聖書 — 口語訳 (1955)

詩篇 124

概要

詩篇124篇はダビデの都上りの歌で、巡礼者たちがエルサレムへ上るときに歌った歌です。ひとつの仮定から始まります。もし主がおられなかったなら、人々がイスラエルに逆らって立ち上がったとき、民は洪水に押し流されるように飲み込まれていたでしょう。詩人は、民を敵の歯のえじきにされなかった神をたたえ、救いを、わなから逃れた鳥にたとえ、民の助けは天地を造られた主のみ名にある、と結びます。

この章の3つの区分

  1. 1-5節もし主がおられなかったなら、わたしたちは飲み込まれていた
  2. 6-7節主はほむべきかな:わなは破られた
  3. 8節わたしたちの助けは主のみ名にある

1今、イスラエルは言え、主がもしわれらの方におられなかったならば、

2人々がわれらに逆らって立ちあがったとき、主がもしわれらの方におられなかったならば、

3彼らの怒りがわれらにむかって燃えたったとき、彼らはわれらを生きているままで、のんだであろう。

4また大水はわれらを押し流し、激流はわれらの上を越え、

5さか巻く水はわれらの上を越えたであろう。

6主はほむべきかな。主はわれらをえじきとして 彼らの歯にわたされなかった。

7われらは野鳥を捕えるわなをのがれる 鳥のようにのがれた。わなは破れてわれらはのがれた。

8われらの助けは天地を造られた主のみ名にある。

鍵となる聖句

1-2節
今、イスラエルは言え、主がもしわれらの方におられなかったならば、 人々がわれらに逆らって立ちあがったとき、主がもしわれらの方におられなかったならば、

詩は、危険の大きさを測らせる仮定から始まります。主がおられなければ、すべては失われていたでしょう。詩人は、イスラエルの全員がそれを声に出して言うよう招きます。

4-5節
また大水はわれらを押し流し、激流はわれらの上を越え、 さか巻く水はわれらの上を越えたであろう。

水、急流、大水は、民よりも強い危険を表します。詩人は圧倒される思いを描き、それによって神の助けがどれほどのものかを際立たせます。

6節
主はほむべきかな。主はわれらをえじきとして 彼らの歯にわたされなかった。

危険への答えは賛美です。詩人は、神が敵に民を食い尽くさせなかったことのゆえに、神をほめたたえます。

7節
われらは野鳥を捕えるわなをのがれる 鳥のようにのがれた。わなは破れてわれらはのがれた。

わなから逃れた鳥の像は、救いが外から来ることを示します。わなは破られたのであって、鳥が自力で自由になったのではありません。

8節
われらの助けは天地を造られた主のみ名にある。

この節は詩全体を要約します。助けは、天と地を造られた主のみ名にあります。すべてを造られた方は、わたしたちに手に余ることにも圧倒されることがありません。

説教が語っていること

詩篇124篇についてよくある質問

詩篇124篇はどういう意味ですか

救いのあとの感謝の歌です。詩人は、もし主が民の側におられなかったなら何が起きていたかを思い描きます。民は飲み込まれていたでしょう。そうならなかったので、詩人は神をたたえ、その助けが天地を造られた主のみ名から来ると宣言します。

詩篇124篇は誰が書き、なぜ都上りの歌なのですか

表題はダビデの作としています。詩篇120篇から134篇までの十五の都上りの歌のひとつで、巡礼者が大きな祭りのためにエルサレムへ上るときに歌ったと考えられます。詩人が念頭に置く具体的な救いが何かは、本文には書かれていません。

詩篇124篇でどのように祈ればよいですか

飲み込まれていたかもしれないのに、神に守られた状況を思い起こしてください。1節から5節を読み、自分の力ではそこを通れなかったことを認め、6節を感謝の祈りとして言います。8節で、今日あなたの手に余ることを神にゆだねて結びます。

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