はじめに
「道に迷ったら、出発点に戻りなさい。」マシュー・グロック(Matthew Glock)は、この助言が自分は苦手だと打ち明けます。特に運転中はそうです。どんどん進んでいくうちに、気がつくと迷っている。引き返せばよいのに、まだ先へ行けると自分に言い聞かせてしまうのです。「自分が迷っていると認めるのは難しいものです。」
パリのÉglise Protestante Évangélique de Paris Beaugrenelleでは、数週間前から創世記を最初から読み進めています。最初の2章では、神が世界を造り、男と女を造り、二人を園の中に管理者として置かれたことが語られていました。人類と園を豊かに育てる務めを託されたのです。
創世記3章は、その後に何が起こったのかを理解する鍵を与えてくれます。説教者はこの章から、罪の本当の姿、神が今も問いかけておられること、そしてイエスが御もとへ戻るために開いてくださった新しい道を読み取ります。
メッセージの流れ
1. わたしは迷っているのか
- 多くの人は「いいえ」と答えます。「どこへ向かっているか分かっているし、何を望んでいるかも分かっている」と。それでも、自分にはあるはずのものが欠けているという感覚を抱いています。
- ブレーズ・パスカルはこう指摘しました。王の座を失った王だけが、王の座を求めることができる。王であったことがない人が、どうして「ここは私の場所だ」と言えるでしょうか。
- 「私にも居場所がある」と言う人は、創造のときに神が人類に刻まれた深いものを表しています。
- この章の終わりで、人はエデンの東、園の外にいて、そこへ戻りたいと願っています。私たちの心にも、すべてが良い国への憧れがあります。それは「訪れたことのない国、聞いたことのない歌」のようなものです。
2. 他の人のせいではない
- 罪の本質を理解しなければ、本当の意味で前に進むことはできません。
- 私たちは自然と、「私は迷っている」「私の中に罪がある」と言うことを拒みます。そして原因を他に探します。「家族のせいだ、ひどい親だった。」「国がひどい扱いをした。」
- そうすることで、罪の深い本質という真理を見逃してしまいます。
- 神は「これが罪で、このように働く」という一覧表をくださるのではありません。私たちを物語の中、関係の中に置き、その中で現実が明らかになるようにされます。
3. 罪は巧妙で、うそをつく
- 野の生き物の中で最も狡猾な蛇は、一つの問いから始めます。「神は本当にそう言われたのですか。」説教者は、蛇が何者かを今さら詮索する必要はないと強調します。大事なのは、男と女がその声に耳を傾けたことです。
- 疑いは扉を開きます。神の栄光にならない方向へ私たちを引き込む会話のようです。「これを聞いた?」「あれを見た?」第一の点は、罪は巧妙だということです。
- 女の答えは混乱していきます。彼女は「触れてもいけない」と付け加えます。神はそうは言われませんでした。「食べてはならない」と言われたのです。疑いの種がまかれました。
- そして蛇はたたみかけます。「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。…神のようになるのです。」これは究極のうそであり、この世界の本当の問題を示しています。
- 罪の本質は、偽りとうそです。「罪はうそをつく」のです。そのうそに加わり、それを信じる分だけ、あなたは悪の支配の下に捕らえられます。
- うそは一言で言えます。「神は信頼できない。あなたの益を本当には望んでいないのだから。」神から目をそらし、神が善い方であることを忘れさせるのです。
4. 半分空でも半分満ちてもいないコップ
- この世は、人間は少し悪く、少し善いと言い、悪と善のあいだに明確な線を引きません。こうした考えから抜け出すのは簡単ではありません。
- 聖書の言葉は別のことを語ります。アダムから今日まで、すべての人は罪の支配の下にあります。ローマ人への手紙がはっきりとそう述べています。
- すでにイエス・キリストに人生をささげた人でも、そうでない人でも、このうそは絶えず耳に入ってきます。神が与えてくださった新しい心を養わなければ、私たちは何度でも引き離されてしまいます。
- 6節で、うそは女の心をとらえ、その望みの向きを変えます。神に向かい、神が与えようとされる良いものを受け取る心ではなく、彼女は、食べるのに良く、目に慕わしく、賢くしてくれそうな木を見ます。神のことをすっかり忘れてしまうのです。
- 二人の目は開かれましたが、神を見て神とつながるためではありません。自分たちが裸であることを見たのです。
- 蛇は決して「主なる神」という契約の名を口にしません。ただ「神」と言います。神の契約の下にいないからです。蛇に答える女もまた「神」と言います。彼女は契約の現実から出てしまっているのです。イエスは悪魔を「うその父」と呼ばれました。
5. 「あなたはどこにいるのか」
- マシュー・グロックにとって、この箇所の鍵は9節から12節にあります。神は一つの素朴な問いを携えて来られます。「あなたはどこにいるのか。」
- 神は起こったことをすべて知っておられたでしょうか。はい、知っておられました。それでも神は、私たち自身が答える機会を与えようとされます。「神は無理強いされません。」
- 神は今日も同じことをなさいます。困難な状況の中で、また内なる罪との戦いの中で。
- 「あなたが裸であることを、だれが教えたのか。食べるなと命じた木から取って食べたのか。」神は二人に責任を問い、自分で過ちを認めるように導かれます。
- 人の答えは、あらわにされた者の反射的な反応です。「あの女です、私ではありません。」女も同じようにします。「蛇が私を惑わしたのです。」
- 男は女のせいだと言い、女は男のせいだと言って、どれほど多くの悪がなされてきたでしょうか。「だれも自分の心が暗いことを認めたがりません。だれも自分が迷っていることを認めたがりません。」
6. 福音の最初の告知
- 神は恵みによって、すでに未来と希望を約束する備えを整えておられます。
- 蛇に向かって神はこう言われます。「わたしは、おまえと女との間に敵意を置く。…彼はおまえの頭を砕き、おまえは彼のかかとを砕く。」「これが福音の最初の言及です、兄弟姉妹の皆さん。」
- サタンは主イエスを傷つけ、誘惑し、十字架へと追いやろうとします。しかしサタンはうそつきであり、神のご計画を何も知りません。イエス・キリストの死と復活によって、蛇の頭は砕かれ、罪は打ち破られました。
- 神はすべての人を罪の下に閉じ込められました。それは、神の恵みがすべての人に現されるためです。
- ここから二つの大きな真理が導かれます。第一に、「私は、想像していたよりもはるかに悪い者だ」ということ。罪を犯す私たちの力は、自分で知っている以上に大きいのです。第二に、神は私たちが想像できるよりもはるかに私たちを愛しておられるということ。私たちが迷っていればいるほど、神の愛はそれ以上に大きいのです。
7. 戻るための新しい道
- この章の終わりで、アダムとエバは園から追い出されます。もし戻って命の木から取って食べるなら、彼らは永遠にその迷った状態にとどまることになります。
- 神は園の東にケルビムと、回る炎の剣を置かれました。だれも入ることはできません。
- 説教者はここでヘブル人への手紙10章を読みます。私たちはイエスの血によって、幕を通して開いてくださった新しい生きた道から、聖所に入る確信を得ています。「誠実な心をもって近づこうではありませんか。」
- イエスは私たちのために刺し貫かれました。園を守っていた剣は、イエスを打ち、私たちのために死に至らせた剣です。イエスがその代価を払ってくださったので、新しい道が開かれ、私たちは確信をもって近づくことができます。
- 罪でいっぱいのコップについて、イエスはこう言われます。「これはわたしが引き受ける。」多くの人が救われるように、罪の重みをすべて、その身に負われたのです。「神は善い方です。あなたは恵みに満ちています。」
心に留めたいこと
- 人の心には、失われた場所への郷愁があります。それは、私たちがどこか別の場所から来たこと、そして家から遠く離れていることのしるしです。
- 罪の本質はうそです。「神は信頼できない。あなたの益を本当には望んでいないのだから。」
- 他人を責めることは、あらわにされた者の最初の反応です。一方、神は問いを投げかけ、あなた自身が答えるのを待っておられます。
- 創世記3章15節から、神はイエスが蛇に勝利されることを告げておられます。
- あなたは想像しているよりも悪い者であり、神はあなたが想像しているよりもあなたを愛しておられます。イエスの血によって、神への道は開かれています。
個人への適用
- あなたの人生のどの分野で、自分が迷っていることを認めるのが難しいですか。
- 今のあなたのあり方の責任を、だれに、何に負わせていますか。家族、過去、社会でしょうか。
- 神はあなたの益を本当には望んでいないとささやく声を、今どこで聞いていますか。
- もし神が今日「あなたはどこにいるのか」と尋ねられたら、正直に何と答えますか。
- 確信をもって神に近づくために、今週、神が与えてくださった新しい心をどのように養いますか。
引用された聖句
よくある質問
創世記3章によると、罪の本質とは何ですか。
マシュー・グロックによれば、罪の本質は偽りとうそです。蛇のうそは、「神は信頼できない。あなたの益を本当には望んでいないのだから」という一言に集約されます。このうそは、あなたの目を神からそらし、心の望みの向きを変えてしまいます。
神はすべてを知っておられるのに、なぜアダムに「あなたはどこにいるのか」と尋ねるのですか。
神は起こったことをすべて知っておられました。それでも神は、私たち自身が答え、自分の過ちを認める機会を与えようとされます。神は無理強いされません。そして今日も、私たちの戦いの中で同じ問いを投げかけておられます。
聖書の中で福音が最初に告げられているのはどこですか。
説教者は、創世記3章15節に見ています。女の子孫が蛇の頭を砕き、蛇は彼のかかとを砕くというものです。サタンは十字架に至るまでイエスを傷つけようとしましたが、イエスはその死と復活によって罪に勝利されました。