聖書 — 口語訳 (1955)
詩篇 21
概要
詩篇21篇は、詩篇20篇に答えるダビデの賛歌です。民が戦いの前に祈っていたのに対し、ここでは勝利を祝います。王は神の力を喜びます。神は彼の心の願いを与え、冠をかぶらせ、喜びで満たしてくださいました。後半では神の敵の敗北が告げられ、詩は主の力を歌うようにという呼びかけで終わります。クリスチャンの多くは、ここに王であるキリストを見ています。
表題によると、詩篇21篇はダビデの詩で、指揮者にゆだねられています。つまり、礼拝で歌うための詩です。これは王の詩篇で、民が自分たちの王のために神に感謝しています。勝利のあと、あるいは祈りが聞かれたあとの歌で、戦いの前に王のために祈った詩篇20篇に答える詩です。表題は、どの勝利なのかを述べていません。ヘブライ語の本文にある『セラ』は、おそらく音楽の指示です。ヘブライ語聖書や、それに従う多くの聖書(フランス語訳など)では、表題が1つの節に数えられ、番号が1つずれます。心の願いがかなえられたという2節は、そこでは3節になります。口語訳ではこのページと同じ番号です。古代のユダヤ人読者の中には、すでにこの王に約束のメシアを見る人々がいました。クリスチャンは、栄光の冠をいただいた王イエスを見ます。今日、祈りが聞かれたことを感謝するとき、また国や社会を治める人々のためにとりなすときに祈られ、キリストの昇天を祝う日にこの詩篇を読む教会もあります。
この章の3つの区分
1主よ、王はあなたの力によって喜び、あなたの助けによって、いかに大きな喜びをもつことでしょう。
2あなたは彼の心の願いをゆるし、そのくちびるの求めをいなまれなかった。
3あなたは大いなる恵みをもって彼を迎え、そのかしらに純金の冠をいただかせられる。
4彼がいのちを求めると、あなたはそれを彼にさずけ、世々限りなくそのよわいを長くされた。
5あなたの助けによって彼の栄光は大きい。あなたは誉と威厳とを彼に与えられる。
6まことに、あなたは彼をとこしえに恵まれた者とし、み前に喜びをもって楽しませられる。
7王は主に信頼するゆえ、いと高き者のいつくしみをこうむって、動かされることはない。
8あなたの手はもろもろの敵を尋ね出し、あなたの右の手はあなたを憎む者を 尋ね出すであろう。
9あなたが怒る時、彼らを燃える炉のようにするであろう。主はみ怒りによって彼らをのみつくされる。火は彼らを食いつくすであろう。
10あなたは彼らのすえを地から断ち、彼らの種を人の子らの中から滅ぼすであろう。
11たとい彼らがあなたにむかって悪い事を企て、悪いはかりごとを思いめぐらしても、なし遂げることはできない。
12あなたは彼らを逃げ走らせ、あなたの弓弦を張って、彼らの顔をねらうであろう。
13主よ、力をあらわして、みずからを高くしてください。われらはあなたの大能をうたい、かつほめたたえるでしょう。
詩篇21篇を節ごとに読む
1-2節王の喜び:神が祈りに答えられた
詩は喜びで始まります。「主よ、王はあなたの力によって喜び」。王が祝うのは軍隊でも自分の腕前でもなく、神の力と助けです。詩篇20篇で戦いの前に王のために祈っていた民は、いま答えを見ています。「あなたは彼の心の願いをゆるし、そのくちびるの求めをいなまれなかった」。これは、神がどんな願いでもかなえるという約束ではありません。ここでの願いは、主に信頼し(7節)、民のために戦う王の願いです。詩篇37篇も、願いがかなえられることを、主を喜びとする生き方に結びつけています。神があなたの祈りの一つに答えてくださったなら、ヘブライ語の本文にあるセラのように立ち止まり、次の願いに移る前に感謝しましょう。
3-4節祝福が先に来た:冠といのちが与えられた
「あなたは大いなる恵みをもって彼を迎え」。『迎え』と訳された語は、先に出て迎えるという意味です。神の祝福は王の願いに先立ち、恵みのほうが先に来ました。純金の冠も同じことを語ります。王は自分で冠をかぶったのではなく、神から王位を受けたのです。4節で王はいのちを求めました。おそらく危機のときです。神はそれ以上に、「世々限りなくそのよわいを長くされた」。人間の王への祝いの言葉に近い表現ですが、ダビデに約束された永遠の王国(サムエル記下7章16節)も思わせ、クリスチャンは永遠に生きておられる復活のイエスに完全に成就したと見ます。あなたにも恵みは先に来ました。あなたが神を探す前に、神があなたを愛してくださいました(ヨハネの第一の手紙4章19節)。
5-6節受けた栄光と、み前での喜び
「あなたの助けによって彼の栄光は大きい」。王の偉大さ、輝き、威厳は、すべて神から来ます。詩はそれを忘れないように繰り返します。6節の「とこしえに恵まれた者」は、ヘブライ語では王を祝福そのものとする言葉です。祝福された王は、ほかの人の祝福となります。神がアブラハムに約束されたとおりです(創世記12章2節)。それから、最も深い喜びが来ます。「み前に喜びをもって楽しませられる」。王の幸いの頂点は、冠でも勝利でもなく、神のご臨在です。これは私たちの成功に正しい尺度を与えます。あなたが受けたものは、自分の栄光のためではなく、あなたを通してほかの人が祝福されるために与えられました。あなたの最大の喜びは、神のみ前にいることであり続けます。
7節詩篇の中心:王は主に信頼する
7節は詩の中心にあり、その鍵を与えます。「王は主に信頼するゆえ、いと高き者のいつくしみをこうむって、動かされることはない」。これまでのすべて、勝利、冠、いのち、栄光は、この信頼から流れ出ています。王は王だから強いのではなく、神にもたれているから立っていられます。『いつくしみ』は、約束を守る神の変わらない愛を表す語です。『動かされる』とは、バランスを失い、揺さぶられることです。王は攻撃されても倒されません。安定が、自分ではなく神に根ざしているからです。この節は、家庭、教会、会社、国で責任を負うすべての人に語ります。あなたの堅固さは地位から来るのではなく、神への信頼から来ます。
8-10節神を憎む者に向かう、神の手
調子が変わります。「あなたの手はもろもろの敵を尋ね出し」。ここは民が王に、あるいは神ご自身に語っていると取れます。どちらでも行動するのは神です。9節が示すとおり、「主はみ怒りによって彼らをのみつくされる」からです。描かれる絵は厳しく、燃える炉、食いつくす火、地から断たれる子孫です。古代世界の戦いの言葉であり、和らげて読むべきではありません。敵とは、神が選ばれた王に逆らう者、つまり神ご自身に逆らう者です。クリスチャンの読み方はさまざまで、イスラエルの王の歴史的勝利を見る人も、キリストが再び来られるときの最終のさばきの予告を見る人もいます。しかしイエスの弟子にとって、これは復讐の許可ではありません。復讐は神のものです(ローマ人への手紙12章19節)。
11-12節悪いはかりごとは最後の言葉にならない
11節は、敵のたくらみを描き、その結末を告げます。「たとい彼らがあなたにむかって悪い事を企て、悪いはかりごとを思いめぐらしても、なし遂げることはできない」。彼らは企て、たくらみ、計算します。しかし計画は巧みでも、神に逆らっては実を結びません。12節は戦いの絵を重ねます。敵は逃げ走り、神の弓が顔をねらいます。この箇所は、策略や中傷、敵意のある計画に脅かされている人に語ります。不正に遭わないという約束ではなく、悪が最後の言葉を持たないという確かさです。ヨセフは兄たちに、神が彼らの悪を善に変えられたと語りました(創世記50章20節)。十字架でも、イエスに対する陰謀は救いの道となりました。
13節主よ、力をあらわしてください:勝利が賛美になる
詩は始まったときと同じく、神の力で終わります。1節で王は神の力を喜び、13節では民全体が叫びます。「主よ、力をあらわして、みずからを高くしてください」。1節の「力」と13節の「力」は、ヘブライ語では同じ語です。その間にあるすべては神のみわざです。最後の言葉は王ではなく神にあります。「われらはあなたの大能をうたい、かつほめたたえるでしょう」。一人の勝利が、みなの賛美になります。あなたもそうしてください。神があなたの人生や教会で働かれたなら、感謝を自分だけの胸にしまわず、ほかの人々と歌いましょう。クリスチャンにとって、この歌は終わりの日の歌も告げています。被造物のすべてがキリストの勝利をたたえるときです(ヨハネの黙示録5章13節)。
詩篇21篇の祈り方
この詩篇を祈るとき
- ずっと祈ってきたことに、神が答えてくださったとき。
- いやし、成功、試練の乗り越えのあとで、自分の手柄にせず神に感謝するために。
- 責任を任され、地位ではなく神にもたれたいと願うとき。
- 国や町、教会を治める人々のために祈るとき。
- 策略や中傷、敵意のある計画にねらわれていると感じるとき。
- 教会の仲間と、神がなさったことをともに祝うために。
詩篇21篇に基づく祈り
主よ、あなたの力を喜びます。語るべきは私の功績ではなく、あなたがなさったことです。あなたは私の願いを聞き、私のくちびるの求めを退けられませんでした。答えを受けたあと、感謝を忘れていたことをお赦しください。私が求めるより先に、あなたの恵みが私を迎えてくださいました。私が持つ良いものはすべてあなたから来ます。あなたがなさったことを、自分の栄光にしないよう守ってください。国を治める人々、責任を担う人々もあなたにゆだねます。権力ではなく、あなたに信頼する者となれますように。あなたのいつくしみによって、私が動かされないようにしてください。私や愛する人々に敵意のある計画が向けられても、復讐はしません。私の訴えをあなたの手にゆだねます。悪は最後の言葉を持たないからです。栄光の冠をいただき、永遠に生きておられる王、イエスを与えてくださったことを感謝します。み前で、私を喜びで満たしてください。主よ、力をあらわしてください。あなたを愛するすべての人とともに、あなたの大能をうたい、ほめたたえます。アーメン。
鍵となる聖句
詩篇21篇についてよくある質問
詩篇21篇はどんな意味ですか
詩篇21篇は、王のための感謝の歌です。ダビデ、あるいは民とともに、祈りに答え、守り、冠を与え、祝福してくださった神に感謝します。後半は、神に逆らう者たちの敗北について語ります。最後は、主の力を祝うようにという呼びかけで終わります。
詩篇20篇と21篇にはどんな関係がありますか
二つの詩篇はどちらも王のための祈りで、互いに呼応しています。詩篇20篇は戦いの前の祈りで、詩篇21篇は勝利のあとの感謝の歌です。心の願い、救い、神の御名、祝福といった言葉が共通しています。続けて読み、一方では願い、もう一方では感謝することもできます。
詩篇21篇はどのように祈ればよいですか
感謝の詩篇として用いましょう。神が答えてくださった祈りを思い出し、2節から7節の言葉で神に感謝します。次に、まだ待っていることを神にゆだね、安定は神から来るという7節を思い起こします。13節で、主の力を歌って終えることもできます。
詩篇 21を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。