聖書 — 口語訳 (1955)

ローマ人への手紙 11

概要

ローマ人への手紙11章は、これまでの章から生じる問いに答えます。神はご自分の民イスラエルを退けられたのか。パウロは、そうではないと答えます。恵みによって選ばれた残りの者がいます。イスラエルの一部がかたくなになったことで、救いは異邦人に開かれましたが、それが高ぶりを生んではなりません。オリーブの木のたとえは、異邦人が聖なる根に接ぎ木されたことを示し、パウロは奥義を告げます。イスラエルは永遠にかたくなであり続けるのではありません。章は、神の道の深さを前にした賛美の叫びで結ばれます。

この章の5つの区分

  1. 1-10節神はご自分の民を退けられなかった:恵みによって選ばれた残りの者
  2. 11-16節イスラエルのつまずきが異邦人に救いを開く
  3. 17-24節オリーブの木:高ぶりを許さない接ぎ木
  4. 25-32節奥義:イスラエルは全部救われ、神はすべての人にあわれみを施される
  5. 33-36節賛美:神の富の深さ

1そこで、わたしは問う、「神はその民を捨てたのであろうか」。断じてそうではない。わたしもイスラエル人であり、アブラハムの子孫、ベニヤミン族の者である。

2神は、あらかじめ知っておられたその民を、捨てることはされなかった。聖書がエリヤについてなんと言っているか、あなたがたは知らないのか。すなわち、彼はイスラエルを神に訴えてこう言った。

3「主よ、彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇をこぼち、そして、わたしひとりが取り残されたのに、彼らはわたしのいのちをも求めています」。

4しかし、彼に対する御告げはなんであったか、「バアルにひざをかがめなかった七千人を、わたしのために残しておいた」。

5それと同じように、今の時にも、恵みの選びによって残された者がいる。

6しかし、恵みによるのであれば、もはや行いによるのではない。そうでないと、恵みはもはや恵みでなくなるからである。

7では、どうなるのか。イスラエルはその追い求めているものを得ないで、ただ選ばれた者が、それを得た。そして、他の者たちはかたくなになった。

8「神は、彼らに鈍い心と、見えない目と、聞えない耳とを与えて、きょう、この日に及んでいる」と書いてあるとおりである。

9ダビデもまた言っている、「彼らの食卓は、彼らのわなとなれ、網となれ、つまずきとなれ、報復となれ。

10彼らの目は、くらんで見えなくなれ、彼らの背は、いつまでも曲っておれ」。

11そこで、わたしは問う、「彼らがつまずいたのは、倒れるためであったのか」。断じてそうではない。かえって、彼らの罪過によって、救が異邦人に及び、それによってイスラエルを奮起させるためである。

12しかし、もし、彼らの罪過が世の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となったとすれば、まして彼らが全部救われたなら、どんなにかすばらしいことであろう。

13そこでわたしは、あなたがた異邦人に言う。わたし自身は異邦人の使徒なのであるから、わたしの務を光栄とし、

14どうにかしてわたしの骨肉を奮起させ、彼らの幾人かを救おうと願っている。

15もし彼らの捨てられたことが世の和解となったとすれば、彼らの受けいれられることは、死人の中から生き返ることではないか。

16もし、麦粉の初穂がきよければ、そのかたまりもきよい。もし根がきよければ、その枝もきよい。

17しかし、もしある枝が切り去られて、野生のオリブであるあなたがそれにつがれ、オリブの根の豊かな養分にあずかっているとすれば、

18あなたはその枝に対して誇ってはならない。たとえ誇るとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのである。

19すると、あなたは、「枝が切り去られたのは、わたしがつがれるためであった」と言うであろう。

20まさに、そのとおりである。彼らは不信仰のゆえに切り去られ、あなたは信仰のゆえに立っているのである。高ぶった思いをいだかないで、むしろ恐れなさい。

21もし神が元木の枝を惜しまなかったとすれば、あなたを惜しむようなことはないであろう。

22神の慈愛と峻厳とを見よ。神の峻厳は倒れた者たちに向けられ、神の慈愛は、もしあなたがその慈愛にとどまっているなら、あなたに向けられる。そうでないと、あなたも切り取られるであろう。

23しかし彼らも、不信仰を続けなければ、つがれるであろう。神には彼らを再びつぐ力がある。

24なぜなら、もしあなたが自然のままの野生のオリブから切り取られ、自然の性質に反して良いオリブにつがれたとすれば、まして、これら自然のままの良い枝は、もっとたやすく、元のオリブにつがれないであろうか。

25兄弟たちよ。あなたがたが知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、

26こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、「救う者がシオンからきて、ヤコブから不信心を追い払うであろう。

27そして、これが、彼らの罪を除き去る時に、彼らに対して立てるわたしの契約である」。

28福音について言えば、彼らは、あなたがたのゆえに、神の敵とされているが、選びについて言えば、父祖たちのゆえに、神に愛せられる者である。

29神の賜物と召しとは、変えられることがない。

30あなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は彼らの不従順によってあわれみを受けたように、

31彼らも今は不従順になっているが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、彼ら自身も今あわれみを受けるためなのである。

32すなわち、神はすべての人をあわれむために、すべての人を不従順のなかに閉じ込めたのである。

33ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。

34「だれが、主の心を知っていたか。だれが、主の計画にあずかったか。

35また、だれが、まず主に与えて、その報いを受けるであろうか」。

36万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのである。栄光がとこしえに神にあるように、アァメン。

鍵となる聖句

6節
しかし、恵みによるのであれば、もはや行いによるのではない。そうでないと、恵みはもはや恵みでなくなるからである。

パウロは単純な原則を示します。恵みと行いは両立しません。救いが働きによって得られるものなら、それはもはや賜物ではなくなります。

20-22節
まさに、そのとおりである。彼らは不信仰のゆえに切り去られ、あなたは信仰のゆえに立っているのである。高ぶった思いをいだかないで、むしろ恐れなさい。 もし神が元木の枝を惜しまなかったとすれば、あなたを惜しむようなことはないであろう。 神の慈愛と峻厳とを見よ。神の峻厳は倒れた者たちに向けられ、神の慈愛は、もしあなたがその慈愛にとどまっているなら、あなたに向けられる。そうでないと、あなたも切り取られるであろう。

異邦人が立っているのは功績によるのではなく、信仰によります。パウロは、神の慈愛と厳しさをよく考え、切り取られた枝に対して誇ってはならないと勧めます。

26節
こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、「救う者がシオンからきて、ヤコブから不信心を追い払うであろう。

パウロは、イスラエルは全部救われると告げます。この表現の意味については議論があります。将来のユダヤ人の大規模な立ち返りと見る人もいれば、ユダヤ人と異邦人から出たすべての信者と見る人もいます。

29節
神の賜物と召しとは、変えられることがない。

神の賜物と召命は取り消されることがありません。神は、ご自分の約束を撤回されません。これは、イスラエルに対する神の真実さの保証です。

33-36節
ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。 「だれが、主の心を知っていたか。だれが、主の計画にあずかったか。 また、だれが、まず主に与えて、その報いを受けるであろうか」。 万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのである。栄光がとこしえに神にあるように、アァメン。

神の富の深さを前に、パウロは議論をやめて礼拝します。すべてのものは神から出て、神によって成り、神に至ります。

説教が語っていること

ローマ人への手紙11章についてよくある質問

ローマ人への手紙11章はイスラエルについて何を意味していますか

パウロは、神がご自分の民を退けられなかったと断言します。イスラエルの一部はかたくなになりましたが、残りの者は恵みによって救われており、パウロは、そのかたくなさが決定的なものではないと告げます。異邦人の信者は、イスラエルのオリーブの木に接ぎ木されたのであって、それに取って代わったのではありません。この立ち返りがどのように実現するかについては教会の中で議論がありますが、神の真実さは本文にはっきりと示されています。

ローマ人への手紙11章のオリーブの木は何を意味していますか

オリーブの木は神の民を表しています。イスラエルから出た自然の枝のいくつかは、不信仰のために切り取られました。野生のオリーブである異邦人の信者が、その場所に接ぎ木され、根から養分を受けています。パウロはここから教訓を引き出します。高ぶってはなりません。枝を支えているのは根であり、その逆ではないからです。

ローマ人への手紙11章26節のイスラエルは全部救われるとはどういう意味ですか

解釈は分かれています。終わりの時の前に、ユダヤ人が大規模にキリストに立ち返ると読む人もいます。イスラエルを、ユダヤ人と異邦人を合わせた神の民全体として理解する人もいます。いずれの立場も、パウロがここで、すべての人を不従順の中に閉じ込め、すべての人にあわれみを施される神の憐れみを宣言していると認めています。

ローマ人への手紙 11を引用している記事

← すべての章

口語訳(1955年)— パブリックドメイン。