聖書 — 口語訳 (1955)
詩篇 20
概要
詩篇20篇は、戦いの前夜に民が王のために歌う、ダビデの祈りです。苦難の日に主が答え、聖所から助けを送り、王の計画を成し遂げてくださるようにと願います。詩は信頼の宣言で頂点に達します。ある者は戦車を、ある者は馬を誇るが、私たちは私たちの神、主の御名を呼び求める、というものです。最後は、神が王を救ってくださるようにという祈りで終わります。
表題は、この詩篇をダビデの作とし、礼拝の歌を受け持つ指揮者にゆだねています。王の詩篇で、民が苦難の日の王のために祈ります。おそらく戦いの前夜、聖所で供え物がささげられているときのことです。表題は状況を何も記さず、本文もどの戦いなのかを述べていません。複数の声で歌われたようで、会衆が王を祝福したあと、ひとりの声が、神は油注がれた者を救われると告げます。この詩篇は、与えられた勝利を感謝する詩篇21篇と対をなしています。クリスチャンは、ここに油注がれた者の最たる方、メシアのための祈りも読み取ります。今日の信仰者は、試練の中にある身近な人や責任者のためにとりなすため、そして自分の信頼が自分の力にはないことをあらためて告白するために、この詩篇を祈ります。
この章の3つの区分
1主が悩みの日にあなたに答え、ヤコブの神のみ名があなたを守られるように。
2主が聖所から助けをあなたにおくり、シオンからあなたをささえ、
3あなたのもろもろの供え物をみ心にとめ、あなたの燔祭をうけられるように。
4主があなたの心の願いをゆるし、あなたのはかりごとを ことごとく遂げさせられるように。
5われらがあなたの勝利を喜びうたい、われらの神のみ名によって旗を揚げるように。主があなたの求めをすべて遂げさせられるように。
6今わたしは知る、主はその油そそがれた者を助けられることを。主はその右の手による大いなる勝利をもって その聖なる天から彼に答えられるであろう。
7ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。しかしわれらは、われらの神、主のみ名を誇る。
8彼らはかがみ、また倒れる。しかしわれらは起きて、まっすぐに立つ。
9主よ、王に勝利をおさずけください。われらが呼ばわる時、われらにお答えください。
詩篇20篇を節ごとに読む
1-3節民は苦難の日に王のために祈る
詩篇は、民が王のために唱える祝福で始まります。「主が悩みの日にあなたに答え」。王は危険の前でひとりではありません。会衆全体が王のためにとりなします。ヤコブの神とは、あの族長が、悩みの日に答えてくださった神と呼んだ方です(創世記35章3節)。み名とは、真実で、いつも共におられる方として現れた神ご自身のことです。「守られる」と訳された動詞は、手の届かない高い所に置くという意味です。助けは城壁や軍隊からではなく、まず聖所から、神が民のただ中に住むと選ばれたシオンから来ます。3節は、王が戦いの前にささげたであろう供え物に触れ、民は、神がそれを喜んで受けてくださるよう願います。この節の終わりにあるセラは、立ち止まる印です。あなたにとっても、これは模範です。苦難を通る人を独りにせず、祈りで担うのです。
4-5節神にゆだねた計画と、先取りの喜び
民は続けます。「あなたの心の願いをゆるし」。これは、あらゆる気まぐれに対する白紙の小切手ではありません。供え物を携えて神の前に出て、自分の計画を神の手にゆだねた王の願いのことです。別の詩篇も、主を喜べ、そうすれば主はあなたの心の願いをかなえてくださる、と言います(詩篇37篇4節)。心が神に向かうほど、その願いは神の願いに重なります。5節では、信仰が先回りします。「あなたの勝利を喜びうたい」。戦いの前から、民は、神のみ名によって旗が揚げられるのを見ています。王の名ではありません。これは、計画を神にゆだねて最後の言葉を神に任せ、答えを見る前から神をほめたたえるようにとの招きです。
6節今わたしは知る:神は油注がれた者を救われる
突然、ひとりの声が語り出します。「今わたしは知る」。祭司か預言者か、あるいは王自身かもしれません。礼拝のさなかに、祈りが聞かれたという確信を受け取ったのです。戦場ではまだ何も変わっていませんが、確信はすでにそこにあります。それは軍の力ではなく、神の御性質にもとづいています。民は聖所、シオンからの助けを待っていましたが、答えは、神の聖なる天から、その右の手の力とともに来ます。油注がれた者とは、油で聖別された王のことで、ヘブライ語ではメシアという言葉のもとになりました。クリスチャンは、死に捨て置かれず、よみがえらされたイエスを、油注がれた者の最たる方と見ます。この確信は、あなたが思い描く結末の保証ではありません。神が聞いておられ、真実であり、その救いが最後の言葉を持つという保証です。
7-8節戦車と馬か、主のみ名か
ここは、この詩篇でいちばん有名な節です。「ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る」。当時、戦車は最も恐れられた武器で、エジプトのような大国のものでした。預言者イザヤは、神を仰がずに馬と戦車に頼る者を責めます(イザヤ書31章1節)。神の民はそうした力を否定せず、自分の拠り所を選びます。「しかしわれらは、われらの神、主のみ名を誇る」。ここで誇ると訳された動詞は、名を呼び求めることも意味します。8節は結果を示します。力に頼った者はかがみ、倒れ、神に頼る者は起きて、まっすぐに立ちます。今日、戦車はお金、人間関係、学歴、健康、経験と呼ばれます。それ自体は悪いものではなく、神が用いられることもあります。問題は、すべてが揺らぐとき、あなたが本当に何に寄りかかっているかです。
9節最後の叫び:主よ、王に勝利を
詩篇は、始まったときと同じように、祈りで終わります。「主よ、王に勝利をおさずけください」。直前に信頼を宣言しても、願い続けることは妨げられません。信仰は祈りの代わりにならず、祈りを養います。この節は二通りに読めます。口語訳は、古いギリシア語訳と同じく、王に勝利をと祈る読み方です。ヘブライ語の文は区切り方を変えることもでき、主よ、救ってください、私たちが呼ぶとき王が答えてくださいますように、とも読めます。その場合の王は神ご自身、人間の王の上におられるまことの王です。どちらの読みも、地上の王が王の王に全面的に頼っているという正しいことを語っています。何世紀にもわたり、クリスチャンは、パウロが求めるとおり(テモテへの第一の手紙2章1節から2節)、この節で治める人々のために祈ってきました。あなたの政治的な立場がどうであれ、同じようにできます。
詩篇20篇の祈り方
この詩篇を祈るとき
- 友人や家族が手術や裁判、試練に立ち向かうとき、その人のために祈りたいとき。
- 就職の面接や試験の前に、自分の計画を神の手にゆだねるとき。
- 牧師や教会の責任者、国を治める人々が重い決断を担っていて、そのために祈りたいとき。
- 給料や人間関係や経験に、神よりも頼ろうとしてしまうとき。
- 自分自身が苦難の日にあり、ほかの人に祈りを担ってもらう必要があるとき。
- 家庭や教会、事業の新しい計画を始める前に、それを主のみ名のもとに置くとき。
詩篇20篇に基づく祈り
主よ、苦難の日にある私の愛する人たちを、あなたの前に連れてきます。ヤコブの神よ、悩みの中にいたヤコブに答えてくださったあなたが、この人たちにも答えてください。あなたのみ名が彼らを守り、手の届かない高い所に置いてくださいますように。聖所から助けを送り、力が尽きるときにはささえてください。彼らの誠実と祈りを心にとめてください。あなたから出ているなら、心の願いをかなえ、あなたが喜ばれる計画を成し遂げてください。答えを見る前から、あなたの救いを喜びます。告白します。私も、給料や人間関係や経験といった、自分の戦車と馬にたびたび頼っています。お赦しください。今日、私はあなたのみ名を呼び求めます。頼りにしていたものがかがんで倒れるときも、私を立たせてください。私たちを治める人々と、あなたの教会の責任者のためにも祈ります。導き、知恵を与えてください。あなたはすべての王の上におられる王です。私たちが呼ぶとき、お答えください。アーメン。
鍵となる聖句
説教が語っていること
詩篇20篇についてよくある質問
詩篇20篇はどんな意味ですか
詩篇20篇は、戦いの前に王のために共同体がささげる祈りです。民は、神が答え、助けを送り、王の計画を成し遂げてくださるよう願います。そのうえで、勝利は戦車や馬からではなく、主の御名から来ると信頼を言い表します。戦いの中で神に頼ることを語る詩篇です。
詩篇20篇は誰が書いたのですか
表題はこれをダビデのものとし、指揮者、つまり礼拝の音楽の責任者にゆだねています。おそらく、王が戦いに出る前や祭りのときに会衆が歌ったのでしょう。クリスチャンはここに、油注がれた者の最たる方、メシアのための祈りも読み取ります。
詩篇20篇は誰かのためにどのように祈ればよいですか
王という言葉を、身近な人、責任者、苦しんでいる兄弟姉妹の名前に置き換え、2節から5節をその人のために声に出して祈ります。神が助けと守りを与え、その人の心に置かれたことを成し遂げてくださるよう願いましょう。最後は8節で、あなたの信頼は主にあると宣言して終えます。
詩篇 20を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。