聖書 — 口語訳 (1955)

ローマ人への手紙 10

概要

ローマ人への手紙10章で、パウロは同胞が救われることを切に願います。イスラエルは神に対して熱心でしたが、神の義に従わず、自分の義を立てようとしていました。キリストは、信じる者すべてに義を得させるために、律法の終わりとなられました。救いはすべての人に差し出されており、主の名を呼び求める者はだれでも救われます。パウロは、信仰に至る連なりを示します。宣べ伝える、聞く、信じる、呼び求める。章は、従わない民を見る悲しみで結ばれます。

この章の4つの区分

  1. 1-4節知識を伴わない熱心:義を得させるために律法の終わりとなられたキリスト
  2. 5-13節信仰による義:心で信じ、口で告白する
  3. 14-17節宣べ伝え、聞き、信じる:福音の連なり
  4. 18-21節すべての人が聞いたのに、すべての人が従ったわけではない

1兄弟たちよ。わたしの心の願い、彼らのために神にささげる祈は、彼らが救われることである。

2わたしは、彼らが神に対して熱心であることはあかしするが、その熱心は深い知識によるものではない。

3なぜなら、彼らは神の義を知らないで、自分の義を立てようと努め、神の義に従わなかったからである。

4キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのである。

5モーセは、律法による義を行う人は、その義によって生きる、と書いている。

6しかし、信仰による義は、こう言っている、「あなたは心のうちで、だれが天に上るであろうかと言うな」。それは、キリストを引き降ろすことである。

7また、「だれが底知れぬ所に下るであろうかと言うな」。それは、キリストを死人の中から引き上げることである。

8では、なんと言っているか。「言葉はあなたの近くにある。あなたの口にあり、心にある」。この言葉とは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉である。

9すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。

10なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。

11聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。

12ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。

13なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。

14しかし、信じたことのない者を、どうして呼び求めることがあろうか。聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか。

15つかわされなくては、どうして宣べ伝えることがあろうか。「ああ、麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は」と書いてあるとおりである。

16しかし、すべての人が福音に聞き従ったのではない。イザヤは、「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか」と言っている。

17したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。

18しかしわたしは言う、彼らには聞えなかったのであろうか。否、むしろ「その声は全地にひびきわたり、その言葉は世界のはてにまで及んだ」。

19なお、わたしは言う、イスラエルは知らなかったのであろうか。まずモーセは言っている、「わたしはあなたがたに、国民でない者に対してねたみを起させ、無知な国民に対して、怒りをいだかせるであろう」。

20イザヤも大胆に言っている、「わたしは、わたしを求めない者たちに見いだされ、わたしを尋ねない者に、自分を現した」。

21そして、イスラエルについては、「わたしは服従せずに反抗する民に、終日わたしの手をさし伸べていた」と言っている。

鍵となる聖句

4節
キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのである。

キリストは、信じる者すべてに義を得させるために、律法の終わりとなられました。パウロは律法が悪いと言っているのではなく、律法を行うことによって義とされる人はなく、義はキリストを信じる信仰によると述べています。

9-10節
すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。

救いについての中心的な箇所です。神がイエスを死者の中からよみがえらせたことを心で信じ、イエスを主と口で告白すること。パウロは、内面の確信と言葉を結びつけており、それを切り離された二つの段階とはしていません。

13節
なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。

約束は、だれであっても、主の名を呼び求める人に向けられています。救いは、どの民族にも、どの分類の人にも限られていません。

14-15節
しかし、信じたことのない者を、どうして呼び求めることがあろうか。聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか。 つかわされなくては、どうして宣べ伝えることがあろうか。「ああ、麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は」と書いてあるとおりである。

一連の問いは、福音がひとりでに伝わるのではないことを思い起こさせます。他の人が聞いて信じるためには、遣わされる使者が必要なのです。

17節
したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。

信仰は聞くことから始まり、聞くことはキリストの言葉によります。信仰は、内面の努力からではなく、御言葉を聞くことから生まれます。

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説教が語っていること

ローマ人への手紙10章についてよくある質問

ローマ人への手紙10章9節は何を意味しますか

この節は、イエスを主と口で告白し、神がイエスをよみがえらせたと心で信じる人は救われると語っています。心の確信と、公の告白が結びついています。救いは、行いの結果ではなく、信仰によって受ける賜物として示されています。

信仰は聞くことによる、とはどういう意味ですか

17節で、パウロは信仰がキリストの言葉を聞くことから生まれると述べます。信仰は自分で作り出すものではなく、宣べ伝えられた福音を聞くことで受けるものです。だからこそパウロは、福音を宣べ伝えるために遣わされる使者の必要を強調しています。

ローマ10章4節の、キリストは律法の終わりとは、どういう意味ですか

終わりという言葉は、律法の到達点とも、律法の完成とも理解できます。どちらにしても、パウロは、律法が目指していたものをキリストが成就されたこと、そして神の前の義は、律法を守ろうと努力することではなく、キリストを信じることによって得られることを述べています。注解者によって強調する点は異なりますが、この点では一致しています。

ローマ人への手紙10章は、すべての人が救われうると語っていますか

パウロは、ユダヤ人とギリシヤ人の差別はない、同じ主がすべての人の主であって、呼び求めるすべての人を豊かに恵まれると書いています。ですから救いの提供は普遍的です。この提供が神の選びとどう関わるかについては、パウロが9章と11章で扱っており、キリスト教の伝統によって理解が分かれます。

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