた者たち
- コリント第一14:18・パウロと異言の祈り
よくある質問
「神の国はあなたがたのただ中にある」とはどういう意味ですか。
イエスは、今すでにある現実について語っておられます。神があなたの心と信じる者たちの共同体の中で実際に治めておられるところでは、御国はすでに働いています。それは、いつか到達すべき未来の場所というだけでなく、今日、神の権威のもとで生きる生き方そのものなのです。
なぜイエスは、これほどまでに絶えず祈ることを強調されるのですか。
終わりの時における本当の危険は、神が答えてくださらないことではないからです。神は、ご自分の御心にかなうことには、いつも答えてくださいます。本当の危険は、信仰が消え失せ、信じる者たちが祈ることをやめてしまうことです。不正な裁判官のたとえは、決して諦めてはならないという招きなのです。
イエスに従うためには、本当にすべてを売り払わなければならないのですか。
イエスが問題にしておられるのは、あなたの執着です。富める青年にとって、富がその偶像でした。あなたにとっては、別の何かかもしれません。原則は変わりません。何ものも、誰も、主より優先されてはならないということです。神があなたに与えてくださるものは、感謝をもって受け取りながらも、そこに心を縛りつけてはいけません。
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