サムエル記下5章:神が与えるものを握り続けるために、手を鍛えよ

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はじめに

「私たちは受け取ることに問題があるのではありません。受け取ったものを守り続けることに問題があるのです。」Elevation Churchのキャンパス牧師Chet Peteは、この気づきから出発して、サムエル記下5:17-25を語ります。Steven Furtick牧師は、教会に向けて、真理のために心を鍛えるよう呼びかけていました。このメッセージはその続きです。握り続けるために、あなたの手を鍛えなさい。

出発点はヨハネ10:10です。「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけである。わたしが来たのは、羊が命を得るため、しかも豊かに得るためである。」イエスは豊かな命を与えてくださいますが、敵はそれを盗みに来ます。ですから問題は、神があなたに何を与えてくださったかだけではなく、それを守り続けられるかどうかです。

牧師は詩篇144篇にも立ち返ります。「わが岩なる主はほむべきかな。主はわたしの手に戦うことを教え、わたしの指に戦いを教えられる。」そして、妻と双子の息子たちとの最近の家族写真の話をします。カメラマンに「まだ息子さんたちを抱っこできますか」と聞かれ、彼は一人を背負いました。彼はまだ息子たちを担うことができるのです。担い、握る手というこのイメージが、メッセージ全体を貫いています。

メッセージの流れ

1. 衝撃のあとも、ボールを持ち続ける

  • 中学1年のとき、Chet Peteはアメリカンフットボールでレシーバーをしていました。練習試合中、斜めに走り込んで、完璧なパスを受け取ります。
  • その瞬間、チームで一番体の大きな選手が彼に激突します。足の骨が2本折れました。それでも抱え起こされたとき、彼はまだボールを持っていました。
  • ボールをキャッチすると、あなたはグラウンドで最も狙われる人になります。同じように、あなたが油を注がれ、召され、救われているなら、地獄は面白くありません。
  • 本当の問いは、打撃と痛みのあとにやって来ます。あなたは、神が与えてくださったものを、なお握り続けるでしょうか。
  • 牧師はこれを具体的な生活に当てはめます。新婚の人には、神があなたを御許に呼ばれるまで、配偶者の手を握り続けなさい。彼自身、19歳のときから妻の手を握る訓練をしてきました。昇進や賞与を受けた人には、その一部を取っておき、後のために残しなさい。「あなたの手は、握り続けるように鍛えられていますか。」

2. 油注ぎのあとに攻撃が来る

  • ダビデは3度、油を注がれました。最初は、野で羊を飼っているときに、エッサイの家でサムエルによって(サムエル記上16章)。次に、サウルの家がまだイスラエルの残りを治めている中で、ユダの家の王として(サムエル記下2:4-10)。最後に、イスラエル全体の王として(サムエル記下5:3)。
  • 牧師は、自分が油を注がれていることを忘れてしまった人に語ります。人があなたを選ばなかったとしても、神があなたを選ばれました。サウルのように、誰かがあなたの席に座っていても、あなたは油を注がれた者です。
  • 油注ぎのたびに攻撃が続きました。最初のあとにはゴリアテ、2度目のあとにはサウルの家が仕掛けた戦い(サムエル記下3:1)、3度目のあとにはペリシテ人です。
  • 17節で、ペリシテ人はダビデがイスラエルの王として油を注がれたと聞くとすぐに、「皆ダビデを捜しに上ってきた」とあります。攻撃は、神があなたを見捨てたしるしではありません。むしろ、あなたが尊いものを携えているしるしであることが多いのです。

3. 上る前に、要害へ下る

  • 「ダビデはこれを聞いて、要害に下って行った」(17節)。牧師によれば、それはダビデが命を狙われて逃げたときに身を寄せたアドラムの洞穴と考えられています。そこで彼は主を求め、部下の長たちとともに戦略を整えました。
  • 祈りで組み合わせた手は、謙遜の姿勢です。それは語ります。「私の手は、自分だけでは十分に強くありません。」「要害では、隠れるのではありません。耳を傾けるのです。」
  • 要害で、あなたは力を受けます。ペリシテ人に背を向けて、救ってくださる方に向き直ります。あなたを攻撃する者たちではなく、あなたを支えてくださる方を見つめます。神があなたのために戦ってくださいます。神は天の軍勢の将です。
  • 昨年、牧師と妻は家を建てており、まず古い家を売らなければなりませんでした。一向に申し込みは来ず、彼は二重のローンでどれだけ持ちこたえられるかを計算していました。ある日、不動産の担当者が彼に言いました。「今日、あなたの家を買う必要のある方のために祈りました。」彼は戒められた気持ちになりました。「牧師は私なのに。」
  • 自分のキャンパスでの祈りの夕べで、特別なプログラムもないまま、彼は自分が十分に強く賢いと思っていたことを悔い改め、「イエスさま、ありがとうございます」と言い始めました。その集会の最中に、担当者からメッセージが届きます。「申し込みが入ったと思います。」契約書は翌日届きました。
  • 彼にとって、奇跡は契約ではありませんでした。奇跡は、神が彼を慰めてくださったことです。イエスがおられるので、家はもう重要ではなくなっていました。「上る前に、下りなさい。」

4. 祈る手、戦う手

  • 19節で、ダビデは主に伺います。「わたしはペリシテびとに向かって上るべきでしょうか。彼らをわたしの手に渡されるでしょうか。」主は答えられます。「上りなさい。わたしは必ずペリシテびとをあなたの手に渡す。」
  • バアル・ペラジムで、ダビデは宣言します。「主は水が破れ出るように、わたしの前で敵を破られた」(20節)。ペリシテ人は偶像を残して逃げ、ダビデとその部下はそれを運び去ります(21節)。
  • ペリシテ人は槍を1本も投げませんでした。先に打ったのはダビデです。「敵があなたを打つ前に、敵を打ちなさい。」
  • 祈る手は知っていても、戦う手は知らない人がいます。ダビデは戦士でした。彼は、神が戦いを祝福してくださるように、要害へ行ったのです。多くの人が、神が祝福しておられない戦いを戦っています。
  • 人がひとりでいるのはよくありません(創世記2:18)。キャンパス牧師たちは、ホームグループと奉仕チームに加わるよう招きます。「それは私たちがあなたに求めているものではなく、あなたのために私たちが望んでいるものです。」礼拝に出て、そのあとひとりで車に乗って帰るなら、敵はやがてあなたを疲れ果てさせます。
  • 傘を買うのに最悪なのはいつでしょうか。万一に備えた貯金を始めるのに最悪なのは。なぜ、打たれるまで待ってから、神の臨在、戦い、礼拝を学び、戦いの前にひざまずくのでしょうか。牧師は十分の一と管理について語ります。「予算は、攻めの道具です。」

5. 「私のためにもしてくださいますか」

  • ダビデは「彼らを渡すことができますか」とは尋ねず、「彼らを渡してくださいますか」と尋ねます。経済的な危機、医師の診断、行き詰まった結婚に直面したとき、私たちが発する問いです。
  • 「あなたが他の人にそうしてくださるのを見ました。私のためにもしてくださいますか。私は、物事を台なしにしすぎたでしょうか。」
  • 牧師は一つの流れを描きます。抵抗が増すと依存が増し、依存が増すと従順が増し、従順が増すと解放が増します。
  • いつもなら、私たちは皆に電話をします。おば、いとこ、友人たち。まず下りなさい。要害にとどまるほど、神の御声と御心を学べます。神が行きなさいと言われれば、行きます。仕えなさいと言われれば、仕えます。与えなさいと言われれば、与えます。
  • どうすればよいか分からないなら、要害にとどまり、祈る共同体と敬虔な助言に囲まれなさい。「あなたの突破口は、あなたの『はい』の向こう側にあるのかもしれません。神があなたを待っておられるのに、あなたが神を待っているとしたらどうでしょう。」

6. バルサムの木の上の足音

  • 「ペリシテびとはまた上ってきて」(22節)。打たれたときに驚くのをやめなさい。あなたは背中に的を負っているのです。
  • 「ダビデは主に伺った」(23節)、2度目です。過去の勝利に、今の知恵、親しい交わり、礼拝を奪わせてはいけません。
  • 今回、神は戦略を変えられます。「上って行ってはならない。彼らのうしろに回って、バルサムの木の前から彼らに向かって攻めよ。バルサムの木の上に行進の音が聞えたなら、あなたは攻めなければならない。その時、主があなたに先立って出て、ペリシテびとの軍勢を撃たれるからである」(23-24節)。
  • 梢の上のこの足音は、先に進む天の軍勢です。神は御座に着いておられますが、その御手は働いています。励まし、強め、戦うために必要なものを遣わされるのです。
  • 「もし私が、神が与えてくださったものを握り続けるなら、それは私の手によるのではなく、全能の神の鍛えられた手によるのです。」あなたを抱きしめ、あなたのために戦い、あなたを担い、あなたを築き上げるために鍛えられた手です。息子たちをまだ担うことのできる父のように。

7. どこでも要害にする

  • 十字架に上る前に、イエスご自身も園に下って、父に祈られました。
  • 牧師は救いを受け入れるよう招きます。もしあなたの口でイエスは主であると告白し、自分の心で神が死人の中から彼をよみがえらせたことを信じるなら、あなたは救われます(ローマ10:9)。
  • そのあと牧師は、思い、経済、子ども、依存のことで攻撃されている人たちのために祈ります。座って、手を組み、毎朝の車の中も、シャワーの時間も、どんなときも、要害にしなさい。

心に留めたいこと

  • 神から受け取るだけでは足りません。打撃と痛みのあとでも、神が与えてくださったものを守り続けることを学ばなければなりません。
  • 攻撃は、油注ぎのあとによく来ます。それはあなたの召しを取り消すものではなく、あなたが尊いものを携えていることを表しています。
  • 戦いに上る前に、要害へ下りなさい。謙遜と祈りが勝利に先立ちます。
  • 過去の勝利を、今日神に伺うことの代わりにしてはいけません。神は戦略を変えられることがあります。
  • あなたが握っているものは、あなたの前を進まれる全能の神の、鍛えられた手によって握っているのです。

自分への問いかけ

  1. 神があなたに託されたもので、今守り続けるのに苦労しているものは何ですか。結婚、召し、信仰、経済でしょうか。
  2. 攻撃が来たとき、あなたはまず皆に電話をしますか。それとも、まず要害に下って神に伺いますか。
  3. いつ、どこで、あなたの日常を要害にできるでしょうか。朝の車の中、静かなひととき、祈りの時間でしょうか。
  4. 嵐の前に、どんな「傘」を備えるべきでしょうか。共同体、奉仕チーム、予算、祈りの習慣でしょうか。
  5. 神があなたから待っておられる「はい」はありますか。その向こう側に、あなたの突破口があるのかもしれません。

引用した聖書箇所

よくある質問

「握り続けるために手を鍛える」とはどういう意味ですか。

Chet Peteにとって、問題は神が与えてくださるものを受け取ることではなく、それを守り続けることです。握り続けるために手を鍛えるとは、攻撃や痛みが来たときにも、召し、結婚、信仰、持てるものを手放さないことを学ぶことです。詩篇144篇は、私たちの手に戦うことを教えてくださる主について語っています。

サムエル記下5章で、ダビデはなぜ要害に下るのですか。

ペリシテ人が彼を捜しに上ってきたとき、ダビデは要害に下ります(17節)。彼は隠れているのではなく、耳を傾けているのです。そこで彼は、戦う前に主に伺います(19節)。Chet Peteはここから一つの原則を引き出します。戦いに上る前に、謙遜と祈りのうちに下りなさい。

バルサムの木の上の足音は何を意味しますか。

24節で、主はダビデに、この足音は主ご自身が先に進んでペリシテ人の軍勢を撃たれるしるしだと告げられます。Chet Peteはそこに、神が遣わされた天の軍勢を見ます。あなたが守り続けているものは、あなたの手だけで守っているのではなく、神の御手によって守られているのです。

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